疑惑のひとたち

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疑惑のひとたち

「おっ、涼介。どうした?今日お前も行く予定だったっけ…?」 家の中を漂う沈鬱な空気をゆいつ切り裂いてくれるインターホンを受け、俺の役割になりつつある玄関を開けると、学校に調査しに行くメンバーに入っていなかった涼介がいた。 「いや…その、あれ…さ」 何事も単刀直入でスパッと物を言う涼介にしては珍しく、奥歯に物が挟まったような言い方だった。 「どうしたんだよ。なんか…あったのか?」 涼介のちょっとした異変に胸が騒ぐ。 涼介はわずかに睫毛を伏せ、上品な二重の線を瞼に浮かばせて、唇を開いたり閉じたりを繰り返す。一体どうしたんだろう。 「あのさ…」 「うぃーっす!来たぜ!」 神妙な面持ちで顔を上げた涼介が何かを言い出しかけたちょうどその時、健輔とやまぶーとコバが俺ん家へやって来た。 「やまぶーもなんとか連れてき――あぁ?」 「…茅野?」 「涼介も、連れ出されたの?」 予定外の人物に健輔もやまぶーもコバも驚いたみたいだ。あの面子の中で一番来なさそうな人物だから余計かもしれない。 ていうか、連れ出されたなんて言うコバはやっぱり健輔に無理やり連れ出されたんだな。いつもの事だから驚きはしないけど、不憫には思う。 「みんな来んの早くねぇ?」 「やまぶー連れていこうと思って、ほら説得しなきゃならねぇじゃん?だから早めに家出たら、コイツこの間はすげぇ渋ってたのに俺が家行ったらすぐ行くとか言ってすぐ来やがったからさ」 「俺を単純ですぐ来る簡単な男みたいに言うな」 「コバも家に行く前に慧人の家んとこ来てたしよ」 「五十回くらい一秒ごとに携帯に電話されれば普通――」 「つか、なんでお前いんだよ」 「無視すんなよ」 コバとやまぶーを華麗に無視し、健輔はさっそく涼介に忌々しく細めた目を向けた。 「お前こそなんでいんだよ」 目を伏せがちで何かわだかまっているようなさっきの態度から、どこか冷ややかで冒しがたい威厳を纏ういつもの涼介に戻る。 対峙する両者に、引くなんていう言葉は通じないかと思われる。 「おい!このひねくれモン連れていかねぇよな!?」 立てた親指で涼介を突きつけ、健輔は苦虫を噛み潰したような顔で顎を左右に揺らした。 「別に連れてったっていいだろ。つか行くなんてまだ涼介言ってねぇし」 な?涼介、と俺が確認すれば、 「行くよ」 涼介はすぐ呼応した。 「……俺も、行こうと思って来たんだ」 睫毛を短く一回だけ伏せてから俺の目を見て、涼介は言った。 * * * 「俺は慧人のために行ってるだけでお前のためなんかじゃない。だからお前がゴチャゴチャ言う権利なんかない。勘違いすんな」 「テメェ一発殴らせろッ!!」 「あーはいはい。落ち着いてー落ち着いてー」 距離を詰め始めた健輔と涼介の間に割って入って、俺は本格的に喧嘩が始まる前に鎮静させたりしながらいつもの坂を下っていく。 やまぶーはガムを噛み相変わらずの無干渉で、一人で二人の喧嘩仲裁という労働を背負い学校に向かっている途中、ちょうど本屋に行こうと家の前に出てきた瑞希と鉢合わせし、たぶん涼介がいるからっていうこともあって瑞希も学校調査に加わることになった。そうして俺らはいつものメンバーで目的地の学校へたどり着いた。 その時。 「おい…アレ」 俺たちは同じタイミングで校門近くにある自動販売機の陰に隠れるように立っている芦北を見つけた。 「亡霊か、アイツ」 「ベンチあんだから座ればいいのに」 健輔と俺だけじゃなく、みんな息を潜めて自動販売機の陰にいる芦北を怪訝な顔で見ていた。するとそんな俺らの視線に気づいた芦北がこっちを見た。だがこっちに近寄って来る気配はなく、しばらくジッと見つめ合う形になる。 「なにやってんだアイツ」 健輔が気味悪げに言った。 その横で俺は戸惑いながらも芦北に向かって手招きしてみた。すると、芦北は顔を伏せまま、前髪を手ぐしでしきりに整えながら、こっちへ小走りで突進してきた。 「チッ、お前も来んのかよ」 手ぐしで何度も前髪を整え続ける芦北を気味悪がる気持ちを隠そうともせず、身を仰け反らせ、芦北が来たことにご機嫌を損ねた健輔だったが、校門を抜けてすぐご機嫌になった。健輔が大好きな、ある人物を見つけたからだ。 意地悪な笑みをどっぷり浮かべて健輔はその人物に向かってさっきの芦北みたいに突進していく。器用に足音を消して。 