2話 冬のハエトリグモ

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こんなに着たままの体を抱き締めたって俺の熱が伝わらない。 意識のないミスジの服を脱がすのはなんだか気が引けたが、これはあれだ。人命救助ってやつだ。他意はないんだからな。 誰にともなく言い訳をして、一枚、また一枚と服を脱がしていけば、素肌までもう少しというところでようやくほんのりと温かみを感じた。 まだ、生きてる……よな? その温もりを逃さぬよう両腕で強く抱きすくめる。 柔らかなオレンジの髪が俺の肩口をくすぐった。 シンと静かな白い布団の繭の中で、胸元に伝わる微かな心音。 ああ、まだ生きてる……。 喜びに俺の身体がカッと熱くなる。 けれど、そんな俺の首筋にかかるミスジの息は俺の肌よりひやりとしていた。 「ミスジ、今温めてやるからな……」 俺は必死にミスジの回復を願いながら熱を与えてゆく。 「もう……大丈夫だぞ……」 ぐったりと力を失っているミスジの背を何度も何度も撫でさする。 頼む。大丈夫であってくれ。 間に合わなかったなんて、言わないでくれ。 お願いだ……。 冷え切っていた自分の足が温まり始めた頃、火にかけていた鍋の蓋がカタカタ鳴り始めた。 ああ、鍋の火を弱めないと……。 強烈な離し難さをなんとか抑え込んで、ピッタリと抱き寄せていたミスジを離して布団でもう一度包む。 ミスジは湯船に浸かる事を怖がっていたが、湯で絞ったタオルで体を拭く姿は目にした事がある。 蒸しタオルをいくつか用意して……いや、体を濡らしてしまうと気化熱で逆効果か? 湯たんぽでも買ってくればよかったな。 何か代わりになるようなもの……。魔法瓶にでも入れるか? いや外側はあったかくならないか……。 ひとまずお湯は弱火でフツフツやって、部屋を蒸気で温めよう。 火を両方とも弱めて、お湯をお玉で掬う。 流しのボウルで水と混ぜ、触れられる温度にして蒸しタオルをいくつも作る。 ミスジが濡れないようにそれをビニール袋で包むと、俺はまたクローゼットの布団の繭へ戻った。 「ミスジ……」 声をかけても返事はない。 このまま、ずっと目を開かなかったら……。 湧き上がる恐怖心に気付かないフリをして、俺はミスジを膝に抱き抱えると、ホカホカのタオル入りビニール袋をミスジを囲むように並べる。 うん、これは結構あったまるな。 布団の繭の中は、俺にはちょっと暑いくらいになってきた。 青白かったミスジの顔色も少し戻ったような気がするが、スマホ画面の明かりではよくわからないな。 スマホもそろそろ電池が切れそうだ。既にバッテリーの残量マークは赤色になっていた。 繭の隙間からちらりと覗いた窓の外は相変わらずの真っ暗闇。 今まで真夜中だってこんなに暗くなった事は無かったのにな……。 胸元に抱き寄せたミスジからは、すうすうと則正しい寝息が聞こえてくる。俺の胸にかかる息はほのかに温かい。 俺はそれをもう一度確かめたくてミスジの頬をそっと撫でる。 ひんやりとしてはいるが、最初に触れた時に比べれば温かみが増している。 良かった……少しは回復しているみたいだ。 ホッとした途端に、涙が溢れた。 ……かっこ悪いな。まだ安心するには早過ぎるだろ。 自身を叱咤しつつ、こんな顔をミスジに見られなくて良かった。と思った時だった。 「あ……れ……? あったかい……?」 ぼんやりした調子の声は、ミスジのものだ。 「ミスジ! 気が付いたか!!」 「ん……。こぉ、た……さん……?」 ミスジはまだ目がうまく開けられないのか、瞼をしぱしぱさせている。 「ごめ……なさ……なんか、すごく……眠くて……」 それって寝たら死ぬやつじゃないか? 「ねっ、寝るな! 起きろ!!」 「んんー……でもまだ、朝じゃない……みたいですし……」 おいおいおい、またこいつ本格的に目を閉じたぞ!? このままじゃ寝息が聞こえ出しそうだ。 「ミスジっ、ミスジ!」 「こぉた、さん……。おやすみ、な……さ……」 ふにゃ、と緩やかに口元が笑みを作る。 なんだよ、そんな幸せそうな顔して。こっちはこんなに心配してんのに……。そう憤る気持ちより、こいつがまた動いて喋っている事への喜びの方がデカくて、自分でもどんな顔をすればいいのかわからない。 「いや、寝るなって!! どっか痛いとことかないか!? お前の体調が気になるんだよ!!」 「たい、ちょう……?」 しぱしぱと瞬いた瞳が、まだ眠そうにとろりと俺を見上げる。 ああ、これだ。俺はこの黒い瞳に、もう一度見つめてほしくてたまらなかったんだ。 ミスジの黒い瞳がようやく俺を映して、それから焦りを浮かべた。 「こーたさん? 泣いてるんですか……?」 やべ。そういやそうだった。 「ど、どこか、痛いんですか? 何があったんで……」 ミスジの視線が、俺を頭のてっぺんから撫でるように伝って胸元で止まる。 「……こーたさん、なんで服着てないんですか?」 「そっ、それはっ、お前を温めるために、だなぁ……」 他意はなくとも、そんな風に聞かれると答え辛い。 「ぼくのこと……こーたさんが、身体で温めてくれたんですか?」 驚いたように見開かれた瞳が、俺の腕の中から俺を見上げてくる。 「ああ、えーと……その、停電で、他に手段がなかったから、仕方なく――」 「こーたさんっ、嬉しいです!」 ミスジは破顔すると、ぎゅうっと抱き付いてきた。 俺の背に回された、俺より小さな手。 まだ俺の身体よりもミスジの腕や手の方がひんやりしている。 「ほ、ほらっ、あったかいタオル。もうそんな熱くないし、握っとけよ」 俺は周りにたくさん並べたホットタオル入りの袋をひとつ掴んでミスジに差し出す。 「こーたさん……」 ミスジはそれをチラリと見てから、黒く潤んだ瞳で俺を見上げる。ミスジの両手は俺の背に回されたままだ。 「ぼく……もっとこーたさんに温めてほしいです……」 俺を熱っぽく見つめて、黒目がちな瞳がうるると揺れる。 え? いや、なんだこれ。 お前、目覚めていきなり半裸の男に抱かれてていいのかよ。 普通引くとこだろ? ……それは全部、恩返しがしたいからなのか? お前を助けたのがもし俺じゃなかったら……。 ミスジはそいつに、こんな風に迫るんだろうか。 「……っ」 どうしようもない想像に、勝手に苛立つ自分が情けない。 ぐちゃぐちゃになったままの心で悔しさにも似た感情を噛み潰せば、ギリッと奥歯が鳴った。
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