2話 冬のハエトリグモ

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十二月にもなれば気温はさらに下がり、ミスジはどんなに着込んだところで、散歩にも買い物にも行けなくなった。 俺は日中のほとんどが大学とバイトで忙しく過ごしていたが、クリスマスにはバイト代でミスジに何か買ってやりたいと思っていた。 やっぱスマホかな……。 『家で暇な時に見ていい』と、ノートパソコンにはミスジのアカウントを作って、動画が見られるようにしてあるんだが、ミスジはそこでどういうわけか編み物に興味を持ったらしい。 俺が編み物セットを百円均一で調達してくれば、毎日色々と作っていた。 料理の動画もちょこちょこ見ては研究しているらしく、最近は手の込んだ料理だけでなく、スイーツまで時々出てくるようになった。 スマホがあればそういうのの写真を撮ったり、俺に連絡も楽にできるしな。 今もパソコンから片言のメールが送られてくることはあったが、キーボード入力はまだまだ苦手そうなので、スマホの音声入力の方がずっと早いだろう。 バイト中にそんなことを考えていると、後ろから突然声をかけられる。 「ちょっと早いけど、もう今日は上がっていいよ。タイムカードは私が押しておくから」 俺より十歳ほど年上の、メガネとエプロン姿のひょろっとした男性。 この人は、俺がバイトする靴屋の店長だった。 「いいんですか?」 「うん。というか早く帰らないと電車が止まっちゃいそうだからね」 言われて窓の外を見れば、朝からチラチラと舞っていた雪は今もしつこく降り続いていた。 「じゃあ、お言葉に甘えて……」 頭を下げて、帰り支度をする。 この辺じゃ十二月に雪ってだけでも珍しいのに、こんな一日中降るなんて……。 ミスジが寒がってないといいけどな。 エアコンだけだった1Kには、ミスジのためにヒーターとホットカーペットも買い足していた。 『これなら寒くないですねっ♪』 そう言って笑うあいつの姿を思い出しながら上着に袖を通し、鞄に手を伸ばした時、不意に目の前が暗くなった。 何だ!? 「停電かな。城崎くん大丈夫かい? 今懐中電灯を持ってくるから、そのまま動かないで……」 ……停電……? 店長の言葉に、俺はようやく気付いた。 ミスジのために俺が用意して暖房器具は全て、電気式だった。 エアコンも、ヒーターも、ホットカーペットも。 電気が途絶えれば途端に熱を失うだろう。 くそっ。こんなことならせめてカイロでも箱買いしておくんだった……!! 停電の範囲が知りたくて、俺はスマホでブラウザを開く。 しかし画面は読み込まれない。 右上のアンテナ表示は、電波そのものが途絶えている事を伝えていた。 ……まさか、大規模停電なのか……? 焦りがどうしようもなく俺の息を絞る。 自宅まではここから電車で四駅ある。 せめて自宅付近の電気が無事であることを祈りながら、俺はミスジの待つ家を目指して歩いた。 外は、街灯の灯りも信号機の灯りもなく、雪だけが静かに降り続けている。 店長にはこの暗い中動かない方がいいと言われたが、歩いて帰る以外に俺にできる事は無かった。 スマホをライトがわりに道を照らしながら歩く。 家までの道がわからなかったので、駅まで出てから線路に沿って歩いた。 雪にも道にも慣れない俺は、見えない段差に何度も躓いた。 一際派手に転んだ時、足元を照らしていたスマホの画面にヒビが入った。 堪えきれず涙が滲むのは、寒さなのか、痛みなのか。自分自身への怒りか。 どうして、家にいれば大丈夫だなんて思っていられたのか。 もっと早く、あいつの好きにさせてやっていれば。あいつを惜しみなく手放していれば。 きっと今頃ミスジはちゃんと越冬できそうな場所を見つけて、停電だろうと関係なく、暖かく安全に過ごしていたはずなのに……。 俺の我儘で。俺が、部屋に閉じ込めた。 だからミスジはきっと今頃寒さに震えている。 どうしたらいいのか俺に尋ねようにもメールは届かない。 せめて電話だけでも持たせていれば……。いや、広範囲で電波が死んでいればそれも無意味か。 停電なんて現象、教えていなかった。 パソコンで調べようとしてもできなかったとしたら、あいつは今頃一人きりで、どんなに不安でいるだろう。 スマホの画面をチラと見る。 バキバキにひび割れた無惨な姿は、今の自分のようだった。 停電が発生して、もう一時間以上になる。 電車でたった四駅、いつもならバイト先から家までは二十分もかからないのに。 今すぐ飛んで帰りたいと気持ちだけが逸るのに、俺はようやく三つ目の駅を過ぎたところだった。 駅前にはどこもタクシーを待つ列ができていて、その列の長さに毎回並ぼうか歩こうか悩んでしまう。 最初の駅でタクシーの列に並んでいれば、今頃もう家に着いていただろうか。 もう後一駅。 もう靴の中はべしょべしょで、寒さに痺れる足先は感覚が鈍っていた。 けど精一杯早歩きをする上半身は汗だくで、心だけは早く早くと焦る。 部屋の室温はどこまで下がってしまっただろうか。 ミスジは、せめて布団にでもくるまっているだろうか。 暖かくならない暖房器具達を前に、俺に教わった手順を何度も何度も繰り返しただろうミスジを思うと、じわりと視界が歪む。 雪が降る予報はされていたのに。 どうせすぐ止むだろうと、積もることなんてないと思っていた。 雪がちょっとでも積もれば、この辺の交通網がこうなる事は分かっていたはずなのに。 アパートが近付いて、俺は駆け出していた。 凍った雪に何度も滑りながら、不恰好にあちこち擦り剥きながら。 それでも、走ることをやめられなかった。 三階まで階段を駆け上る。 かじかむ手がうまく動かない。 鍵穴に鍵を差し込むのに、こんなに手間取るなんて。 「ミスジ! 生きてるか!?」 ドアを開くと同時に叫ぶ。 あんなに明るく暖かかったはずの俺の部屋は真っ暗で、しんと静まり返っていた。
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