そうして、校舎前でパイプテントらしきものを組み立てるのに夢中になってるその人物の真後ろをそっと位置取って、 「永尾!!」 と大声で叫んだ。 そんなことをされて驚かない人間なんているわけもなく、永尾先生は一瞬で両手で自分の耳を塞いで、声なくバッタのように勢いよくとび上がった。なんとも情けない姿だった。 「せ、先生と呼びなさい…!」 へっぴり腰にながらも教師としての威厳を保とうとしている永尾先生の元に、俺たちも寄り集まる。 健輔は満を持してといった感じで、足をガニ股のように少し開き、ポケットに両手を突っ込み、顎を上げて、永尾先生を見下すような態度を取った。 「おい永尾。お前事件があった日何してた?」 直球過ぎる尋問だった。 「え、急じゃね?」 「前フリあった?」 「単刀直入過ぎる」 やまぶーと俺と涼介は、健輔の猪突猛進な行動に対し、口々に感想を述べる。 「えっ…な、なんだ急に…事件って…」 そんな猪突猛進な健輔の攻撃を受けた永尾先生の顔は驚きと動揺でたじろいだが、すぐ訝しげな目で健輔を見た。 「とぼけんじゃねぇ。慧人の弟のコトだよ。知らねぇわけねぇだろ?」 偉そうな態度はそのままに健輔は永尾先生にそう言い放ち、おい、とコバの方へ目配せをした。すると、コバは自分のスボンのポケットに手を入れまさぐった。何だろうと不思議に見ていれば、ポケットからコバの手と共にボイスレコーダーが出てきた。 「どっした、それ」 思わず俺はコバに訊いた。 「あるなら持って来いって電話で言われて…」 「健輔に?」 うん、とコバは頷いた。 健輔はコバの手からボイスレコーダーを取り上げると、録音のスイッチを押して、永尾先生の口元へ近づけた。 「け、警察みたいなことを…やめなさい」 永尾先生はそのボイスレコーダーに少し狼狽えた様子を見せ、面倒なことから逃げるように途中だったテントの作業に取り掛かり、俺たちに背を向けた。 「事件当日のこと、話せない理由でもあるんですか?」 永尾先生のくらまかす背中に向かって、健輔はけしかけるように言った。 「……看板」 「えぇ?」 「夏祭りの看板や横断幕を設置してたんだよ」 永尾先生は背中を向けたまま、狼狽するように、苛立ったように言った。 「何時頃どこで」 「十五時くらいから十七時まで、体育館前とか校門前とか北口玄関とか…」 「十五時頃って…俺らが下校した時間じゃね?健輔とコバでさ」 俺は確認も含めて健輔に言った。 「あ、そうだ!その北口玄関の隅の草むらに眼鏡落としたんだよ…!なんとか見つかったけど」 「で、その永尾先生をお前がさっきみたいに後ろから脅かしたんだ」 「あぁ〜あったな、そんなこと」 永尾先生の回想と俺の指摘に、健輔は悪びれた様子を少しも見せなかった。 「でもこれでハッキリしたな。永尾が推定時刻の十七時半頃のアリバイはないってことがッ!」 健輔は名探偵のように永尾先生の顔にビシッと指を突きつけた。 「死亡推定時刻!?なん、なんでそんなこと知って――」 「永尾義孝(ながおよしゆき)第一容疑者確定。よし次行くぞ!」 あっさりとそう勝手に決めつけ、健輔は職員玄関の階段に向かおうとする。 「ちょっ、ちょっと待ちなさい!!なんでアリバイがないって決めつけるんだ!」 「じゃあるのかよ」 健輔が見込みなんてだろうがというような顔でくるりと振り返る。 「あるよ!!十七時半…十七時半…あ、雨…その時間は職員室でコーヒーを飲んでいた…!事務員の川島さんと」 「事務員に聞いてからじゃねぇとアリバイがあるとは“今は”言えねぇな」 「せ、先生が嘘をついてるっていうのか!?お、お、俺が犯人なわけないだろ!?せぇ先生だぞ!?」 「先生とかそんなの関係ないですよね。社会貢献に熱心な模範的で善良な人間だって他人の目を欺いて、裏で平然と人を殺めたりしてる殺人犯もいます」 声を裏返しながら犯人じゃないと訴える永尾先生を涼介が説得力を持って一刀両断する。 「犯人ほど、犯人じゃないって言うよな」 加勢するようにやまぶーが言う。 みんな、永尾先生に疑惑の目を向けた。すると、永尾先生の額からすぅーと一筋の汗が流れてきて、少し赤らんだ頬を通り、顎先から滴り落ちた。それから、だった。バケツの水をかぶったように、永尾先生の額やこめかみから一気に幾筋もの汗が滑り落ちてきたのは。 「なんでそんなに汗かいてるんですか?」 俺は深まる疑惑に目をすぼめる。 「きゅきゅ、急になんか…そんな、疑われるから…」 目を泳がし、上ずった声で吃りながら、永尾先生は誤魔化すような感じで言った。 