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仮にあたしが自分で死を選ぶとしても、誰にも悼まれたくはない。死んだことすら誰にも知られたくない。社会秩序を維持するために定められたこの国の法律が「見つからないし、とりあえず、死んだってことにしますね」と決めてくれるまでは見つからないように……と願いながら、この世に生まれ落ちて以来、久々に自分の心臓を止める場所を探すだろう。
現代に生きるほとんどの人間が、雨をよける傘は持っているのに、自分にとって必要のない情報から身を守る術を持ち合わせていない。みな、顔も名前も知らない他人の生き死にや苦難に呼応するように自らの心を冷たく濡らして、悪くすればそのまま砕いてしまうことさえある。雨垂れがやがて石を穿つかのように、その一滴を目や耳に入れさえしなければ、今も生き永らえていたはずの命が、これまでに一体いくつ失われたのだろうか。
あたしにとってのそれは「ゼロ」か「たくさん」でしかないけれど、たいていの人間は具体的な数字を求めたがる。それを知ろうとして、よせばいいのに余計に首を突っ込む。そして勝手に傷ついては「本当に痛ましい」「憤りを感じる」「生きている自分たちは、彼らの分も精いっぱい生きて~」とすり替える。なんともふざけた話だ。誰かの命が失われたことと、自分が今後も生きなきゃいけないことは別問題なはずだ。「あなたがいないと生きられない」という言葉が真実であり真理であるなら、この球体の重さは、今の半分以下になっていなければおかしい。
しかし、そうでもしないとうっかり死んでしまいそうだから、他人の苦しみや死までもを、自分の生きるエネルギーに変換しようとするのだろう。次から次へと、曲がひとつ終わるたびに、相手をとっかえひっかえ。
終わりのないダンスに興じる人類。
きっとその「ダンス」を言い換えると「人生」になるのだと思う。
この世界を生き抜くために必要なのは、余計なものは受け流すことではないだろうか。全方位から向かってくる誰かの身体を、軽やかにステップを踏みながら躱し続ける。そして、空から身体を濡らしてくる雨の雫すらも、自分を輝かせるエフェクトのひとつとして活用する。交差点に開く色とりどりの傘は舞台装置。雨音は喝采。雲の切れ間から降りそそぐ光はスポットライト。
空模様が表す悲しみ、苦しみ、やるせなさ。いくら重苦しくても、冷たくても上等だ。
あたしはそれに合わせて黒いワンピースを着て、スクランブル交差点の真ん中で、この世界に生きる誰よりも華麗に踊ってやる。あたしはまだこの人生に満足しきっていない。やったことより、やっていないことの方が多い。
生きたい。
だから、まだ生きなきゃいけない。
発想の順序さえ誤らなければ、この世界は割と美しいステージだ。
あたしには、無駄な時間などない。
今、明日、数十年後。いつになるかわからないけれど。
いつかこの身体から熱が失われるその瞬間まで、踊り続けていたい。
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