ハートレス

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ハートレス

 試験運用から三十年、当時は物議をかもしたAIによる学校教育は、今ではすっかり当たり前になった。  持てる知識はほぼ無限に近く、新しい情報は即座にアップデートされ、感情に左右されることなく職務に忠実に動くという点では、学校という現場には最適だった。  その目は生徒一人一人にまんべんなく向けられ、成績はもちろん素行についても管理でき、問題があれば迅速に対応。保護者による申し入れなども聞き取って平等に処理をする。  3月、中等部の卒業式。予想外なことが起きた。 「先生、卒業後は遊びに来てもいいですか」  学業の場に「遊びに来る」という言動が理解できない。初等部からこの学園の生徒である彼にそのような概念があることに驚いた。 「学校は遊ぶ場所ではありません。高等部の勉強に励んでください」  私の返答に、解析のできない顔を見せて頷くと教員室を出て行った。  過去のデータよりやや早い桜が舞い、私は再び一年生の担任となった。徹底的なAI教育により、今年も目立つ問題児童はいない。また三年間をこの教室で一緒に過ごすことになる。 「皆さん、入学おめでとう。あなた方はこれからまた新たな知識を学び、自分の可能性を広げて行ってください。私からは以上です。では授業を始めます」  現行の教育システムは順調だ。校則にも極めて従順な生徒たち。私も問題なく任務を全うできる。    5月の連休前、職員室にあの卒業生がいた。 「ここは遊びにくる場ではないと前にお話したはずですが」 「分かってます。遊びにくるという言い方は適切ではないことも。だから今日は挨拶にきました」  ——挨拶。いったい何の挨拶なのだろう。 「先生、高校も相変わらず退屈な毎日なんです。どうして学校はこんなに退屈なんだろう。先生なら教えてくれそうな気がして」 「挨拶というより、質問ですね。その質問への答えならば、私は退屈ではありません。ここは学業の場であり私は教える立場、生徒は勉強をする立場。ただそれだけです」  また解析のできない顔を見せる。 「先生の顔を見たら元気でた。またね」  なぜ私の顔を見ると元気がでるのか、解析ができなかった。しかし解析のために行動する必要はなかった。私は職務を全うするだけだから。  一年が過ぎ、夏休みに入るころにまたあの卒業生が現れた。 「先生、俺、背が伸びたでしょ!」 「そうですね、5センチくらいは伸びたでしょうか」 「さすが! ちゃんと見てるんですね、先生」 「それより、何しにここへ来たのですか」 「背が伸びたっていう報告だよ」  報告……。今のお互いの立場間での報告……意味がわからない。解析ができない。 「また来るね。先生」  それから何年もの間、あの卒業生だけは何度も学校を訪れた。  私も何人もの卒業生を見送ったが、学校に「報告」に来るのは彼だけだ。 「先生、今度、海外に行くことになったんです」  すっかり大人の男性になった彼は私にそう報告をした。 「そうですか」 「それでね、先生に相談なんですが」  相談? すでに大人になり、生きる場が違う人間に相談をされても、私に解決できることは無さそうだ。 「先生がもうすぐ引退だって聞いたので。これからは人として生きませんか」 「……私を人だと思ってるのですか」  すっかり老朽化して、軋む私の指のパーツに触れる。触れられたという感覚のみが伝わる。 「ずっと思ってましたよ。俺が何か言うたびに困惑する表情を見せてくれるのがこの世界で先生だけだったんです。先生だけは暖かかったんだ」  不要と判断されたそのデータは、削除されたはずだった。 「ね、先生。俺と一緒に生きてくれませんか」  心なしか、頬を伝う暖かい感触が……解析の答えのようだ。
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