子犬のあいつ

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「すいません。私は昼間助けていただいた子犬です」 ある夏の夜、俺の住んでいるボロいアパートの扉の前であいつはそういった。当時俺は半分無職のようなもので、安いアパートぐらしだった。取り敢えず外は暑いので中にはいってもらったが、家の中は外と同じか、それ以上の暑さだった記憶がある。 「わりいな、冷房ついてないんだわ」  そう謝ってから、俺は少し息を吸い、 「で、あんただれ」  と問いかけた。目の前に座っていたあいつはいかにもそういうやつがするような仕草で 「ですから、昼間助けていただいた子犬ですよ。覚えていらっしゃらないんですか」  と逆に聞いてきた。  あんたは子犬でもなんでもないじゃないか。俺が子犬を仮に助けていたとして、お前には関係のないことだろ。それに覚えているも何もそもそも子犬なんざ助けていない。  そう言ってやると 「謙虚ですねぇ」  なんて的はずれなことをいいやがった。 「とにかく、俺は子犬を助けてなんていないんだ。さっさと出てってくれ」  しびれを切らした俺がそう詰め寄ってもあいつは怯まずに俺のうちに居座り続けた。当然生活費はそれまでの倍になる。俺は会社に就職した。中堅会社だがなかなかいい給料なのだ。今もそこで働いている。  ある日帰ってくるとあいつはいなくなっていた。俺はあいつを探し回った。家の中だけじゃない。近所一帯全部だ。交番にも届けた。とにかく不安でしょうがなかった。なにが? と聞かれても答えられないが、いうなればそれはきっと焦りなのだろう。いつかあいつがいなくなるときがくる気がしていた。  そうして何日が過ぎただろう。会社の用事でふと小さな公園の横を通り過ぎたとき、懐かしい気配がした。慌てて横を見る。一瞬茶色い何かが横を走りすぎていった。ちょうど子犬くらいの大きさの何か。  結局のところ、あいつは何だったんだろう。俺は今でもあいつを探している。
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