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「うわぁ、今年も良いお肉ですね。」
テーブルの上に並べられた焼肉の材料。一際存在感を放っているのが、蒼太さんのご実家から届いたという立派なお肉だった。
「百々、よだれ。」
「垂れてませんよ!」
蒼太さんは笑いながら菜箸とグラスを運んでくる。
「ビール飲む?」
「私お酒は飲めないんですってば。分かってていつも聞きますよね。」
飲んだことがないわけではない。ただ恐ろしく弱い。アルコールが体に入った途端、途轍もない睡魔が襲ってくる。
「俺が知らない間に飲めるようになってるかもしれないだろ。それに焼肉の時にビールを勧めないのは失礼だから。」
謎の持論を話す蒼太さんは、持って来た菜箸とグラスをテーブルに置いて再びキッチンに戻る。冷蔵庫の中から缶ビール一本と、可愛らしいデザインの缶を一本取り出す。
「お子様にはこれな。」
渡された缶は、ノンアルコールのカクテル。
「···ありがとうございます。」
結局優しい。小さな子をからかって遊ぶような、女としては全く見ていないような接し方。たぶん、親戚の子と会っているような感覚なのだろうなと思う。
「おいしいですね!!」
今年もおいしいお肉だった。焼けたお肉を次々お皿に乗せながら蒼太さんは笑う。
「本当に百々はおいしそうに食べるよな。」
「だって本当においしいじゃないですか。お家でこんな焼肉するなんて贅沢ですよ。」
焼きたてのお肉と一緒にごはんを口に入れる。尊い。おいしすぎて頬がゆるむ。
「百々の家は焼肉とかやらなかったの?」
そう聞かれて、私は咀嚼しながら頷く。
「‘そういうこと’、しちゃいけなかったので。」
口の中のものを飲み込んで、そう答える。蒼太さんは黙ったまま首を傾げた。
「私、妹がいるんですよ。」
実家を離れてから、妹の存在を人に話すのは初めてだった。
「二つ下で、それなりに仲も良くて。まぁ普通の姉妹だったんですけど。妹が小学二年生の時に事故に遭ったんです。」
信号のない横断歩道での交通事故だった。
「怪我は酷かったんですけど、なんとか一命はとりとめて。でも歩行障害と嚥下障害が残ってしまって。」
―――ずるいよ!
「いろんなことが出来なくなってしまった妹が、それまでと何も変わらない私に負の感情を抱くのは、まぁ当然で。」
―――私は好きなもの食べれないのに!私は走ったりできないのに!
「だんだん家の中で、‘妹ができない楽しいこと’をするのが悪いことみたいになっちゃって。」
―――お姉ちゃんばっかりずるい!
「食事は静かに黙々と食べるだけでしたね。だから皆でわいわい焼肉するとか、そういうこと出来なかったんですよ。」
家の中にいると、いつも罪悪感がつきまとっていた。
「···あぁ、だから給食」
蒼太さんがポツリと言う。五年も前に話したことを覚えてくれていたことに驚いた。
「そうです。給食は、皆でわいわい食べられるから。妹のことを気にせず楽しくごはんが食べられる唯一の時間でした。」
「···そっか。」
「ただの食いしん坊だと思ってました?」
そう尋ねると蒼太さんは笑う。
「お母さんは妹のことで精一杯だったけど、お父さんは私のそのモヤモヤした気持ちを分かってくれていました。」
―――ごめんな、百々子。
「でもどうすることも出来なくて。」
―――誰も悪くないんだ。でも、
「誰も悪くないんだって言われたし、私もそう思ってました。」
―――この家は、もうこういうふうにしか過ごせない。
「分かっていたけど、苦しかったな。」
笑って、そう言う。誰にも話したことはなかった。今日花乃ちゃんと話をしたことで、忘れかけていたあの頃の気持ちが蘇ってきた。まだこんなに簡単に思い出せる。今でも私はこんなにも根に持っているのだなと思うと、少しおかしかった。
