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五章 常識の壁
一.
香龍宮に住まうようになってから、鴎花の暮らしぶりは大きく変わった。
半分捕虜扱いから、曲りなりにも一屋敷の女主になったわけだ。ピトとフーイは変わらず鴎花の見張り役を務めているが、警護をしているという表現の方が当てはまるようになってきた。
又、この屋敷には元々、簡易ながら竈などの厨房設備が備え付けてあったので、いちいち厨房まで出向く必要がなくなった。
おかげで朝も夕もできたての食事をイスカに振る舞えるようになり、それが鴎花には嬉しい。
そして小寿は侍女として住み込みで仕えることになった。
鴎花が意識を失って倒れている間、狼狽えるイスカを隣室へ追いやったほどの気の強さと、有能な働きぶりが認められた結果である。
一家の生活を支える彼女は、より多く稼げるのならその方がありがたいそうだが、住み込みだと問題になるのは子供達のことだ。
特に小寿の末の息子の石杜宇は二歳という幼さであり、この子の世話を姉や兄達に任せきりにしてしまうのは心許ない。
そこで小寿が働きながら杜宇だけを手元で育てることになった。
一番手のかかる末っ子がいなければ、子供達と父親だけの生活も少しは楽になるし、鴎花も幼い子が側にいて可愛らしい姿を常に見せてくれるのは心が和む。
最近は華人の文官である田計里も、表宮での政務の合間を縫い、小寿を訪ねて来るようになった。
聞けば計里と小寿の夫は以前から親しい仲であり、今も家族ぐるみで親しくしているそうだ。
だから彼は木京の街で暮らす四人の子供達や夫からの伝言を小寿に伝えたり、入用の物を届けてくれたりしているのだ。
一方、政局の方も大きく動いていた。
燕宗の第三皇子が長河の遥か南、郭の地で即位して郭宗と名乗り、鵠国の再興を宣言したからだ。
二十六歳という若き新皇帝の側には、生母である崔皇后もいた。
彼女はどんな手を使ったのだか分からないが、年始の変の混乱の中、瑞鳳宮からまんまと逃げ出して、長河を渡っていたらしい。
郭宗が第一に目指したのは、もちろん祖国の奪回である。蛮族風情に祖国を蹂躙されたままにはしておけない。
そのために長河の南側、つまり河南地域で兵を募る彼の元には、鵠国に忠誠を誓う華人達が多く集まっているのだとか。
雄大な長河の流れに阻まれて南征を諦めていたイスカは、自分の手の届かない地域で新たな政権が誕生する可能性は考えていたし、そのための手はこれまでも打っていたのだが、新皇帝の動きが予想より早くて若干戸惑っているようだった。
その上、悪いことは重なるもので、北の鴉威の地からはイスカの父ソビの訃報が届いた。
元々体を悪くしていたのだから、その報告自体は驚くものでもなかったが、こんな国家の重大局面で亡くなるとは間が悪い。
無論、イスカに里帰りをする暇なんて無い。
「郭宗の部隊が長河のすぐ南まで来ているという知らせが届いている。葬式のために鴉威に戻ることなんて、できるわけがないだろう」
ここ数日、目が回るほど忙しかったイスカが久しぶりに香龍宮を訪ねてきた夜、鴎花は床の中でイスカの口から現状を説明してもらった。
季節は移り、今は大きな花弁の木槿の花が咲いている。昼に比べれば夜は涼しくて過ごしやすいが、それでも北方の産であるイスカには耐え難い蒸し暑さのようで、彼は寝台の脇に脱ぎ捨てた衣を改めて着直すこともしないまま、寝物語として話をしてくれた。
「そうですか。やむを得ないことではありますが、お父上様の葬儀くらいは出たいところでしたね」
華人は親への孝養を尽くすことを主君への忠節と同じくらいに大切にしている。
霍書にも夫聖人之徳、又何以加於孝乎、という言葉が書かれている。
夫聖人の徳、又、何を以ってか孝に加わえんや。
これは親孝行より素晴らしい徳などあろうかという意味で、こんな言葉を耳にたこができるほど聞かされている華人の意識としてら、子が親の葬式に出られないなんて、亡くなった親にとっても子にとっても、身を引き裂かれるような苦しみとなる。
「なんだ。お前は俺が北へ帰ってくれた方が良かったか?」
鴎花の顔を覗き込み、イスカは口を尖らせた。
「そうすればお前は隙をついて南へ走り、兄と母の元へ逃げ込めるのだからな」
久方ぶりに抱き合えた満足感で心がすっかり和んでいたイスカは、こんな際どい冗談まで口にする。
もちろん彼が本気でそんなことを疑っていないのは、鴎花だってよく分かっている。
「そのようなことはいたしません。陛下が鴉威の地へ戻られる際には、私もお供させていただきます」
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