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2.流るる大河の畔で
からん、ころん、と響くは行き交う人の下駄の音。びゅうびゅうと時折聞こえるは、この土地特有の乾いた風の吹きすさぶ音。耳を澄ませれば、ざあざあと近くを流れる大川の音だって聞こえてくる。
真昼間の夕霧町は夜とは違い、琴や三味線の優美な音色も、喧しい客引きの声もなく、此処で暮らす人々の生活音で満ちている。
そんな明るいお天道様の下で、小夏もまた気に入りの下駄をカラコロいわせて歩いていた。
今日はお勤めはなく、そういった日は昼頃寝床から起き出して、行きつけの団子屋に足を運んで御手洗団子を昼飯がわりに味わう。それが小夏の数少ない楽しみの一つだ。
「おばちゃん、おはよう。お団子とお煎茶ちょうだい」
「やあ、小夏ちゃん。今日もお寝坊かい? お早うなんて時分はとっくに過ぎちまったよ」
「だって、ゆうべはお勤めだったんだもの」
「ああ、そうか。あんたはどうもらしくないから、ついうっかり忘れちまうんだよねぇ」
団子屋の女将はそう言って豪快に笑うと、店の奥に向かって注文を叫んだ。奥からは、はいよ、と嗄れた大将の声が返ってきて、小夏はいつも通り店先に並べられた長椅子に腰掛ける。
ふわ、と大きな欠伸を一つこぼして、真上に昇ったお天道様の眩しさに目を細める。そうしているうちに、すぐに皿に盛られた御手洗団子と煎茶が運ばれてきたので、小夏はがぶりと団子にかぶりつきながら風にそよぐ柳の葉をぼんやり見つめた。
異国の黒船がこの国にやってきたのは、もう五十年も前のこと。そして、その黒船に乗ってきた異人に恐れをなした幕府がこの国をあっけなく明け渡したのも、もう五十年も昔のことである。
かの国の属国と成り果てたこの国では、今や大きな体躯の異人さんたちが威張りちらすように堂々と往来を歩き、ちんまりとした元お侍さんたちはお爺さんとなり、彼らの陰で細々と暮らしている──らしい。
そんな世知辛いこの世の情勢も、小夏にとっては店にやってくる客から聞いた話でしかない。どこか遠い、それこそ金色の髪に青い目をした彼らの祖国の話でも聞くかのように、小夏はただ「ふうん」と気だるげに相槌を打つのみであった。
だって、お外の話を聞いたところで、小夏にとっては海の向こうの異国の話とさほど変わりはしない。どちらも彼女からしてみれば縁遠く、そしてこの先も自分が足を踏み入れることなどないのだと、何より小夏が一番よく分かっているからだ。
「ああ、おいしかった。ごちそうさま」
まいどあり、という女将の声を背に、お代を置いて立ち上がる。この後はどうしようかと考えてはみたものの、狭い夕霧町で小夏の行ける所など限られている。小夏は迷いなく大川の方へと足を向けた。
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