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「…………?」  右耳の鼓膜を震わせて脳に伝達された音楽は、サーッという音だった。ピアノの音でもなければギターでもベースでもバイオリンでもない。強いて言えばテレビで映らないチャンネルにキーを合わせてしまった時の、ザーッという音の雑音を取り除いたような、濁っていない音だった。目を閉じてしばらく聴いてみても、ドラムの音が入るわけでもなく、ただ静かにサーッという音だけが流れている。考えても分からなかったので「これは何の音?」と訊ねた。 「雨の音だよ。細い雨が降っている音」 「雨の、音?」  もう一度目を閉じて聴いてみる。言われてみれば確かに、細い雨が降っている時の音のようだった。土砂降りでもなく小雨でもなく、しっかりと降っているけど強くない雨。 「なんで雨音なんて聴いてるの?」 「んー……落ち着くから、かな」 「落ち着く?」  仁藤君は少し目を泳がせて困った顔をした。何かを言おうか言うまいか悩んでいる様子だ。わたしは虹の端に行くことを諦め、仁藤君が発する言葉を待った。ここまで来たら不思議な同級生の謎を暴いてみたい。雨音を聴いて落ち着くとはどういうことなのか。ジッと仁藤君を見つめると、諦めたように話してくれた。 「僕にとって雨の音は、癒しの音なんだ。これを聴くと幸せホルモンのセロトニンが分泌されて、心と体が休まる」 「幸せホルモン……」 「笑いたきゃ笑えばいいさ。分かってもらおうなんて微塵も思ってないから」  仁藤君は手のひらを上に向けてわたしに突き出してきた。どうやらイヤホンを返せ、と言っているらしい。わたしは右手で右耳を覆って返さない意思を表明した。 「分かるよ。焚火の動画を見て癒されるみたいな感じでしょ? わたしは猫の動画を見て癒されるタイプ。仁藤君にとっては雨の音が癒しなんだね」 「え……」  まさかわたしが同調すると思ってなかったのか、仁藤君は驚いたようにわたしを凝視した。まるで怪物を見るような目で、若干身を引いている。なんでそんな反応をされなくちゃいけないのか納得できないが、右耳から聴こえる雨の音を聴いていると、どうでもよくなってきた。どうやらわたしにも、この雨音によってセロトニンが分泌されているらしい。  しばらくわたしたちは隣同士で同じ音を聴きながら、同じ時間を過ごした。
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