あさがおと夏の夜

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昼間あんなに照りつけていた太陽も忙しなく鳴いていた蝉もすっかりと鳴りをひそめ、夏の夜は小さな虫の音と風によって葉が擦れあう音が静かに耳に届く。 辺りは真っ暗で街灯も遠くにぽつん、ぽつんと立っているだけ。そのため夜空にはたくさんの星も見えた。 小学六年生の真央は夏休みの大半を祖母の家で過ごしていた。 両親とも共働きで毎年夏休みになるとこうして大量の宿題と共に放り込まれるのだ。 祖母の家はほどよく田舎で真央が住んでいる街に比べて少しだけ標高が高い。昼間はクーラーがいる日が多いけれど、夜は比較的心地よい気温になる。 今も縁側を開け放って板の間に寝転がっているが、わずかな風が風鈴を揺らし、チリンと耳障りの良い音を響かせている。 時おり蚊取り線香の独特な香りもほんのりと鼻を掠めていく。 「あー、暇」 持ってきた宿題は最初の二日間は真面目にやったものの、三日目からは面倒くさくなって放置状態。 近くの神社へ蝉取りに出かけたり井戸水で冷やしたスイカを食べたり、それなりに遊んではいるけれど、これも毎年のこと。 見かねた祖母が、趣味の園芸に誘ってくれたりパッチワークを教えてくれたりもした。 楽しくないわけではないけれど、自分だけ毎年こんな夏休みを過ごしている気がしてため息をつきたくなる。 友達の香織ちゃんは家族でハワイに行くと言っていた。美緒ちゃんと夢ちゃんは市民プールに行ったり夏祭りに行ったりするらしいし、恵太くんは新幹線で九州のおばあちゃんちに行くのだと聞いた。 「わたしも田舎のおばあちゃんちだけどさぁ」 家でゴロゴロしているよりはいいのだと思う。けれど他人と比べると、はるかに地味な夏休みを過ごしているのだと思わざるを得ない。 近くに友達がいない、というのも大きな要因かもしれない。 「なんか楽しいことないかなぁ」 真央が呟くと同時に急に強い風が吹き始め、雨戸をガタガタと揺らす。驚いて体を起こすと、祖母が居間から顔を覗かせた。 「真央ちゃん、雨が降ってくるから中にお入り」 「えー、いい天気だよ?」 「冷たい風が吹いてきたからね。ほら、星もあまり見えなくなってきた」 「あれ?本当だ」 先程までよく見えていた星も今ではすっかり雲に覆われてしまっている。薄暗闇でも雲が早く流れている様子が見て取れた。 真央が居間に入り祖母が雨戸を閉め終わったころ、急にバケツをひっくり返したような音が響いた。 「ほら、 降ってきた」 「最近の雨は局地型が多いな」 「おじいちゃん、おばあちゃん、それってゲリラ豪雨って言うんだよ」 いつもより声を張り上げないと会話にならないほどの雨音。 祖父母の家は一軒家、真央が普段住んでいるのは気密性の高いマンションで、なかなかこんな音は聞けない。 物置小屋のトタン屋根に落ちる雨音はまるで太鼓を叩いているようで、雨の酷さがよくわかる。 「明日も雨なのかな?」 そうだとしたら外にも出かけられない。 ぐうたらと家の中でゴロゴロし、やりたくもない宿題を少しだけ進めるべきだろうかと考える。 「もうしばらくしたら止むだろうね。天気予報は明日は晴れだって言っていたよ」 「雨が降るととたんに蒸し暑くなるわねぇ」 冷えるのではないかと思っていた真央だったが、確かに祖母の言う通り、雨戸まで締め切ってしまった家の中は蒸しっと湿気でべたつく。 クーラーとまではいかないが、今夜は扇風機のタイマーでもかけて寝ようかとぼんやりと考えながら居間に布団を敷いた。 ◇ しくしく、しくしく、と誰かが泣いている声で真央は目が覚めた。 まだ夜中らしく部屋は真っ暗でしんとしている。 しくしくしく その声はどこから聞こえてくるのだろうかと耳を澄ます。 あんなに激しかった雨音はもう聞こえないので、雨はすっかり止んだようだ。 祖父母は別室で寝ているが、祖父母の泣き声にしては違和感を覚える。 もっと幼いような、真央と同じくらいの子供のような、そんなか細い泣き声だ。 こんな時間に誰が泣いているのだろう。 居間には真央しかいない。 近所に民家はあるが、小さい子供の姿は見たことがないし、そもそも隣同士は少し離れている。 こんなわけのわからない状況なのに、不思議と怖い気持ちはわいてこなかった。 それよりもこの声の原因を突き止めたいとさえ思う好奇心が勝る。 真央はのそのそと起き出し、泣き声を頼りに襖を開けた。 どうやらその先、外から聞こえているようだ。 祖父母たちを起こさぬよう細心の注意を払いながら、重い雨戸を引く。 僅かに開いた隙間から月明かりが差し込み、雨上がりの生ぬるい臭いと空気がもわっと真央を包んだ。 しくしくしく 戸を開けたことで泣き声が大きくなる。 