「怪しすぎますよ先生」 涼介が短い矢で射貫くように言った。 「汗の量尋常じゃん」 やまぶーが突き放すように言った。 「犯人かどうか、嘘か本当か、事務員に聞けばわかることだろ。じゃ、オレら行くわ」 永尾先生に向かって小憎たらしい笑みを残し、健輔は職員玄関の階段の方へガニ股で歩いていく。俺らも永尾先生に疑惑の目を注いだまま、職員玄関に向かって足を動かした。 「ちょっと怪しかったな」 「でも…あぁいう人が一番犯人じゃなかったりするんたよ。ドラマとかでは…」 同調を求めた軽い問いかけだったのに、コバは視線を落として何か物思いに耽るような様子で返してきた。 「なんだお前、永尾信者か?」 「そんなんじゃないよ」 「内申を良くしたくて媚び売ってんだろ。いんだよなぁ、そういうヤツ」 健輔は思うがままコバに嫌味を浴びせ塗りたくる。 「……そんなんじゃ、ないよ」 コバは、思い詰めて疲労したようなか細い声で本人に届かないよう呟いた。 俺は後ろを振り返る。永尾先生はちょ、ちょっ、と言うだけで俺たちを引き止めはしなかった。ただ少し強ばった顔で職員玄関のドアを開けるまでずっと俺たちを見ていた。 「夏休みなのに事務員さんいるのか」 「事務員さんってどんな人?俺しらねぇんだけど」 「夏祭りまで学校には来るって言ってたし、オレ知ってる」 涼介と俺の疑問に健輔が頼もしく答えた。 学校の正面の一番左側にある職員玄関を通り、右へ曲がって、すぐの職員室をノックなしに健輔が開けると、中には数人の先生たちがコーヒーを片手に雑談していた。俺らの前にいる時とは違う和やかさに違和感と居心地の悪さを感じる。職員室に来るたび、そう。 「あ、アイツだ」 「アイツって…」 健輔が不躾に指をさした先にいたのは、パーマがかかったような髪を後ろで低くひとつ結びにして眼鏡をかけた、いかにもって感じのおばさんだった。 「ウイッス」 ちょうどこっちを見ていた事務員の人に片手を上げ自分の存在を知らせると、健輔は遠慮がちなんてもんはなく図太く職員室の中に入っていった。 「ちゃんと挨拶せんかッ」 「すいやせーん」 はげつるぴっかの強面先生に怒られようが、何だろうが、健輔に謝る気なんて毛頭なかった。いつも。 「あれ?岸谷くん。給食費貰ってなかったっけ?」 「あーあちがうちがう。聞きたいことがあって来たんだよ」 「聞きたいこと?なに?」 「事件があった日、十七時半頃、永尾とココでコーヒーを飲んでいた?」 ここでも健輔は直球だった。 「事件があった日って……あの、守沢さんの家の子の?えぇ…コーヒー飲んでたわよ」 事務員のおばさん、川島さんもやや率直だった。 この町のタブー扱いになってきた、あの日の事件を口にした職員室は、数分前に流れていた和やかさが死んで、気まずい空気が重みを携え漂った。 「何言ってんだ岸谷おまえは!」 「ちょっ黙って。今大事な聞き込みしてっから」 畏れもなくふてぶてしく強面先生をあしらい、健輔は事務員の川島さんに「はいっ」上に向けた手の平を差し出し、話を促した。 「十七時半より前に職員室に休憩しにって来て…あたしもちょうど休憩するとこだったからコーヒーを入れて一緒に飲んだの。でも飲み始めてすぐ夕立がきてねぇ、ペンキを乾かすために外に置いてあった…子供たちが作った夏祭りの看板を中に入れなくちゃって、雨の中慌てて外に出ていったわ」 「いなくなったのかよ!?」 健輔はどこか小躍りするような声を上げた。 「でもそんな長いことじゃなかったわよ。五分…いや十分後、だったかなぁ…そのくらいにずぶ濡れで職員室に戻ってきたから」 事務員の川島さんの証言に健輔はわかりやすくガッカリしたというかのように肩を下げた。 永尾先生の言っていたことは本当のことだった。 安易に疑惑の目を向けてしまって申し訳ない気持ちとあの説明がつかない異常な汗は何だったんだろうという未だに腑に落ちない気持ちもあって、健輔も、職員室のドアの前にいる俺たちも、複雑な表情を浮かべるしかなかった。 「怪しいなぁ…」 「どこが?」 独り言のように口走った健輔の言葉に涼介が敏感に反応した。 「死亡推定時刻近くに姿を見ている人がいる時点で永尾先生は容疑者から外れたでしょ。よく頭で整理して考えろよ。永尾先生はアリバイがあるんだよ」 健輔の安易な猜疑心にビシッと鞭を打つような言い方だった。 「っくぅ〜ほんっとテメェはくそ生意気な言い方しかしねぇな!!」 