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『お・い・で』
声を出さず唇だけで発せられた言葉に、太郎は目を見開く。
「あ、天翔さん」
なんと美しいのだろう。容姿もだが、仕草や目付きひとつで心を揺すぶる男が恨めしくて仕方ない。
恋人の兄、同性、ほとんど知らぬ男――思春期な少年の心を突き刺さばかりの単語が脳裏に湧いては溶ける。
「あ、そ」
躊躇った太郎に天翔は一瞬で表情を消した。
初対面時の月乃に対する返事と同じ言葉を吐いて、再び背を向ける。
「あっ」
追わねば逃す、そう思った。だから半ば倒れ込むように足を踏み出したのだ。
「行きます! 行きますから……」
白い肌の目の下に薄ら浮かぶ不健康な色のせいだろうか。
袖からのぞいた、折れそうなほどの手首のせいだろうか。
――思えばここからすべてが狂ったのだろう。
しかしすでに後の祭り。引き返す術も道もなにもかも、この男子高校生は持ち合わせていない。
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