11人が本棚に入れています
本棚に追加
「ただいま」
家に入ってから、ここ最近、「ただいま」という単語を発していなかったことに気づいた。玄関の鍵を閉める音がやけに大きく響くのは、「おかえり」と迎える恋人の姿がないから。当然だろう。日付をとうに超えた深夜、夜ふかしが苦手な彼が起きているはずはない。頭ではわかっているのに、抑えきれないため息が漏れた。深く息を吐いたって、胸の奥に凝り固まったものが抜けるわけでもないのに。
靴を脱いで部屋に上がる。廊下の突き当たり、ダイニングへと通じるドアの磨りガラス越しに、室内の明かりが漏れていた。消し忘れだろうか。音を立てないようにドアを開けて、思わず目を見開いた。
先ほど脳内に思い描いたばかりの恋人が、食卓に突っ伏していた。彼の前には、ふたりぶんの食器が並んでいた。
スマホを取り出し、ラインを確認する。「今日は帰れそう」という、デスクでコンビニおにぎりの昼食をとりながら送ったメッセージに、「じゃあ一緒に夜ご飯食べよ」と返信が来ていた。勤務中は仕事に追われ、退社後は家に帰ることしか頭になかったので、見落としていたらしい。帰りを待っている間に寝てしまったのだろう。
最初のコメントを投稿しよう!