後半につれて声を張り上げいった勢いのまま涼介に詰め寄っていく健輔の前に俺は立ち塞がって、涼介への攻撃を食い止める。 頬に健輔の汗ばんだ額をグリグリと押し付けられる。ザラつきのある男の肌が触れてるのだけでも気持ち悪いのに、汗の粘りが追加されて、もう言葉に言い表せられないほど不快だった。俺のほうれい線がげっそりと下に伸び落ちる。 「あ、保健室。野中いるんじゃね?」 「ふぇ?」 そんなえずきたくなる地獄を不本意に受け、情けない声を出しながらもやまぶーの声に導かれるがまま目を動かすと、職員室、校長室、トイレ、放送室、相談室、と続いて最後にある保健室の前まで来ていた。 「野中……いねぇな」 やまぶーは顔を突っ込んで保健室内を見回す。 そのとき、俺たちがいるドアの向かいの窓に見知った顔が二つ現れた。同級生の奥平と香川だった。そいつらは俺たちに気づく前にベランダの引き戸を開ける。 「先生…って、またいないのかよ」 とぼやいた所で、奥平と香川はやっと俺たちに気づいた。 「おっ、慧人じゃん」 「おっ慧人。久しぶり」 「久しぶりって一週間ちょいぶりじゃねぇか」 誰よりも早く夏休みに入って教室から消えた俺の姿に普段と変わらないかざつな感じで驚く奥平と香川に俺は苦笑する。 「みなさんお揃いで…」 「どうした?」 奥平と香川は首を伸ばして、俺の後ろにいる健輔たちをすっとぼけたような間抜けな顔で順番に一人ずつ見ていく。 「お前らこそ、どうしたんだよ?」 横入りしてきた健輔がオウム返しで訊いた。 「いや、そこの雲梯(うんてい)で遊んでたら指切っちゃって」 「そんくらいで保健室なんか来んなよ」 「そんくらいってなんだよ!指から血が出てんだぞ!重傷だよ!」 「お前は重傷って言葉をよく調べた方がいいな」 こっちに駆け寄ってきて健輔の顔の前に確かに浅い切り口から血が出ている指を突きつけながら自分の怪我の負傷度を訴える奥平を俺は横からあしらった。 「ちょっといい?」 そんなやり取りを黙って見ていた涼介が不意に割って入ってきた。 「さっき“またいないのかよ”って言ってたけど、一回ここに来たの?今、二回目?」 「いや…一回だけど…」 「一回目?じゃあいつ来たの?」 「それは…その……な?」 「あぁ…」 奥平と香川は何かを確認し合うように互いに目を合わせた。そして、俺をちらっと一瞥した。それだけで奥平と香川が“何か”を避けるように言葉を濁していた、その“何か”が透けて見えてしまった。 「あの事件があった日、なんだろ?来たの?」 それは涼介も同じだったみたいで、涼介にそう単刀直入に訊かれた奥平と香川は躊躇いがちに俺を見た。 「いいよ、気にしないでつづけて。たぶんソレ重要」 俺は奥平と香川に指先を向けて頬を緩めると、奥平と香川は緊張が解けたように話し出した。 「その日ドッチボールで突き指して、スゲー痛かったからテーピングでもしてもらおうと思って来たら、今日みたいに先生がいなくて…」 「ケガしすぎだろ」 うるせぇ、と奥平が健輔に言い返す。 「ちょっと待ったら帰ってくるかなって思って、なんだかんだ十分待ったんだけど…」 「来なくて諦めて帰った。だってここスゲェ暑かったんだもん!」 奥平と香川は自分たちが味わった保健室の強烈な熱気地獄を苦悶の表情と声のボリュームで訴えかけてくる。 「今はスゲェ涼しいけどな」 「エアコンがついてるからだろ」 健輔にやまぶーが冷静に応えた。 「その日はエアコンがついてなかったんだろ」 俺がそう言うと、奥平たちは声を揃えて「たぶん」と言った。たぶんって…。 「確認してねぇの?」 「うん」 「嘘だろ。普通確認してつけるとかするだろ」 「考えてなかった」 「エアコンを切って出るくらいだからもう退勤してたんじゃない?もしくはどこかに長時間行ってた」 涼介の、冴えた着眼点だった。 「ここに来た時間は?」 「十七時二十分くらいだった気がする」 「よく時間覚えてんな」 「来ないかなってチラチラ時計見てたから」 健輔に香川は言った。 「それから十分待っても来なかった。つまり死亡推定時刻十七時半に野中先生のアリバイはない」 涼介は、淡々と言い放った。 「あやしいなぁ…」 健輔は若干の歌舞伎口調で、馬鹿の一つ覚えのようにまたそう言った。 「何が怪しいんだ」 突然後ろから浴びせられた声に振り返る前に、俺たちの前を白衣を着た野中先生が通り過ぎていく。 「うっわ先生!いたんだ!ケガした!」 「いるよ。どこでどんな?」 「指切った。雲梯で」 「雲梯で?どうやってケガすんだ。