伊藤くんと渡辺くん(仮)

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「渡辺くん、おはよう」  高校までの山道の前の信号で、隣のクラスの伊藤が話しかけてきた。  おれにとって、学校ってのは自分の人生の苦しい部分を忘れられるところだった。毎日バイトと部活に追われて、母さんと姉ちゃんとの楽しい思い出だけを考えることができる。  だから誰にも邪魔されずに楽しく過ごしたかったから、別に正義感とかじゃなくてただそれだけで目の前のいじめを止めた。殴られてる奴が無抵抗なのもムカつくし、それを笑って「俺強いわー」って勘違いしてるやつもムカつく。だからその場でただおれは「おい、やめろ」って言っただけだ。なのにそのいじめられてた伊藤に「僕を助けてくれてありがとう」なんか言われて、付きまとわれるようになった。別にいいんだけど、今まで関わってきたことがないから少し緊張する。 「おはよ」 「寒いね、カイロ持ってきたんだけどいる?」 「あ、まじ?ありがと」  伊藤は嬉しそうにリュックの外ポケットから袋に入ったカイロを出した。伊藤はおれと一緒にいるようになってから、あのいじめてた弱虫共に絡まれなくなったらしい。その恩恵からかおれにすごい尽くしてくれる。そんなのいらないって何度も言ってるけど、伊藤が「そうすることの方が僕は幸せなんだ」っていうから断れなくなった。  伊藤のことは今まではあんまり知らなかった。バイトと部活で忙しかったし。ただ隣のクラスにめっちゃ頭いいやつがいるっていう印象。国公立の医学部に行こうとしてるらしいから、そりゃあ頭が良いんだろうなと思う。  そんな伊藤と一緒に登下校し始めて一ヶ月経った。 「渡辺くん、もし良かったら僕と一緒にお昼食べてくれないかな?」 「うん。おれいい場所見つけたからそこで食べよ」 「ありがとう」  いっつもお昼食べたり学校に行ったりするくせに、今でも許可を求めてくる伊藤に最初は訳がわかんなかった。自信がないからそういうことばっか聞くんだろうけどさ。周りのやつはたまに「なんで伊藤と最近仲良いんだ?」って聞いてくるけど、伊藤の面白い部分はおれしか知らないんだって思うとワクワクする。  伊藤はすっごい物知りだ。勉強以外のことにも詳しくて、小説とかテツガクとか映画の話をしてくれる。おれにとってその話を聞くときが一番楽しい。学校にいる中でその時間が一番楽しかった。伊藤はいつも控えめなんだけど、おれが「最近見た映画って何?」って聞くとまるでダムが決壊したみたいに勢いよくバーっと話し出す。今日のお昼ご飯の時間もそれで終わったけど、伊藤はいつも「たくさん話してごめんね」と言う。 「嫌じゃないから聞いてんだよ。大丈夫」っていっつもおれは言うんだけど、そうすると伊藤はいつもへにゃっと笑うんだよね。変なやつ。  そうやっておれと伊藤が仲良くしてからだいぶ経って(多分秋から仲良くし始めてたから二ヶ月くらい?)、伊藤の塾が終わる時間とおれのバイトが終わる時間が同じ時は一緒に帰るようになった。一緒に駅まで話しながらゆっくり歩くのがおれにとって楽しい時間になった。伊藤とお昼ご飯を食べる時間も、通学する時間も、帰る時に話す時間も楽しくて、伊藤がいなかった頃の自分を思い出せなくなった。  伊藤もおれといることを選んでくれるし、おれもそれを選ぶ。友達っていうのはそういうふうにできていくんだと思った。高校二年生にもうすぐなるってのに今更だ。  
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