四章 福寿の花

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 イスカはその日、白頭翁が帰った後も浮き島にとどまって夜を明かしたので、雪加と二人きりで話をする機会を持てたのは翌朝だった。  その時にはもう山羊が亡くなっており、鴎花は強い衝撃を受けていたのだが、雪加はこれを冷ややかな目で嘲笑ったのだ。 「これで臭くてうるさいのが居なくなったのじゃ。めでたいことではないか」 「姫様が殺めたのですか?!」  鴎花は我慢しきれず語気を強めてしまった。  確かに鴎花は雪加を外へ追い出した。そして雪加に対して怒っていた。父帝が心を込めて作った茶器を感情の高ぶりに任せて割ってしまうなんて、なんという親不孝だろうか。  しかし鴎花なんかに叱られて、雪加は面白くなかっただろう。  そんな彼女の前に山羊がいた。  鴎花が可愛がっている山羊。  雪加が大っ嫌いな山羊。  それでも抵抗できない山羊を殺すなんて、あまりにひどいではないか。  しかし怒り心頭の鴎花に対し、雪加は翡翠姫と呼ぶにふさわしい、美しくも艶やかな笑みを浮かべたのだ。 「証拠でもあるのかえ? 主を真っ先に疑うとは性根の曲がった侍女もおるものじゃ」  鴎花は押し黙った。  言い方は感じ悪かったものの、雪加の言い分にも一理ある、と思ったのだ。  むやみに人を疑うよりも、まずは鴎花自身が山羊に悪いものを食べさせてしまった可能性を考えるべきか。  そう思ったからこそ、鴎花はそれ以上雪加を追求せずに、この日は一日かけて、山羊の糞や寝藁などを調べ、おかしなところがないかを探ってみた。  しかし翌日になって白頭翁の話から、雪加がかつて住んでいた伽藍宮に出入りしていた可能性を知り、やはり最初に感じた疑念が正しかったのだと、鴎花は今、確信に近いものを感じている。  念のため伽藍宮の庭園を探してみたが、福寿草は見つからない。やはり雪加がかつて住んでいた伽藍宮で植木鉢を見つけ、その中の福寿草を山羊に食べさせたとしか思えなかった。仔山羊はまだ草を食べられないから殺されずに済んだのだ。  福寿草には強心作用がある。  中毒量を摂取してしまった場合に起こるのは、吐気、めまい、頭痛。そして心臓麻痺で痙攣を起こしながら命を落とす。  しかし母山羊の死体だけでは死因までが分からず、本当はもっと決定的な手がかりがほしいところだった。例えば燕宗が作った植木鉢とか、福寿草の切れっ端とか。  しかし例えそういうものが揃ったところで、その時に鴎花はどうすればいいのだろう。  主君に罪を突きつけることなど、できるのだろうか。  鴎花の忠誠心は霍書(フォシュ)を読み、そして母から教わったものだ。  母の秋沙は雪加を我儘放題に育てる(ツェイ)皇后に困り果てつつも、大切なご主君だからと従順な姿勢を崩さなかった。  そんな母を見ていた鴎花には、主への絶対服従こそが当たり前のことで、だから雪加がどんな振る舞いをしようともこちらが耐えればよいのだと思ってきた。  しかし今の雪加は常軌を逸している。  今はとにかく早く浮き島に帰ろう、と鴎花は思った。イスカと雪加を二人きりにして、いいことなんて一つもないのだ。
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