1人が本棚に入れています
本棚に追加
また雨が強くなった。滝のような雨がフロントガラスを打つ。前を走る車は、テールランプの明かりだけが辛うじて見える。こんな雨の中で強盗を決行したとしても、現場から逃げるために歩いて最寄りの駅まで行くには、濡れネズミを覚悟しなければならない。
今夜は中止だ。俺はそう決めた。目的地をM町から近くの駅に変更したいと告げようとしたとき、運転手の方が先に口を開いた。
「じゃあ、こんな話は聞いたことありますか。雨が強く降るある夜のことです」
俺はタクシーを降りることに決めたんだ。だから、あんたの話に付き合う気はないんだ。俺は運転手の話を遮った。
「気が変わった。最寄りの駅で降ろしてくれ」
俺の声が聞こえなかったのか、運転手は構わずに話を続ける。
「一人の男をタクシーが乗せました。男は目的地を告げます」
「聞こえなかったのか? 最寄りの駅で降ろしてくれ」
今度は聞こえたはずだが、運転手は話を止めない。
「しかし、途中で男は大通りから脇道に入るように言います。タクシーは脇道に入り、人通りのない道を走ります。男は車を止めるように指示します。車が止まると、男は『おい』と言って、運転手が振り向いたところを金槌で頭を殴ります。男はタクシー強盗だったんです」
運転手は俺の犯罪をまるで見たかのように話した。まさか、あの哀れな運転手に聞いたのか。しかし、哀れな運転手は死亡したと新聞に出ていたからそれはあり得ない。どういうことなんだ。
「その話は初めてだな。新しい都市伝説か?」
俺は内心の動揺を悟られないように平静を装った。
「都市伝説じゃありません。事実なんですよ。なぜなら、その運転手は私なんですから」
運転手は制帽を取ると、こちらに顔を向けた。その顔の右半分は頭から流れ落ちた血がこびりついている。
「ひいー」俺は叫び声を上げた。
「この世に未練がありましてね、成仏できないんですよ。どうしても私を殺した犯人に復讐したくてね。さあ、私と一緒にあの世へ行きましょう」
不意に、雨音が止んだ。車の外を漆黒の闇が覆う。その闇の中を俺と亡霊を乗せたタクシーは進んで行った。
最初のコメントを投稿しよう!