やはり外から聞こえていたらしい。 「誰かいるの?」 小さく呼びかけるとピタリと泣き声が止み、辺りがしんと静まり返った。 「……ここ」 僅かに声が聞こえて、その声を頼りに真央は外へ顔を出す。 キョロキョロと見まわすも、声の主の姿は見えない。 「もっと下」 「えっ?下?」 言われるがまま目線を下に落とすと、視界の端に揺らめきを覚えそちらに顔を向ける。 そこには青と白のコントラストが綺麗なドレスを着た少女が、じっと真央のことを見ていた。 だがそれはあまりにも小さい。真央の手のひらに収まるサイズだ。 「あなたは誰?」 真央が首を傾げると、少女は涙を拭ってじっと真央を見た。 「私はアオ。あさがおの妖精。困っているから助けてほしいの」 「あさがおの妖精?」 見れば少女――アオは、祖母が育てている鉢植えのあさがおの葉に座っている。 「どうしたの?」 「これを見て」 アオは着ているドレスを大きく広げる。裾がフレアスカートのようになっており、美しく波打った。だが、真ん中から裾に向かって大きく裂けてしまっているではないか。 「ダンスの練習をしていたら大雨が降ってきて、雨が強くて破れてしまったの」 「うわあ、ひどい。ちょっと前まですごい雨だったもんね」 「これじゃあパーティーでダンスを披露できない」 アオは顔をくしゃっと歪めると両手で顔を覆ってまたしくしくと泣き出してしまった。 「ねえ、私のおばあちゃんが裁縫得意だから、頼んであげようか?」 「本当?直してくれるの?」 「うん、きっと縫ってくれると思う。パーティーはいつなの?」 「満月の日。月と太陽が交代する頃」 アオは空を指差す。 指差す先には月が煌々と輝き、その姿は真ん丸だ。 「満月って今日じゃないの?月が丸いよ」 「本当だ!ダンスの練習に夢中になっていて気付かなかった」 「ええっ。じゃあおばあちゃんに頼むのは無理だよ。寝てるもん」 「どうしよう。やっぱりパーティーに出られない」 アオはいよいよ肩を落とし、裂けたドレスの裾を擦り合わせて涙に暮れる。 ふと、昼間祖母に習ったパッチワークのことを思い出し、真央は一度居間に戻った。 途中で放置したパッチワークをまだやるかもしれないからと、祖母は片付けないでいてくれた。だから裁縫箱が出しっぱなしになっていたのだ。 「ドレス、私が縫うよ」 「本当?」 「あ~、でも私普通に縫うことしかできないから、おばあちゃんみたいに綺麗にはできないよ」 「パーティーに間に合えばそれでいいよ」 アオはいそいそとドレスを脱ぎ、真央に手渡す。 手のひらサイズのアオが着るドレスなので小さく、当然縫う範囲もほんの五センチ程度のものなのだが、裁縫初心者の真央にとってみれば大仕事だ。 「同じ青色の糸がないの」 「他には何色の糸があるの?」 「これだけだけど」 真央は比較的色が揃っている刺繍糸をアオに見せる。 アオはうーんと考えたのち、ドレスの青色に近い紫色を手に取った。 「これ。これで縫ってほしい」 「わかった。がんばる」 紫色の糸を抜き、針も一本用意する。針に糸を通してまだコツを得ない玉止めを何度か失敗しながらとりあえずの準備はできた。 「ねえ、パーティーはどんなことをするの?」 「ダンスを披露して、殿方を射止めるのよ」 「とのがたをいとめる?」 「そうなの。満月の夜、月の光をたくさん浴びて力を蓄え、太陽が昇る頃ダンスを披露するの。ドレスを綺麗に翻しながら踊ると殿方の目に留まりやすいのよ。そうして結ばれると、私たちは種になってまた来年も生まれることができる」 「ん?それって、アオは一年しか生きられないってこと?」 「もっと短いよ。夏の間だけ。あと、ダンスを披露するのは一日だけ」 「じゃあアオは今日のパーティーが終わったら死んじゃうの?」 「種に生まれ変わるだけよ。だって私はあさがおだもの」 クスクスとおかしそうにアオは笑った。 ドレスを真央に託して、アオは葉の上でクルクル回ったりとダンスの練習をしながらドレスが出来上がるのを待っている。 真央は一針一針慎重に進めながら、毎日ぐうたらと過ごしてしまっている自分を戒めるような気持ちになった。 しばらく無言のまま真剣に縫っていた真央だったが、最後の玉止めを終えてふうと息を吐きだした。 「できた」 「ありがとう」 「でも、なんかガタガタ」 縫うには縫えた。 あんなに裂けてしまっていたドレスもきちんと塞がっている。 ただ、縫い目がひどくガタついていてお世辞にも綺麗とは言い難い。 「なんか、ごめん。やっぱり上手くできなかった」 「ううん。縫ってくれただけで嬉しい。ありがとう」 アオはさっそくドレスを身にまとい、その場でクルクルと回ってみせた。 裾がふわっと広がり、とても優雅に見える。 