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「僅かに残っていた茶葉や茶を調べさせたが何もおかしなものは出てこないし、茶器を犬に舐めさせてみても何ともならない。医者が言うには、お前の体にも毒の形跡は無くて、単に興奮し過ぎただけだろうと……まぁ、こうやって一刻(2時間)も経たぬうちに気がついたんだから、その通りなのかもしれないが」
話をしつつも納得がいかないようで、イスカは憮然とした様子だった。
そんな彼を前にして、鴎花は内心の驚きを表に出さないようするのが精一杯である。
(まだ一刻も経っていない?!)
しかし鴎花の身体はなんともないのだ。あれほど激しかった不自然な動悸も、呼吸の乱れも露と消えている。
福寿草の毒とは、そんなに早く消えるものなのだろうか?
「そうでしょう。ですから私は毒ではないと最初に申し上げました」
腹に力を込め、なんとか微笑んだ鴎花は、自分の体の調子を確かめるためにも寝台から起き上がった。イスカがすかさず手を伸ばして支えてくれるが、それも必要が無い程に頭も体もしっかりしている。
そんな鴎花の様子にイスカも深い安堵の吐息を漏らしていたが、それならそれで逆に芽生える疑問もあるわけで。
「だが、あれが毒でなかったのなら、お前が倒れるのはおかしいだろ」
「陛下の剣幕を見ていたら、今にも鴎花が殺されてしまいそうだったので慌ててしまったのです。それだけのことです」
なんと白々しい嘘を、もっともらしい口調で並べるものなのか。
自分の口がつらつらと紡ぎ出す言葉にこそ、毒が盛られているのかもしれない、と鴎花は思った。胸が痛くなる。
なのにイスカは鴎花の隣に腰を下ろすと、そんな嘘つきの手を両の手で挟み、拝むようにして握りしめてくれるのだ。
「あのな、あまり心配させないでくれ。お前は痘痕のせいなのか、どうも自分を軽んじる傾向がある。だが、お前を大事に思っている者がいることも分かってほしい」
「陛下……」
イスカの大きな手は、鴎花の手の甲に浮かぶ痘痕すら愛しげに包み込んでくれていた。
「それにお前には俺の世継ぎも産んでもらわなきゃならないんだからな。体を壊されたら困る」
そのために大事にしている、と言われているようにも聞こえるが、それは彼の照れ隠しであろう。
愛しさが溢れて堪らなくなり、吸い寄せられるようにイスカの胸に顔を埋めると、彼もまた鴎花の頭にそっと顔を寄せてくれる。
「それで……あの女はお前の何なのだ?」
あぁ、ここでそれを聞いてくるのか。
鴎花の心が柔らかく蕩けた瞬間を狙って、一番の疑問点をぶつけてくるとは、彼の話術の巧みさには恐れ入る。
おかげで鴎花はイスカの胸から顔を上げるまでに、不自然過ぎる間を取ることになってしまった。
「…………乳姉妹です。私にとっては姉妹同然の娘です」
「……」
「至らぬところがあるとは存じておりますが、これからもどうぞ大目に見てやってくださいませ」
「お前がそう望むのなら聞いてやりたいが、これからも怪しい行動をしないとも限らぬしな……まぁいい。処分は明日以降に決めよう。今日はもう休め」
イスカは、果断即決を信条とする彼には珍しく、何も決めないまま寝台から立ち上がった。
そして鴎花をもう一度布団の中に寝かせる。
「今夜は隣室に医者を残しておく。何かあったらすぐに言え。それとこの女もつけておくから、身の回りのことは全部やらせろ」
イスカは部屋の隅にいた医者と小寿を指さして言うが、医者はともかく、彼女はいけない。
「しかし小寿は通いの務めなので、早く家へ帰らせないと」
窓の外はもう暗い。
食事を届けに来ただけの小寿を巻き込んでしまったが、母であり妻である彼女の帰宅を、今頃五人の子供達と夫が待ちわびていることだろう。
しかし小寿自身は大丈夫ですよ、と大きな口を開けて笑った。
「家には使いを送ってもらいましたから、心配いりません。あの子らはしっかりしていますし、うちの働かない亭主にも、こんな時くらいは役に立ってもらいましょう」
「そういうことだ。お前も気心の知れた華人が側にいた方が落ち着くだろう。この女の方がよほど侍女として有能だしな。とにかく今日は何も考えずに寝ろ。明日の朝、また来る」
こうしてイスカが退出した後、ゆっくり休ませてもらった鴎花は、翌朝も元気に目覚めることができた。
そして小寿に支度をしてもらった朝餉をイスカと一緒に食べ、政務に向かう彼を見送ると、単身浮き島へと戻ったのだ。
イスカは騒ぎの発端を作った雪加に何がしかの罰を与えたいと考えている様子だったが、その結論が出る前に鴎花はお咎めなしとなるように取り計らうつもりだった。
雪加のことは昨夜からずっと心配している。
昨夜は毒を盛った容疑者の扱いで幽閉されたのだ。さぞや怯えていることだろう。
しかし家の中で、絨毯の上に座っていた彼女は、意外にも落ち着いた様子に見えた。化粧もきちんと施して、元々美しい顔立ちはますます輝いている。
部屋の隅には空の椀も置いてあった。今朝出された朝餉は残らず食べたようだ。
「そなたも馬鹿よのぉ」
雪加は一人で帰ってきた鴎花を見るなり、顔いっぱいに嘲りの色を浮かべてきた。美しいはずの顔もこんな時には歪んで見える。
「ただの茶を飲んで気を失うとは。ほほほ、なんと愚かなことよ」
「姫様……」
「あれはそなたが妾を疑うに違いないと思って、怪しげな行動を取ってやったまでのこと。あの茶には最初から何も入っておらぬ。福寿草は山羊に食べさせて使い切ったのじゃ」
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