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 兄が死んだ。寝ている間に逝ったらしい。  俺は新幹線の車窓から次々に飛び込んでくる長閑(のどか)な田園風景を眺めていた。五月の田は稲が植えられ生命の息吹をこれでもかと見せつける。なんとも眩しい景色だった。  兄が死んだ。端的に言えばそれだけのことだ。五十になったばかりで若いとはいえ、俺の内側から出てくるのは自業自得だということだけ。むしろ、あれだけ母を苦しめておきながら呆気なく死んだことに憤りすら感じていた。  座席の背もたれに身体を預け、鬱屈とした気持ちをなんとか鎮めようと努力したが、兄の犯した数多の愚行がそれを阻む。  愚かな兄だ。大学入学を機に一人暮らしを始めた兄は早々に借金を拵え(こしら)、大学を勝手に中退した。その後は所在不明になり、時々フラリと実家に現れては金を盗むか無心するという酷い有様だった。  俺は小さい頃、十も離れた兄を慕っていた。どこまでも優しくて、心配性な兄だった。大好きだった兄は変わってしまったのだ。俺は落胆し、金にだらしない兄を軽蔑し、母を泣かせる兄を嫌悪した。  父は兄が大学中退した頃に脳梗塞で亡くなったのであまり嫌な思いをしないで済んだのは幸いだった。家系からいえば早死する方なのかもしれない。父も早かったが、母も七十手前で病により亡くなっているのだから兄の死も自然な流れだったのだろう。ただ、兄のような人はずっと他人に迷惑をかけながらいつまでも生きながらえる印象があったので、兄の訃報は少しばかり意外だった。
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