「離れて、私も大人になってから思うこともあったんです。本当にどうすることも出来なかったのかなって。妹も一緒に、家族皆で楽しく過ごすすべが、探せばちゃんとあったんじゃないかなって。」
「実家、帰ってるの?」
黙っていた蒼太さんが口を開く。
「たまに。お正月だけとか、それくらいです。今年は忙しいからって帰りませんでしたけど。」
「そっか。」
「大人になっていろいろ考え方が変わっても、実家に帰って妹と顔を合わせるとやっぱり思い出しちゃうんですよね。罪悪感が、消しきれないんです。」
花乃ちゃんに言った言葉は、私が欲しかった言葉。花乃ちゃんにはあぁ言ったけれど、私自身はまだ実行出来ない。妹のいない場所で、精一杯楽しむことが私の限界だ。実家ではまだうまく笑えない。
「蒼太さんは、実家帰らないんですか?」
普段はこんな立ち入った話なんてしない。ただ、今私の話を静かに聞いてくれていた蒼太さんになら聞ける気がした。
「俺は···そうだな」
躊躇いがちに口を開いた。蒼太さんの口から出てくる次の言葉を、私はじっと待った。
「···‘もう会えない’って言われてから、ただずっと逃げていただけかもしれない。」
ポツリと、蒼太さんは言う。
「···それは、お兄さんの奥さんのことですか?」
そう尋ねると蒼太さんは眉尻を下げて笑う。私の質問を肯定するかのように。菜箸を皿の上に置いて、蒼太さんはホットプレートの温度を下げた。
「前に見た写真に写っていた兄ちゃん、覚えてる?」
「はい、蒼太さんにそっくりの。」
「そう。あの兄ちゃんさ、もう七年も前に死んでいるんだ。」
驚いて、何も言えなかった。蒼太さんは優しく笑って言葉を続ける。
「それからいろいろあって、もう会うのはやめようって言われた。」
お兄さんの奥さんの話なのだろう。
「兄ちゃん家族が、俺の実家で同居しているわけでもないんだ。別の所に住んでる。まぁ距離は近いけど。ただ実家で顔を合わせてしまう可能性がないわけでもないし。せっかく会わないって決めたから、親伝いにも彼女の話を聞きたくなかった。」
‘彼女’という言葉が蒼太さんの口から出ただけで、私の心臓はドクンと音をたてる。
「怖かったんだろうな。」
「···‘彼女’と会うことが、ですか?」
「自分の気持ちがちゃんと終わったかどうか確かめるのが、かな。」
「まだ、好きなんですか?」
心臓の音が大きくなる。蒼太さんに聞こえてしまいそうな程に。
「たぶん、終わったんだと思う。思い出すことも最近はほとんどないよ。」
俯き気味だった顔を上げた蒼太さんと目が合う。
「百々が、いたからだと思う。」
笑って、優しい顔で蒼太さんは言う。聞き間違いか冗談かと思った。でも、蒼太さんにふざけている様子はない。
「···それ、どういう意味ですか?」
声が震えた。蒼太さんが笑う。
「そのままの意味だよ。百々が、一緒にいてくれて良かった。」
いつもと同じ、少し意地悪な顔でそう言う。
「そんなこと言うと、本気にしますよ!」
何故か涙が出そうだった。
「良いよ。」
蒼太さんが笑う。
「私、離れませんよ!」
身を乗り出す私の頭に、蒼太さんがそっと手を乗せる。
「良いよ。」
涙が、溢れた。私の頭の上にあった蒼太さんの手が、ゆっくりと滑り落ちるように頬を撫でた。
「百々が泣いてる所、初めて見た。」
大きな手に包まれた頬が熱を帯びる。出会ってから五年。初めて蒼太さんが私に触れる。
「ありがとう、百々。」
重なった唇は焼肉の匂いがした。
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