見せて」 野中先生は自分の事務机に持ってきたファイルを置くと、奥平の指の怪我を診た。そうしてすぐ手慣れた様子で棚から薬品を取り出して、消毒をしたりと傷の手当てを始めた。 「君たちはどこが悪いの」 奥平の手当てをしながら、野中先生がちらりとこっちを一瞥して、俺たちに尋ねる。 「どこも悪くねぇよ」 健輔が答えた。 「じゃあ、どうしてここにこんな集まってるの」 「聞きてぇことがあって」 「聞きたいこと?」 「事件があった日に何してたんかなって」 健輔がそう言ったと同時に奥平の手当てが終わって、野中先生は何も言わぬまま事務机の椅子に腰下ろした。そして、俺たちを、その目尻に数本の皺が走った老成の目で捉えた。 「こういうことが起こると、刺激を求めて君たちみたいなことをする子供がどの時代も一定数いるんもんなんだなぁ。友達のためは素晴らしいけど…」 といったん言葉を止めて、野中先生は俺だけを見た。一瞥といった感じて、野中先生の目はまたみんなに向けられる。 「子供が遊び半分で警察の真似事なんてするんじゃない」 そう俺たちを咎める野中先生に、俺たちは威圧された。声も、顔も、眼差しも、どこも力はこもってなくて平静だったけど、子供の俺たちをねじ伏せる大人の威厳が確かにあって、なんか逃げる意力も立ち向かう気迫も一気に半分以上削がれた。俺たちは、黙り込むしかなかった。 「真似事したっていいじゃねぇか。しちゃいけねぇって法律で決まってるわけでもねぇし。自分が疑われたくねぇからそんなこと言ってんだろ?事件の日何してたんだよ。教えろ」 馬鹿でもあの静かな威圧には負けてしまうと思っていたけど、健輔には野中先生の威圧などまったく意に介さなかった。なんなら自分の目的を遂げるためならその鈍感さを忌憚なく発揮した。 そんな健輔に野中先生は呆れた様子で息を吐き、机の上にあった紙を手に取ると、そのままボールペンを走らせてしまった。 「ずっと保健室に居たよ」 ざっくりとしたものだったが、野中先生は答えてくれた。だけどそれだけしか教えてくれなくて、小学生の怪我人が押し寄せ来たことで、深く追及はできず、俺たちは保健室から押し出される形で追い出された。 「明らかにウソついてんな、野中」 「奥平たちが保健室に来た時いなかったって言ってたんもんな」 校内を一周回るように廊下を歩きながら、健輔とやまぶーが保健室で小学生を手当てしている野中先生に聞こえないように小声で言い合う。 「それにしてもよく気づいたな。奥平たちが“また”なんて言ったの。あれスルーしてたら野中先生のアリバイなんて聞けなかったわ」 さすがの観察力と洞察力だと素直に褒めれば、 「なんか、少し引っかかっただけだよ」 涼介はそう言って、意味ありげに睫毛を伏せた。 「どうした?」 俺が尋ねると、涼介は奥歯から引きずり出すように意味ありげに睫毛を伏せた理由を話した。 「時々なんだけど…小学校の前を通るとき、フェンス越しに小学校を眺めてる野中先生に出くわすんだ」 「どこの小学校?」 答えなんてわかってた。だけど確証を得るため、俺は遠回りして訊いた。 「俺たちが通ってた北森小学校」 「北森!?」 やまぶーが驚いた声を上げる。 「紘斗が通ってた小学校だ」 声を上げたやまぶーや眉間を寄せた健輔たちとは対照的に、俺は泰然と言った。 みんなの目が疑惑の色に深く染まった。 また行き当たりばったりに突き当たりのトイレの前の角を曲がると、図工室からちょうど出てきた真鍋先生と出くわした。 「あれ、みんな!」 真鍋先生は俺たちに気づいて、軽快に手を振ってくる。まさか次に聞き込みするのが真鍋先生なんて、と俺は少し気が進まなくなる。 「お揃いでどうしたの?神輿のお手伝いでもしに来てくれたの?」 真鍋先生は俺たちの顔を見渡して、茶目っ気たっぷりに笑う。何も変わらないその笑顔に、汚泥のような俺の心に明るさが一筋射し込んでくる。 「ちがいマース。俺たちは聞き込みしてるんデース」 「聞き込み?」 健輔の言葉に、真鍋先生は首をかしげた。 「慧人の弟の事件ヨ」 途端、真鍋先生の顔が神経質な尖りを持って暗くなる。 「……それは、警察にお任せしよう?」 ゆっくり瞬きをするような時間を置いてから、真鍋先生は健輔を少し見上げて、やさしく諭した。 それから俺たちを見渡して、 「慧人くんのためっていう気持ちはわかるけど、そういうことをしてると変なことに巻き込まれたりしちゃって危ないから、警察の人が解決してくれるのを大人しくみんなで待ってよう」 と再度諭した。 