五章 常識の壁

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 父の妻を息子の妻に。  それが鴉威の習慣であるなら認めざるを得ないのか、と妥協することも少しは考えていたのだが、実際に彼女らの顔を見てしまうとやはり無理だ、という気持ちの方が強くなったのだ。  あの馬上に座っていた幼い女の子が、これからイスカのことを八哥と呼ぶのか父と呼ぶのかを考えるだけでもう……ダメだ。やはり気持ち悪い。  しかし嫌なことは続くものだ。  妾達が到着した三日後、彼女らの生活に必要な品を集めていた鴉威の女達が、間違って香龍宮に入ってくる騒ぎがあり、危うく大切な絨毯を持って行かれそうになったのだ。  大きな体の小寿が奮闘して女達を追い出し、更にピトとフーイが鴉威の言葉で説明して暴挙を押しとどめてくれたので事なきを得たが、この小競り合いのおかげで鴎花はすっかり気持ちが塞いでしまった。  イスカには彼女らの面倒を見てやってくれと頼まれていたが、絶対に嫌だ。  このまま香龍宮に立てこもって、だんまりを決め込もう。  そうは決めたが、気になることもあった。  雪加(シュエジャ)のことだ。  伽藍(ティエラ)宮の池の真ん中にいる彼女には、護衛も見張りもつけていない。鴎花のところへ押しかけてきたように、鴉威の女達が乗り込んできたら拒みようがない。  そこから彼女の素性が露見してしまうようなことになったら……。 「小寿、少し出かけてくるわね。鴎花の様子が気になるの」 「今は物騒ですよ。何なら私が行ってきます」 「小寿は自分の身体を大事にして。杜宇もいるんだし、待っておいて頂戴。大丈夫よ、ほんの少し様子を見てくるだけだから」  こうして鴎花はフーイを供に、伽藍宮の池まで行ってみたのだ。  しかし池の周りには誰もいなかった。食事を届けるために使っている小舟も岸辺に残っているし、櫂を保管している旧詰所の扉も破られていない。  鴎花が島を一番よく見渡せる、馬達がよく放牧されている辺りに立ってみると、雪加の姿を確認することもできた。  表に出た彼女は一人、細長い布切れのようなものを閃かせながら、右へ左へと軽やかな動きを見せていて……あれは、舞っている? 「……あぁやって一人で舞っておいたら、それだけでキチガイっぽく見えるだろ?」  美しい雪加の舞に見とれていたら突然背後から声をかけられ、鴎花はビクッと体を震わせた。  振り返れば、そこにいたのはアビだった。  先日は長旅をしてきた女達を先導していたので、いつもの黒衣に頭巾を被っていた彼だったが、今日はその上から革の鎧を着込んでいる。傍らには芦毛の馬も連れており、どうやら今から戦場へ赴くらしい。  しかし真夏に武装するのは暑いようだ。出発前から大汗をかいている彼は、鴎花の隣に並んで立った。 「気の触れた奴には関わりたくないから、ここへは誰も来ないって寸法さ。いい作戦だろ。あぁ、もちろん舞うよう命令して素直に聞く奴じゃないから、あいつ自身への言い回しは工夫したけどな」  どうやらアビは、面倒ごとに巻き込まれないように雪加を舞わせているらしい。  アビが何故、雪加に関わっているのか。  大体、武装した彼がここにいるのもおかしいではないか。まるで戦へ行く前に一目会いに来たようで、恋人同士が別離を惜しんでいるようにしか見えない。  しかし鴎花から疑いの眼差しを向けられたアビは、その疑念をはぐらかすように体をくねらせ、へらへらと笑ってみせたのだった。 「そういえば、鴉威の女達が香龍宮へ押しかけたんだって? 怖がらせて悪かったな。あいつらも杜鵑宮に調度品を揃えようとして必死なだけで、別にお前がお姫様じゃないから軽んじたってわけじゃないんだ」 「何の話です」  内心の動揺を飲み込むためにも、鴎花はアビをキツく睨みつけた。  この漆黒の瞳の青年は、兄が大好きで華語(ファーユィ)が堪能なだけではない。危険で油断ならない男であることを、改めて思い知らされた瞬間だった。 「おう。さすが偽者の方は賢いな。ちょっとカマかけたくらいじゃ乗ってこないか」  アビはわざとらしく目を見張って見せた。それから、鴎花の供をして側に立っているフーイの方へちらと目を向ける。  しかし華語での会話がさっぱり分からないフーイは、気の抜けた顔で空なんて眺めていた。  アビはその表情に口元を緩めたが、それでも一応声だけは潜めて話しかけてきた。 「安心しな。誰にも……八哥(パーグェ)にも言うつもりはない。本物はあの通り、考え無しの我儘娘だからさ。賢い女が王妃様を演じてくれる方が、威国(ウィーグォ)としても助かるんだよ」 「……」 「ただ偽者なら偽者らしく、お前には分をわきまえておいてほしい」 「……具体的にどうせよと?」  アビは既に雪加本人から話を聞いて、確証を得ているようだ。誤魔化しようがないことを悟った鴎花は、諦めの境地で問い返した。
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