ただし、少し色の違う紫色の糸がなんとなく違和感を醸し出している。 祖母だったらもっと綺麗に縫えたのに。 もしかしたら刺繍とかも施してくれたかもしれない。 ああ、もっと時間があったらよかったのに。 なんだか申し訳ない気持ちになりながら真央は針と糸を片付ける。 裁縫箱の奥にキラキラとした粉を見つけ、「あっ」と真央は小さく声を上げた。 「ラメを付けるのはどう?」 「ラメ?」 アオは不思議そうに首を傾げる。 真央は裁縫箱からラメの入ったケースを取り出してアオにこちらに来るように手招きする。 「これをドレスに振りかけたらキラキラするよ。そうしたら少しは縫い目もわからなくなるかも」 「素敵!どうやって付けるの?」 「えーっと、確か……」 以前祖母に教えてもらったことを思い出しながら、真央はグルーをドレスにちょんちょんと付け、その上からラメをパラパラと振りかけた。 「回ってみて」 「うん」 アオは葉っぱの上でクルクルと回る。 すると余分なラメは剥がれ落ち、ちょうどいい具合にドレスがキラキラと輝いた。 「可愛い!」 「とっても素敵!」 嬉しそうに踊るアオを見ていると真央も自然と笑顔になってくる。 縫い目のガタつきもこれで少しは軽減されただろうか。 ふと、袖を引っ張られる感覚に視線を落とす。 「えっ?」 真央の傍らには、アオと同じく手のひらサイズの妖精たちが列をなしていた。 そのどれもが、青や赤、ピンクといったアオと同じ形のドレスを纏っている。 「私たちにもそのキラキラを付けてほしいの」 「お願い〜」 月はだいぶ西の空に傾いている。 東の空からはもうしばらくしたら太陽が出てくるのだろう。 真央は大急ぎで妖精たちのドレスにラメを付けてあげた。 妖精たちは口々に「可愛い」「ありがとう」とお礼をいい、クルクルと踊り始めた。 たくさんの妖精たちがドレスの裾をひらひらと舞わせながら踊る様はまるで花が咲いたよう。 色とりどりの美しい光景に目を奪われていると、ふとタキシードを着た妖精も混じっていることに気づいた。 ドレスを着た妖精とタキシードを着た妖精がペアになり、優雅なダンスを繰り広げる。 まるで何かのお祭りを見ているかのようで、真央の気持ちも浮足立った。 「ねえ、あなたの名前を聞いてなかったわ」 「私?私は真央だよ」 「マオって言うのね。私の名前と似てる」 「ふふっ、本当だ」 真央とアオ、ニ人顔を見合わせてクスクスと笑う。 西の空がうっすらと明るく山の派が白々としてきた。 パーティーは終盤に差し掛かっている。 急に物悲しい気持ちになって、真央は尋ねる。 「また、会える?」 「会えるよ。マオが種を蒔いてくれたら」 「種?」 アオの傍らにはタキシードを着た妖精。 「そっか、素敵なとのがた?が見つかったんだ?」 「うん、そうなの。マオのおかげ」 ニッコリと微笑みながらアオはくるりと回ってドレスを翻して見せた。 ふわっと広がった裾はキラキラと輝き、不思議な魅力に溢れている。 アオとパートナーは手を取り合い、真央の前でたおやかにダンスを披露した。 真央は幸せな気持ちになりながら、その光景をずっとずっと見ていた。 ◇ 目を覚ますと祖母が雨戸を開けているところだった。 建付けがあまりよくなく、一回引くごとにガタタッと大きな音がする。 外はすっかり日が昇り、サンサンと日差しが差し込んでいる。 蝉の活動時間も始まり、ミンミンと元気いっぱいだ。 「ふわぁぁぁ~」 大きなあくびをすると、「真央ちゃん新聞取ってきてくれる?」と祖母が朝から忙しそうにバタバタしていた。 「はぁーい」 眠い目をこすりながらパジャマのまま外へ出ると、今度はキジバトがホーホーホホーと鳴いている。 まだまだ夏だなぁと思いながら郵便受けから新聞を取り玄関へ踵を返す。と、ふと鉢植えが目に留まった。 「うわぁ、あさがおだ!」 昨日までは咲いていなかったあさがおが一斉に花を咲かせており、見事なまでに玄関脇を彩る。 青、赤、紫、ピンク。 朝日を浴びてキラキラ輝くあさがおたちを見て、ふと思い出す言葉。 ――会えるよ。真央が種を蒔いてくれたら 真央は洗濯物を干している祖母に向かって呼びかける。 「おばあちゃーん。あさがおが種になったら取っておいてね。私が植えたい」 あの出来事は夢だったのだろうか、現実だったのだろうか。 どちらにせよ、あさがおが夏休みに彩りを添えてくれたことは間違いない。 真央ははやる気持ちを抑えながらじょうろで水をやる。 細かな水滴が花びらにかかり、それはまるでラメのように太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。 【END】
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