「子供扱いすんなよ」 「子供だよ。みんな」 苛立ちを隠そうともしない健輔の言い分に真鍋先生は穏やかに言い切った。 「先生もみんなの歳ぐらいの頃、そう思ってた。子供じゃない。もう大人だって。でも、それは間違ってた。凄く子供だった。今となってはもうそれは可愛いって笑っちゃうくらい子供だった。みんなも先生くらいの歳になればわかるよ。今の、中学一年生の自分がどれたけ子供なのか」 過去の幼き自分を自嘲するように、俺たちの青臭い未熟さを懐かしむように、真鍋先生は微笑んだ。その微笑みで、俺たちを戒めた。 直後、真鍋先生は図工室から顔を出した俺たちと同学年くらいの女子に出来上がった神輿を見てくださいと呼ばれた。 「はいはい。ちょっと職員室に寄ってから見るね。じゃあみんな遅くまで遊んでないでちゃんとお家に帰りなさいね」 真鍋先生は俺たちにそう別れを告げて、職員室に向かうため背中を向けた。 「おいっ!事件の日何してたんだよ!?」 その背中にやっぱりこの男――健輔が食ってかかる。 「あのね、さっきの話聞いてた?」 ぐるりと真鍋先生の不満げな顔が振り返ってくる。二秒くらい俺たちを見て、真鍋先生の肩がやれやれと一段下がる。 「校門前でみんなと会う八時まで、ずっとこの図工室でPTAのお母さんたちと子供たちで神輿作りをしてました。これでいい?」 健輔の問いにテキパキと答え、真鍋先生はぐるりとまた背中を向けた。もう振り返らない、という決然たる背中だった。 「あれ、瑞希くん」 真鍋先生がいなくなってすぐ追い抜かすように、俺たちの横を通り過ぎようとしていた高学年くらいの女子二人組が瑞希の横で立ち止まった。 「今日休むんじゃなかったの?神輿作り」 「つかなんで休んだの?」 同じ身長くらいの女子二人に突然詰め寄られ、瑞希が困惑の表情を浮かべる。そこで俺は思い出した。この二人は確か瑞希ん家の近所に住んでる、おじいちゃんが夏祭りの太鼓の顧問をしてる吉川さんとお母さんが紘斗が通った幼稚園の先生をしてる内田さんの子供だ、と。 「なんだお前ら神輿作りの担当か?」 健輔が困っている瑞希に手を差し伸べるように女子二人に訊く。 「うん。神輿作り係」 「真鍋とやってんのか?」 「真鍋先生?そうだよ」 「事件があった日も真鍋とずっと図工室に居たのか?」 「事件…」 「…があった日」 と女子小学生二人組は互いに顔を見合わせた。その顔は困惑げにひきつっている。そして、その顔は、腫れ物に触るように、俺を見た。 「俺のことは気にしないで、なんかあるなら質問に答えてあげてくれ」 俺は顔の前で気だるげに手を振って、少しも気にしてないようなへっちゃらで女子小学生二人組に言った。すると二人はまた顔を見合わせて、何かを確認し合い、ひきつった顔を解いて、身軽に口を開いた。 「ずっと図工室にいたよ」 「ずっとォ?ホントかよ?」 「途中で不自然に抜け出したりとかは?」 単純に疑念を抱く健輔を出し抜くように横からすかさず涼介が盲点を探る。健輔がもう機嫌を損ねた顔をしている。 「不自然に…?」 「二回くらいトイレに出ていったりはしたけど…」 「あ、あったあった」 小学生二人の言葉に俺たちはそれぞれ顔を見合わせた。 「でも、最初のはトイレじゃなかったよ。この図工室の隣の図工室2に画用紙を取りに行ってただけって真鍋先生が言ってたもん。だから帰ってくるの早かったけど、二回目はなんか…長かったよね?」 「トイレだったから長かったんじゃない?お腹が痛かったんでしょ」 と話を進めていき、小学生二人は訝しげに眉間を寄せる俺たちを置いて笑い合った。 「出ていった時間は何時頃よ」 健輔は眉間に力を入れたまま、ポケットに両手に突っ込み、訊く。 「うーんと、五時の休憩時間でお菓子を食べてるときに隣の図工室二に画用紙を取りに行って、そのあとすぐにトイレに行ったよね?二十分後くらい?」 「たぶん」 「で、トイレから帰ってきたのか?」 「うん。三十五分にね」 内田さんの子供が即答した。 「なんでそんな正確にわかるの?」 不審に思った涼介が尋ねた。 「だって三十五分で休憩タイムが終わるんだもん」 内田さんの子供が口を尖らせ言った。小学生らしい答えだった。 「ちょうどその時間だから覚えてたんだ」 「そうっ」 「とりあえず真鍋は二回ココを出て行ったんだな」 健輔が指を二本ピースするように立てて、二人に確認する。 「うん」 「他になんかあっか?」 「ない」 内田さんの子供がここでも即答した。 