37人が本棚に入れています
本棚に追加
本当のこと
紫は引きこもりの妹だった。
双子なのに全然似てなくて、姉の藍が活発なのに対して妹の紫は極度の人見知りだった。
人と関わることが苦手だった紫は幼稚園の頃から友達ができず、園内を一人で過ごす姿を藍は何度も見てきた。
小学校にあがると紫は完全な登校拒否児になった。
外出することもなく、一緒に遊ぶ友達もいない紫が外の世界に触れる機会はぐんと減った。
唯一外部との繋がりとして、週末に担任がプリントを届けに来たが紫が口を開くことはなく、紫の世界は閉じたままだった。
学校にも行かず一日を家のなかで完結させる紫。
家族は「紫なら大丈夫」とのほほんと笑っていたが双子の姉の藍は妹の現状に不満を抱いていた。
皮肉なことに、家族が紫を大丈夫と言う理由と藍が不満を抱える理由は共通していた。
紫は絵が上手かった。
それも類い稀なる圧倒的な才能。
世に出せば高く評価されるだろう才能を、妹は世に出すどころか家族以外の誰にも知られていなかった。
もったいないと思った。
同時に悔しかった。
妹の才能が誰の目に触れず家のなかで終わってしまうのが。
「好きなものがあれば楽しく生きていける。なにも悲観することはない」
そう言って紫の頭を撫でる家族に藍はそうじゃないだろ、と思った。
藍は紫の絵をいろんな人に見てほしかった。
私の妹はこんなに素晴らしい絵が描けるんだぞ! 凄いんだぞ! と知ってほしかった。
絵を見た皆が紫を褒めてくれて、その輪のなかで楽しそうに笑う妹の姿が見たかった。
でも、それを本人が望んでないことも知っていた。
学校行って絵を描いてみなよ。紫ならあっという間に人気者になれるよ。
そう藍が話しかける時も、紫は部屋で絵筆を離さず画用紙から目をそらさなかった。
「……私は絵が好きだから描いてるだけ。それを人気者になるための道具にしないで」
紫の答えはいつも同じだった。
最後に筆を置き紫は藍に言う。
「ありがとう。お姉ちゃんが私のこと考えてくれてるのは分かってる。でも、私は家族とか大切な人たちに見てもらえれば充分嬉しいから」
紫が外に出る時は画材を買いに行く時だ。その日も紫は近所の画材店に行くはずだった。
しかしその途中で交通事故にあい紫は搬送先の病院で眠り続けていた。
家族たちの必死の祈りのなか紫は数日後に病室で目を覚ました。
「あなたたち……誰?」
両親と藍を見て混乱する紫の姿に藍はああ、と察してしまった。
今までの紫は帰ってこないと。
「私は……誰?」
紫はこれから新しい人生を歩むのだろう。過去の自分を置き去りにして。別の人として。
それならいっそ。
呟く彼女に藍はとっさに言ってしまった。
「あなたの名前は藍。私の双子の姉だよ。おかえりお姉ちゃん」
紫は記憶喪失だった。
事故に遭うまでの、これまでの記憶を全て失っていた。
失ったのは自分自身の記憶と自身をとりまく人間関係の記憶。
驚くことに学習能力……計算や漢字などの年相応の学力は損なわれずに済んだ。
一番損失を恐れていた絵の才能も健在だった。
紫は藍に。
藍は紫に。
藍は自分の境遇を紫に渡すことによって妹の再出発を試みた。
紫にまた同じ人生を歩ませるぐらいなら自分の立場を与えよう。
記憶を失った紫は藍として楽しく学校に通っていた。
絵の大会で賞をとったと嬉しそうに帰ってきた。
今度友達とお祝いパーティーするんだと楽しそうに語る元妹の姿は前までの妹と別人で。
明るく気さくな彼女はまるで自分のコピーを見ているようだった。
なら、原本はどうする?
最初のコメントを投稿しよう!