第3話 呼び方がロウリエ様からロウリィに変わりました

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「はあ」  溜息を一つ吐き出して、近くで茂る花樹の大きな葉に手を伸ばす。  花のついていないこの季節。これだけ葉が生い茂っていると、このむしゃくしゃした気持ちと一緒に無性にちぎりたくなる。  プチリとちぎったその瞬間、泥を落とし終えたらしいロウリィが戻って来た。 「あ、カザリアさん。その紫陽花も毒ありますからね。ついでにいうとそこら辺に植えられている、そこのスズランも、チューリップもユリにも毒が……」 「――っロウリィ!!! だからそんな説明はいらないって言っているでしょう!?」  これでは、おちおち花を愛でることさえもできないと、ぽやぽやした夫の毒談義を聞くと思う。  とにかくなんにつけても毒が関係していれば彼は毒にまつわる話題を持ち出してくる。  ロウリィの毒に対する知識が並々ならぬものにまでなっているのは、ひとえにただ彼が毒が好きだからだ。必要に駆られたわけではなく、愛しているからなのだ。  そもそも、ここの領主にさえならなければ、こんなぽやぽやした人物が狙われる理由もなかっただろう。  むしろ、放っておけば勝手に自滅してくれるに違いない。 「ルーベン、じょうろ」 「はい、奥様」  ルーベンはにっこりと穏やかな笑みを浮かべる。  彼から差し出された水が入ったままのじょうろを受け取り、ロウリィがいる方へと腕を大きく振りかぶり思いっきり投げる。 「あぎゃっ!」  ぼこっという景気のよい音に続いて、間抜けな悲鳴が庭の片隅に響き渡る。  じょうろは見事、目標の人物に命中したらしかった。 「お見事! さすがカザリアさん、今日も鮮やかですねぇ」  ぽややんと笑いながらパチパチと称賛の拍手を送ってくるロウリィをキッと睨みつけ、私は夫の元へ大股で歩み寄る。 「ロウリィ! 感心している場合ではないでしょう!?」 「ああああ、苦しいです、カザリアさん。やめてくださいーーー」  そう言う割にまったく苦しそうな顔をしていない夫の襟元を掴んでガクガクと揺さぶる。  彼の後方。沈丁花(じんちょうげ)の茂みには、見知らぬ男が気を失い倒れていた。 「でも、カザリアさんが武術に秀でていて助かりましたぁ」 「武術を学んだのは私の大切なリシェルを悪い(ムシ)共から守るためであって、あなたを守るためじゃないのですよ!? どうしてあなたは微量な毒にも気づくのに、もろに殺気を出している刺客には気がつかないのですかっ!?」 「そんなの無茶ですよー……。殺気なんて普通わかりませんよ」 「言いわけ無用! 大体それもこれも、あなたがくだらない賭けなどするから!!!!」  そう。ほんとーうにくだらない、というよりも「何を考えているんだ!」と思わず叫びたくなるような賭け。  これこそが訳のわからない、私には到底理解できないものだった。  領主として任に就いたロウリエ・アジ・ハルバシン・ケルシュタイードは、この地に着て早々、単身チュエイル家の屋敷に乗り込んだらしい。  ここまでだとどうも格好よく聞こえるのだけど、実際はただ耳を疑うような話だった。  彼はチュエイル家の当主に言い放った。 「賭けをしましょう。ずっと命を狙われるのも面倒ですから、期限を一年にしませんか? そちらが一年以内に僕を殺せたら、領主に戻れるよう陛下に言付けてお許しを貰っておきますので。でも、僕が生き残ったら諦めてくださいね。ほら、そうしたほうがどちらにとってもいろんなことの効率が良いでしょう?」  多分、いや、絶対、この夫はぽやぽやと言い放ったのだ。  結果、首謀者は割れていたものの表向きは徹底的な証拠を残さないよう進められていた暗殺計画は、この賭けによって領主公認となり大々的かつ大胆に領主の屋敷に刺客が出入りするようになった。  ロウリィが領主になってから、まだ半年。  つまり、期限まであと半年も残っている。 「まったく、あなたのしょうもない賭けの巻き添えになって私が死んでしまったらどうするのですか?」  ロウリィを心ゆくまで揺さぶったおかげで大分気がすんだ私は彼を解放した。パンパンと両手を叩き手についてしまった汚れを払う。 「ロウリィ……服がまだ汚れています。後で着替えて、洗濯に出しておきなさい」  よろよろ、ふらふらとしながらも、かろうじて踏みとどまっているロウリィは「わかりました」と首肯し、ぽややんと笑う。 「そうですねぇ、カザリアさんが死んでしまったら、きちんとお墓の前で手をあわせて謝罪はしておきますね」 「…………」  縁起でもないことをいつもの口調で言った夫に、一瞬言葉を失ってしまった。 「ちょっとは“僕が守りますから”とか言えないんですか!? 仮にも私の夫でしょう!?」 「でも、嘘は言えませんし、僕は毒に関すること以外は無力です!」 「そんな自信満々に断言するな!」  まあまあ、と庭師の老人は苦笑しながら、私たちの間に割って入った。 「のびている輩は私が屋敷の外にほっぽり出しておきますから、お二人はもうそろそろお戻りなさい」 「あ、よろしくお願いします」  気絶していた刺客の男を軽々と肩に担ぎ上げたルーベンに、ロウリィはひらひらと手を振る。 「では、カザリアさん。戻りますよ。友人から焼き菓子が届いていたのでお礼に一緒に食べましょうか」 「……毒は入っていないのでしょうね?」 「えっと、さっきは入っていませんでしたが、今はどうでしょうね?」  首を傾げて思案する夫の姿に、私はただ口をつぐむしかない。 「まあ、入っていたらわかるでしょう」  嫁いでからもう百回はついただろう溜息を今日もまた落としながら、ロウリィに促されて屋敷へと戻る。  今度こそはロウリィが抜け出さないようにと、執務室で我が夫を監視する。  幸いなことに出された焼き菓子には毒は仕込まれてはいなかった。その代わり、一緒に出されたお茶の横に置かれた砂糖壺の中には入っていたのだけれど。 「領主め、覚悟!」  威勢のいい掛け声と共に入って来た新たな刺客を足で引っ掛けて払いつつ、この屋敷はまさか刺客を雇っているのではないかと、菓子を食べながら私は真剣に悩む羽目になった。  王都に住む親友のリシェルから手紙が届いた。  今思うと嫁ぎ先がケルシュタイード家となり、夫の任地のエンピティロに行くことになったとリシェルに報告した時、彼女が大層驚いて、心配していた理由がよくわかる。  恐らくリシェルは陛下からこの地のことについて聞いていて予測がついたのだ。  私が置かれるであろう状況に。  それでも口に出せなかったのは、いくらこの国で一、二位を争う大貴族の姫である彼女とはいえ、他家の婚姻に口を挟む権利は持っていないからに違いない。  手紙にも心配が色濃く滲んでいて「そちらの様子や旦那様はいかがですか?」と遠慮がちに添えてあった。  こちらの様子や旦那様……。  報告したいこと――と言うより、聞いて欲しいことは山のようにあるけど、どれもリシェルの不安を煽りそうなので、やめておこうと思う。  だからとりあえず、呼び方がロウリエ様からロウリィに変わりました、とだけ伝えておくことにした。  できる限りリシェルには心配をかけたくない。  夫の呼び名が変わった理由が、彼を怒鳴る時に「ロウリエ様!」よりも「ロウリエ!」よりも「ロウリィ!」のほうが言いやすかったからだとか、そんなことはさすがに書けなかったけど。
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