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ひな人形 動く
私が人生で初めて不思議な体験、世にいう心霊体験をしたのは小学校低学年くらいの頃だった。
その日の夜中、弟の大きな泣き声で目が覚めた。
「おひなさまが動いてる!こっち見てる!」
(何言ってるの?おひなさまが動いた?)
びっくりして部屋から出た私は、大声で泣きながら鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔を母に押し付けながら廊下で泣いている弟を見た。
そのうち寝ていた父も起きてきて、寝ぼけていたのだろうとしばらく弟の話を聞いて一緒に子供部屋へと弟を連れて戻ってきた。
部屋へ戻ってきた弟は、何枚もの布団を被り丸まって眠った。
次の日の朝、なかなか布団から出てこない弟の布団を引きはがしに行った。
どうしても昨夜の話を聞きたかったのだ。
「ねぇねえ、夜おばけ出たの?おひなさまのおばけ?こわかった?」
昨夜の話が聞きたくて興奮している私と、いまだに怖くて布団から出られない弟。それでもしつこく聞いてくる私に弟は少しだけ顔を出してくれた。
「こわいんだよ、とっても。ねぇ、こっち見てる?まだ見てる?」
「何もいないよ!ねぇねぇ!おばけってどんなのだった?」
やっと布団から出てきた弟と一緒にリビングへ行ったとき、弟が少し顔を下に向けながら、リビングに飾ってあるひな人形を指さした。
「おひなさまが動いたの。ぐるーってこっち見てたんだ」
弟の話では、夜中トイレへ行って部屋へ戻ろうとしたとき、リビングに飾ってあるひな人形のお雛様が体ごと廊下側の弟の方へ向いたらしい。
それがなんだかとても怖くてないてしまったのだという。
「うっそだー!お雛様は動かないよ!」
「うそじゃないもん!ほんとだもん!動いた!こっち向いた!」
半べそをかきながら怒る弟の言うことを私は全く信じていなかった。
「そんなのおばけじゃないよ!だっておばけはお空に浮いてるんだよ!」
当時、おばけや妖怪が出てくる絵本が好きだった私は、おばけは宙に浮いている白いものだと思っていたのだ。
つまり宙に浮かないし、白くもないお雛様はおばけじゃない。
やっぱり弟は寝ぼけていたのだ、と。
おばけが見られると楽しみにしていた私はとても残念な気持ちになり、弟が本当に見たのだと怒るのも無視してテレビアニメを見始めたのだった。
その日の夜、弟は夜中にトイレへ行くことがないように寝る直前に済ませて、昨夜同様にたくさんの布団を被り、丸まって寝ていた。
しかし、夜中に弟が2段ベッドの上から降りてくる音で目が覚めた。どうしてもトイレへ行きたくなったのだろう。弟が部屋から出ていくのを見送った後、私は部屋の扉の隙間からそっとリビングのひな人形を見てみた。
(動いてる!!)
そう、弟が言っていた通りお雛様だけが動いていたのだ。
それは弟が下を向きながら小走りでトイレへ行くのを追いかけるように動いていた。
「うわっ……」
それを扉の隙間から見ていた私は、興奮してつい声を出してしまった。
すると、廊下側を向いていたお雛様がぐるっと私の方を向いたのだ。
いつもの無表情なかんじではなくて、少し怒ったような怖い顔で私の方を見ていた。
(隠れなきゃ!)
とっさにそう思った私は、急いで自分のベッドへ戻り弟と同じように何枚もの布団を被り丸まった。
(怒ってる。お雛様、怒ってる!)
さっきまでは動くお雛様に興奮していたのに、今ではそのお雛様への恐怖でいっぱいになっていた。
(こわい、こわい、こわい!)
弟が部屋に戻り、2段ベッドの梯子を上っていく音にさえ恐怖を感じた私は、さらに耳を塞ぎながら目を強くつぶって寝た。
翌朝、母と弟があのお雛様の話をしていた。
「昨日はお雛様動いた?」
「ううん、昨日は動かなかった」
昨夜も動いていたことに弟は気が付かなかったようだった。
私は自分は動いているのを見たと言おうとした。
しかし、リビングにはあのお雛様がいるのだ。私はお雛様の前で「私も見た」ということがどうしてもできなかった。こわかったのだ。
弟を見ているお雛様はいつもの顔のお雛様なのに、どうして自分を見る顔は怒っていて怖いのだろう。理由は全く分からないけれど、昨日自分が見たことは言ってはいけないことのように思った。
それからも弟は何度かお雛様が動く、と泣くことがあった。
そしてついに、我が家のひな人形はひな祭りの当日を迎えることなくリビングから姿を消し、屋根裏へしまわれた。
それ以来、屋根裏からひな人形が出されることはなくなった。
今思えば、この頃から変なものや怖いものが見えたり聞こえたりするようになったのかもしれない。
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