四章 福寿の花

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 思わぬ形で衣服を奪われた雪加は、仕方がないから部屋の隅から寝具を引っ張り出してきて頭から被ったが、この男のやることは本当にどうかしていると思う。  いや、それは今に始まったことではないか。  異母兄からの信頼は高く、戦場にあっては勇敢な戦士だと聞いているが、雪加の前ではただの獣だ。  それに自分は生まれながらの罪人なのだと、不可思議なことも言う。  生まれながら、ということは血筋のことを指しているのだろうか。  確かにアビは少し変わった出自の持ち主である。  父は鴉威の前族長で、母は華人。  鴉威の民を手懐ける為に、鵠国は後宮の女官を皇帝の養女扱いで鴉威に嫁がせていた。辺境の蛮族なんかに自分の娘をやるのは嫌だから、女官の中から選んだのだ。  そんな辺境に送られた女官から生まれた彼の何が罪なのか。もしかして卑しい鴉威の血を半分引いていることを卑下しているのだろうか?  雪加には彼の気持ちがさっぱり分からない。  ただ確かに分かっているのは、自分がこの男から多大な憎しみを向けられていることだけだ。 「話は聞いたぞ。お前、八哥(パーグェ)に毒を盛った風に振る舞ったせいで、ここに閉じ込められてるんだって?」  首筋を拭いつつ、からかうような口調でアビが言うから、雪加はぷいとそっぽを向いた。  いつものことだが、雪加の方にこの男と言葉を交わす義理は無いのだ。視界に入れておくのも癪だから、灯りも吹き消してやる。  もっとも、雪加がどんな態度を取ろうとアビの方が気に留めることは無いのだが。 「そんな馬鹿な真似をしたところで、あの痘痕女を困らせるだけだってのに。身代わりになってまでお前に仕えてくれてる乳姉妹の足を引っ張るなんて、さすが華人の皇女様はヒトデナシだな」  雪加は声を上げそうになったが、すんでのところで堪えた。  この粗野で生意気な男の前で翡翠姫たる者が無様に狼狽えるなど、雪加の自尊心が許さない。  暗闇のお陰で動揺した顔を見られなくて良かった。雪加はなんとか呼吸を整えると、敢えて高飛車に笑ってやったのだ。 「ほぅ。妾の方が翡翠姫であると、ようやく気付いたか。随分遅かったのぉ」 「そうだな。これだけ演技が下手でボロばかり出してる上に、カマをかけたらあっさり引っかかるような奴を相手に、確かに遅かった。反省してる」 「……」  やっぱりこの男は小憎たらしいと、雪加は認識を新たにする。  そして言われっぱなしでは悔しいので、平然を装いつつも反撃の糸口を探してみた。 「……それで、確信が得られて、そなたはどうする気じゃ? 僭王に注進するのかえ?」  しかしその可能性が薄いことは、雪加にも察しがついていた。  この男は誰にも告げず、今も単身浮き島へ忍び込んできたのだ。それはつまり、雪加の正体を他の誰にも教える気が無いことを示唆している。 「さて、どうするかな」  案の定、アビはもったいぶった言い方をして、即答を避けた。 「あの痘痕娘を気に入ってる八哥にわざわざ余計なことを伝えて嘆き苦しむ姿を見たくないからなぁ。お前が真の翡翠姫として八哥に抱かれるようになると俺の遊ぶ玩具が無くなってつまらないってのもあるし。それからもう一つ……」
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