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とは言え、久仁子は芳明を、好ましく思っているとわかって、気持ちは落ち着いた。
久仁子は食事の間も、芳明に視線を向けては、頬を染めた。その視線は、芳明をたじろがせた令嬢達のものとは全く違った。
久仁子の優しい目が、芳明に対する愛おしさを伝える。口数は少ないが、視線は饒舌だった。
久仁子は完璧な妻であり、嫁であった。控え目で、気が利き、男爵令嬢でありながら、家事の一切を身に着けていた。社交界で恥をかかないようにと、父男爵からダンスも教えられていた。
自慢にもならないが、洋行帰りのくせに芳明は、ダンスが大の苦手であった。
パーティーに出席していても、いつも親しい紳士達と会話を楽しむばかりで、ダンスから逃げてきたのであるが、久仁子を伴っていれば、自分ばかりが楽しんでいてはいけない。
一念発起して、夕餉の後、久仁子からダンスを習うことにした。
生成りの、柔らかな正絹で作られたドレスを身に着けて、蓄音機から流れる円舞曲に合わせて、久仁子は軽やかにステップを踏む。
綿菓子のように甘くて柔らかな声に指示されながら、芳明もたどたどしく足を運ぶ。
「お上手ですわ」
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