An end🌱

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An end🌱

◇  あらためて狭い部屋だな、と思う。  カーテンのなくなった室内に陽射しがこれでもかと降り注いでいる。最後に開け放していたベランダを閉める時、排水溝をちらりと覗いた。珂雁が掃除をしてくれたみたいで、例の気色悪い小さな葉は消え去っている。  15年間住んでいた古い団地は取り壊しが決まった。俺がこの小さな世界に帰ってくることはもうない。黄ばんだ天井とも、剥がれかけた壁紙とも、陽射しの暑いリビングとも、隣の部屋から聞こえてくるラジオの爆音とも、もう永遠にお別れだ。  4階から見る景色も、これで最後になる。同じ形の四角い団地群に囲まれて、眺めは最悪。俺の人生の半分以上をこのコンクリートの灰色が埋めてきた。  次に住むところがどんな場所なのかは知らない。だけど、もう俺の世界は広がり始めていた。自販機でお茶だって買える。ゴミを捨てる場所だってちゃんと分かる。分別だってできる。芝生の青さを知っている。海の冷たさを知っている。  海原は怖い。案外他人の懐で生きるのは心地よいものだから。俺は意志がなくとも生きて来れた。  俺と俺以外が存在する世界で、誰の意思も俺にはどうにもならない。だから不安になる。 「夕陽」  名前を呼ばれた。振り返れば珂雁がもう玄関で俺を待っていた。  室内はすべてのものが撤去されている。珂雁は現金以外のものをほとんどすべて捨てた。ほとんど身一つと言っていい。俺と同じ。 「行こうか」  差し出された手を握るのは小さな子どもの手ではない。珂雁と同じくらいの男の手。その手をぎゅっと握り返すと、珂雁は眉を下げて笑った。 「今日はどこに行こうか」 「もうしばらく海はいいな」 了
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