いつも心に備え付ける

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 昔は、折り畳み傘を使った後は母に畳んでもらうよう頼んだものだ。  恥ずかしくもあり、申し訳なくもあったが、どうしても畳めなかったので、頼むしかなかった。  そしてさんざん嫌味を言われる。  このくらい自分でやれ、と。  果てはそこから発展し、僕個人の人間性においても卑下される。  根気が無いだの、努力意思が無いだの。  なんなんだ。  ――妻だって同じだ。  僕は大人になってもなじられた。  なんなんだ。  僕だって、自分で出来るなら自分でやるというのに。  でも、どうしても綺麗に畳めないから恥を忍んで頼んでいるというのに、何故奴等は快く応対してくれないのか。どうして逐一嫌味を言って、折り畳み傘が畳めないというだけで、人を下に見てくるのか。  誰だって出来不向きもあれば、出来ることも出来ないこともある。  だから人は助け合って生きているというのに、自分に出来ることを出来ない人間を見つけると、皆、上からモノを言ってくる。  ――良くないと思う。  思い返すと、腹が立つ。  腹も立つし、なんなら(つら)い。  僕は人の卑しさや、他者との比較でしか優越感を感じることの出来ない人類の浅ましい精神構造と、そう進化せざるを得なくしたこの地球という荒んだ生存競争の権化(ごんげ)を憎むしかなかった。
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