「あ」 が、吉川さんの子供は短く声を上げ否定した。 「なんだ、他になんか変なことあったか」 健輔がすぐさま聞き返す。 「白い絵の具が一個なくなったの。帰ろーって片付けのときに気づいて探したんだけど見つかんなかった」 「クソどうでもいい情報だな」 と提供してくれた情報を、健輔は無意味なものだと一蹴した。 「怪しいよなぁ怪しい絶対怪しい」 「怪しいって言いたいだけだろ」 校舎内を一周して、体育館と繋がる渡り廊下の扉から出て西側の体育館の段差に座った俺は健輔にそう突っ込み、太鼓の顧問のおじさんの張った声と腹の底をくすぐる太鼓の音を聞きながら、コバと涼介と瑞希が買ってきてくれたコーラを流し込んだ。 「まぁでも三人ともなんだかんだ怪しいし、なんだかんだ死亡推定時刻にアリバイが無いからな」 「だろう?なんだかんだ怪しいだろぉ?」 巻き舌になりながら健輔は俺の同調を喜んだ。 「真鍋先生は、犯人じゃない…気がする」 唐突にそう小さく言ったのは、コバだった。 「あ?なんで犯人じゃないって言えんだよ。証拠は?」 健輔はすかさずコバに噛み付いた。 「証拠は、ないけど……そんなこと、する人に…思えない」 コバは、拠り所のようにコーラの缶のタブを人差し指で弾きながら言った。 「いじめられてる子を、助けるような、そんな人が……担任が無視するような、生徒のいじめに、真っ向から立ち向かう先生が……あんな、あんな、残酷なことをする、姿なんて……想像できない…」 いじめられてる子、担任が無視する、いじめ。コバは口にはしなかったけど、自分のことを言ってるんだと思った。 人づてに聞いたことがあった。特に母さんや同級生に。小学四年生の時は同じクラスだったのに、次の年の小学五年生の時にクラスが別れてしまって、俺は知らなかった。 コバが、同級生からイジメを受けていたことを。 同じクラスのほとんどにひたすら無視をされていたらしい。理由はわからない。暴力とかそんなものはなくて、テレビで聞くものより比較的軽いものだったけど、コバからしたら、軽くなんてもんじゃなくて深く傷ついたことだったと思う。 「そんなこと言ってたら犯人なんか見つからねぇだろ」 健輔は別の小学校だったからそんなこと知りもしない。きっと、真鍋先生がコバをそのイジメから救ってくれたことも。 コバの、心の恩人を犯人だと思いたくない気持ちはわかる。俺だってそうだ。 「次は親どもだな」 なんも知らず、気にもかけず、意欲的な健輔はもう次に向けて動き出そうとしていた。健輔が勢いよく缶を握り潰したと同時くらいに体育館からお母さん連中が出てきて、扉の前で固まり話し込み始めた。 「おっ、ナイスタイミング」 と立ち上がった健輔はその奥様方の井戸端会議に臆することなく突入していく。そんな健輔をトイレに行った芦北を除いた俺たちは段差に座ったまま遠くから見守った。 「おっす」 「あら健ちゃん。なにやってんの?」 どうやらお母さんたちの中に健輔の知り合いがいたみたいだった。 「ちょっと調査しててよ」 「調査?なんの?」 「事件のことだよ」 躊躇いもなく健輔がそう言うと、やっぱりといった感じでにこやかだったお母さんたちの顔は、笑顔が消え失せ、ひきつったような真顔になる。 「子供が、遊び半分でそんなこと…やめなさい…!」 そして同じような言葉で頭ごなしに怒られる。 「遊びじゃねぇよ。犯人が町の人間じゃねぇかって疑われてんだぞ」 健輔が負けずに言い返す。 「この町で起きたんだから疑われるのは当然でしょ!?」 が、すぐに真っ当な正論を投げ返された。 「……犯人が町の人だって思われてもしょうがないわよ。疑わしい人が、なんだかんだいるんだから…」 一人のお母さんが含みのある言い方をして、意味ありげに周囲にいた他のお母さんたちと目配せをし合った。 健輔は俺たちと同じようにわけがわからない顔をしている。 「なんで太鼓の係なんて受けたんだろうねぇ?」 「ほとんど来れないなら、なおさらねぇ?」 子供の俺たちを置き去りにして、大人たちは唇をうねるように歪めて同調する。 そこに俺は、女特有の、陰湿な嘲罵を感じた。 毛虫の毛を素手で撫でてしまったような気分になった。嫌なものを見てしまった、と気が滅入った。 「なんの話してんだよ?疑わしい人がいるってどこの誰だよ!?」 健輔が愚直に尋ねても、 「大人の話だから、子供は知らなくてもいいの」 「知ったところで事件なんて解決しないわ」 と、笑ってあしらわれ、教えても、相手にもしてくれなかった。 