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それなのに、猫宮まなつはなぜ学校の怪談なんか話し始めるのだ。俺は怖い話は好きではない。貴様はどれだけ人に迷惑をかければ気が済むのだ。
そんな思いが胸中をうずまいたが、このゴーイングマイウェイな女にそう言ったところで「わかんない」とか言われるだろう。だめだ、そんな舐め腐った発言をされたが最後、俺は確実に帰る。しかし、引き受けた以上は途中で放り出すわけにいかない。
「噂とは、女子トイレに幽霊が出るっていう話のことか?」
仕方ないので、メガネを指で押し上げながら猫宮まなつの先刻の問いにそう言葉を返してやった。
猫宮は、ショートボブの髪の毛を耳にかけながら、ポーカーフェイスである。
「まあ、大雑把に言えばそうだけど。厳密に言えば旧校舎の三階女子トイレね」
「ありがちな怪談だな。トイレに霊が出るだなんて」
「でもね、霊は二人いるんだよ」
「二人?」
普通は一人だろう。幽霊が群れるなんて話は聞いたことがない。
猫宮まなつを見れば、二本の指を立て、眠たげな表情を崩さぬままだった。この女には愛想も覇気も足りない。
「その二人はね、姉妹なの」
「姉妹二人とも同じ学校の女子トイレで亡くなっているってことか?」
「そう。姉の方はイジメを苦にトイレの個室で首を吊ったんだって。それで、妹はお姉さんが大好きだったからひどく落ち込んで、お姉ちゃんと同じところに行くって言って、泣きながら同じトイレの個室で同じように首を吊って死んじゃったんだって」
史実に基づいているなら、かなり嫌な話である。姉はいじめが原因で、妹は大好きな姉の喪失により自殺。
彼女らに起こった出来事を考えれば、この世が嫌になる気持ちもわからんではない。でも、親の気持ちも少しは考えてやれ……と冷たい正論のような感想しか出てこないのは、俺が自死を考えるほどつらい目にあった経験がないからだろうか。
まあ何はともあれ。
「それで、その姉妹の幽霊が旧校舎の女子トイレに出没すると?」
「そう。一年の子が話してるのを聞いたの。旧校舎のトイレの前を通りかかるとね、ぎし……ぎし……って音がするんだって」
「……?」
「だから、トイレの個室には荷物とか鞄の紐をひっ掛けておけるやつがあるでしょ? 荷物かけみたいな」
「ああ、あるな」
「それが軋む音がするんだって。まるで、カバンよりもずっと重いものがぶらさがっているような……、人一人分の体重でも支えているみたいに。それで、ロープが切れそうになってる音もするんだって」
その霊が、トイレの個室の荷物を掛ける部分に縄を結んで首を吊ったというのなら、その荷物掛けが支えているのはその首吊り死体だろう。
そして、人一人分の体重に、荷物かけが軋んでいる……そういう話だろうか。
「でも、個室に入って確認しても、何もないんだって。でも、その代わりトイレの床にはちぎれてバラバラになった縄が落ちているらしいよ」
「……わかった。もうわかったから、口を閉ざしてプリントをやれ」
俺はしびれをきらしたかのような口ぶりで机上に広げた紙面を指で叩いた。隣の席に座った彼女は無言で視線を手元にうつす。
かなり不可解かつ不気味な話に俺の肌は少し粟立っていた。だから怖い話は好きではないのだ。
「……できた」
やがて猫宮まなつはそう言って、シャーペンを置いた。
俺の現文に対する学力は人並み以上あるため(ほかの科目については自身の名誉のために黙秘しよう)、思っていたよりもだいぶ早く最後の一枚が終わった。
「出してくるから、君も職員室まで一緒に来て」
猫宮まなつは、リュックを背負いながら言った。
「先生に全部終わったらアイスあげるって約束してもらってるの。君も恩恵にあずかれるかも」
「ぜひ行こう」
俺は鞄を持って猫宮とともに教室をでた。
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