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「そうだな……強いて言えば、俺の意に沿わないところかな」
「は?」
「それに、俺がどれだけ辱めても、死にそうにない気の強さが気に入った」
「なんだそりゃ?」
「簡単に死ぬ女は嫌なんだよ」
アビは軽い調子で笑い飛ばし、そして「まぁこの話は戦でもう一度武勲を立てたら改めてお願いするよ」と言い残して天幕を出ていってしまった。
それから四日後。
この日は朝から小雨が降っていて、それならあの強い日差しが無くて過ごしやすいだろう、と期待したのが運の尽き。
どれだけ雨が降ろうと暑さはそのままなので、湿気ばかりが増えて、かえって不快なのである。
鴉威の地は雨も少なく、年中乾燥しているので、こういう絞れば水滴が出てきそうな重い空気に包まれるのは、ただ暑いより苦しい。
そして一人で天幕を使っているイスカはともかく、皆で頭を突き合わせて過ごしている兵達は余計に辛いだろうと思う。
それでも鄂将軍はこの機に乗じて攻め込んでくるかもしれないから、気を緩めず守りを固めるように兵士達には命じた。そしてイスカ自身も浮橋を渡って川の真ん中の小島、葦切へ行ってみた。対岸の動向をこの目で確かめるためだ。
島は岩ばかりで馬が使えないので、歩いて橋を渡ると、島の切り立った岩肌に張り付くように羽林兵達の船が並んでいるのが見えた。
この岩だらけの小島は渡河に欠かせない要所なので、敵も狙ってくるとみて、イスカも船を揃えて待ち構えている。しかし鴉威の民は船を操れず、運用は華人達に任せきりだ。そういうところが不安をかきたて、どうにも落ち着かない。
尖った岩の上に立って眺めたところ、対岸の白い旗に動きはなかった。しかし息を潜めてこちらの動きを伺っているような不気味さが漂っている。
隙あらば襲いかかろうとする鄂将軍の意図がひしひしと感じられて、不快だった。
島を守っている副将のケラと二三の話をしたイスカは、ここで雨が止んだので、島の中央にある祠へ立ち寄ってから本陣へ戻ることにした。
この葦切は軍事上の要所であると同時に、華人達にとっては神聖な土地でもある。
祠を建てて祭っているのは、島の山頂とも言うべき、岩が幾重にも折り重なった先にある、幅が二丈(約10m)もある、大きな大地の裂け目。
伝承によると天帝が代替わりすると、この裂け目から天に向かって水柱が吹き出すそうだ。
新しい天帝はこの地上に人が暮らしていることを知らないから、大地を自らの気、つまり水で満たそうとする。
そこで人の子はこの土地が天帝から与えられた盟約の地であることを伝えるために、天帝と人の子、両方の血を引く娘を捧げる。これにより人の子は、この地を統べる盟約を改めて結ぶことができるというわけだ。
(……よく考えた話だな)
注連縄で囲われた先にある、底が見えないほどの深い亀裂を覗き込んで、イスカは心の中で呟く。
この伝承に依れば、いつ噴き出すか分からない水柱に対処するため、天帝の子孫が常にこの地を治めていなければいけない。為政者には都合のよい口実になる。
(まあいいさ。俺はそいつを利用させてもらうだけだ)
華人達の目を気にして形だけのお参りを済ませたところへ、伝令の兵士がやってきた。
十人ばかりの部下を連れた武官が木京からやってきて、イスカに目通りを求めているというのだ。
田計里からの推薦状を持っているというので、イスカはすぐに本陣へ戻り会うことに決めた。あのひょろっとした容姿の華人の文官が、有能で人を見る目に長けた男であることはよく理解している。
こうして石蓮角はイスカの天幕へ案内されてきたのだ。
「石蓮角と申します、初めて御意を得ます、陛下」
現れたのは髭面の大男だった。
イスカも長身な方だが、それを有に上回る恰幅の良さで、そんな立派な体躯の持ち主であるのに団栗眼が顔にのめり込んでいるように見えるから、妙な愛嬌も醸し出している。
彼は手を前に組み、頭を下げるだけという武人らしい短い挨拶を施したから、イスカは第一印象で好感を抱いた。無駄で長ったらしい礼儀作法を押し付けてくる輩には、いまだに不快感を覚えるのだ。
イスカは蓮角に絨毯の上へ座るよう勧めた。
華人である蓮角は天幕の中にまで敷物があることに驚いていたが、何はともあれイスカの前で胡坐をかいて座り、再び頭を垂れた。
「こたびは、陛下の配下に加えていただきたく、木京より馳せ参じました」
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