2話 冬のハエトリグモ

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「大事なこと……」 ん? 見れば、ミスジは片手で口元を覆った姿のまま、じわじわと頬を赤くする。 「いや別にっ、俺がお前を大事だってことじゃなくてだな!? ええと、ほらっ、生死に関わる事は、お前にとって重要事項だろ!?」 「……そうですね」 どうしてわざわざ否定したんだ俺。 ミスジがこんな風にしゅんとすると胸が痛むって、分かってる癖に。 こいつを大事だと思っている事なんて、もう疑いようもない事実なのに。 ああ……そうなんだよな。 一緒に暮らすうちにすっかり絆されてる。その自覚はある。 なんつーか、普通にいい奴なんだよ。 世間知らずではあるけど、よく働いて、健気だし。真面目だし。可愛いし。 人が良いって言葉を蜘蛛に使うのもどうかと思うが、人の嫌がることをしない根の良い奴なんだよな。 俺のこと慕って来てくれたってだけで十分嬉しいのに、こいつ……人生の最後に俺に恩を返して死ぬ気でいたのか……。 「……何とか、ならないのか……?」 尋ねる俺の声は、自分でも驚くくらい頼りなかった。 「こーたさん……」 ミスジは食器と布巾を置くと、遠慮がちに俺の手に触れる。 まるで俺を慰めるように。 温かい。この手の温もりが永遠に失われてしまう日が、もうそこまで来てるってのか……? 「そうですね……。寒くないところでじっとしていれば、越冬できそうな気はしますが……」 ミスジが言葉を探しながら紡ぐ。俺を傷付けないように気遣ってるんだろうか。 俺よりひとまわり小さな手を包むようにして握り返した。 「……」 途切れた言葉に、続きを知るのが急に怖くなる。 黒目がちな瞳を覗き込むと、ミスジは申し訳なさそうに苦笑した。 「……ごめんなさい。ぼくも冬越しは初めてで、よくわからないんです」 「そうか……。わからないんじゃ仕方ないな」 俺は、それでも俺のために笑ってくれるミスジの頭を撫でてから部屋を横切ると、ノートパソコンを手に取ってベッドに腰掛ける。 「とりあえず検索してみるか」 『ハエトリグモ』『越冬』で検索してみれば、ミスジの言う通り木の皮の隙間だとか、他の生き物の繭だとか蜂の巣の残骸だとか、それぞれが思い思いに暖かそうな場所を見つけて越冬に挑んでいるようだ。 「なるほどな……」 顎を指で撫でながら呟く俺の隣に、食器を片付け終えたらしいミスジが遠慮がちに腰掛ける。 俺とミスジの間に空けられた一人分ほどの隙間は、俺への配慮の表れか。 ミスジは……本当は、この距離を詰めたいと思ってるんだろうか。 それとも、俺への好意は全て恩を感じているからで、こいつにとって大事なのは恩を返すことで、……それさえできれば、方法は何だって構わないんだろうか……。 「何か分かりましたか?」 小さく首を傾げて俺を窺うふわふわのオレンジ髪。 俺が『パソコンの画面は俺が良いと言ってから見るように』と教えて以降、それを忠実に守っている。 「見てごらん」 言って画面を向けてやると「わぁ」と小さな声が上がった。 画面には、白い糸でふわふわになった空間に収まって冬を越す様子のハエトリグモの写真が大きく映し出されている。 「これはあったかそうですね。ぼくもこんな風にすればいいんですね、勉強になります」 ミスジは画面を食い入るように見つめながら、先輩蜘蛛達の糸の張り方をじっくり観察している。 「いやまあ、俺の部屋をこんな風に糸だらけにされちゃ困るけどな。とにかく暖かくしてれば命の危険は無さそうだ」 俺の言葉にミスジも嬉しそうにしている。 「それじゃあ、ぼくはまだ、こーたさんのお側にいられるんですね」 「そうだな」 これで一安心だと、俺はホッとしていた。 「お前は冬の間、家の中で暖房しっかり入れてあったかくしてるんだぞ」 「はいっ♪」 にっこり微笑むこの可愛らしい青年と、冬を共に過ごして、暖かな春を迎えるのだと。 俺は単純にも思い込んでいた。
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