そのあとも何とか挑み続けたが、怒られたり太鼓の練習に戻ってしまって健輔は敗戦を喫する形となり、苛立ちを撒き散らしながらこっちへ戻ってきた。 「チッ、なんだよ、子供だからってガキ扱いばっかしやがって」 健輔は舌打ちを繰り返しながら近くにあった小石を蹴り飛ばした。 「大人たちの決まり文句みたいなもんだろ。自分たちの醜態を子供には見せたくないんだ。どうせ」 涼介は冷めた目で夏祭りの準備をする大人たちを見ながら吐き捨てた。 「え?しゅう?たいしゅう?体臭がなんだよ?」 俺たちの周囲を埋め尽くす太鼓の音や蝉の声で涼介の言葉をよく聞き取れず、そう聞き返した健輔を、涼介はフッと鼻で笑った。 悪意は無かったと思いたい。だけどそれを受けた当事者は――「おいテメェ!!なに鼻で笑ってんだよ!!」無かったとは思わないよな。 「まぁまぁ!みっともない姿を見せたくないってことだよ!健輔!」 もう何度目か、自分の体を涼介に突進しようとする健輔の前に差し出し、涼介と健輔を隔てながら、頼むよと涼介に哀願の視線を送った。 「芦北、遅くね?」 相変わらずのそっちのけで、ふとという感じでやまぶーがつぶやいた。 「なんで女ってトイレがクソ長げぇんだろ」 健輔は暴れていた体をすんっと大人しくさせ、芦北が姿を現すだろう渡り廊下の扉を睨みつけた。八つ当たりだ。芦北に八つ当たりするつもりだ。俺は瞬時に悟った。 今帰ってくるな、帰ってくるならもうちょっと健輔の怒りが鎮まってからにしろ、今は絶対帰ってくんな、と自分もとばっちりを食らうことを見越して必死に願っていれば、 「あ、帰ってきた」 やっぱり帰ってくるんだよな。 やまぶーの声と視線に引きずられていけば、お腹に手を添えながらこちらへ歩いてくる芦北の姿があった。なんてバットタイミング少女なんだ、芦北。 「遅せぇよ!うんこか!?」 待ってもいなかったくせに文句をつけて、その上このデリカシーが欠けた物言い。同じ男して呆れてしまう。 芦北はそんな言葉を掛けられると思っていなかったんだろう、目を丸く見開いて健輔を見ていた。その開かれた瞼の間で揺れる黒目は驚きと恐怖の色に染まっていた。 「…ごめん、なさい…」 「別に謝ることじゃねぇよ。俺の母ちゃんもそうだから」 「優男ぉ」 すぐ芦北をフォローするやまぶーの優しさに思わず俺はそう声を出してしまう。そこに瑞希が近づいてきて、芦北の分と買っていたコーラを芦北に手渡した。 「……ありがとう」 芦北は健輔を気にしながらも、遠慮がちにコーラを受け取った。 「テメェが遅せぇからぬるくなっちまっただろうが」 優しさの連鎖が健輔の怒気を弱らせたのか、当たり散らす気でなんとか絞り出したような言葉にも口調にもいつもの威力や棘はなかった。 「親同士のってことがありそうだな」 芦北が生温いコーラを飲み出して少し経ってから、涼介がまた輪になって雑談する大人たちを見ながらつぶやいた。 「つぎはなんだよ。遠回しにしかいえねぇのか。用件をさっさと言え」 健輔が早口で安定の野次を飛ばした。それに涼介が鋭い一瞥を健輔にお見舞いするが、いつものように口で応戦することはなかった。 「やみくもに顔見知りだって決めつけて弟くんと顔見知りの人間を調べてるけど、なんでこの事件が起きたのか、その原因を考えたことあるか?」 自分たちの盲点をつかれたようだった。 涼介の言う通り、俺たちは“犯人”にばかり重点がいっていて、どうしてこの事件が起きたのか、その“原因”には目もくれていなかった。 「原因を見つけた方がこの事件を解決する近道になる。けど、その原因が弟くんに直接関係してるとは限らない」 「あぁ?どういう意味だよ。まどころころしいな早く言え」 「まどろっこしい、な」 後頭部の髪を下から上へ掻き荒らす健輔の言い間違いを訂正し、俺は涼介の方へ向き直す。 「原因が弟くん自身にあるんじゃなくて、弟くんに近い人たちにあるってことだよ」 素っ気なく思える目を俺たちに投げ、涼介は言った。 「……それに、紘斗が巻き込まれた?」 「そういうこと」 俺の集約に涼介が同意した。 「その近い人たちって……」 「涼介が言った――親、とか」 俺の言葉に繋げるようにコバが言った。 「そう。俺はその可能性の方が大いにあると思ってる。弟くんはまだ小学生だし人に殺意を持たれるほどの原因を作るとは思えない。それにあの様子を見るとね」 と、涼介は体育館の中に目をやった。そこには健輔が聞き込みを挑んだお母さんたちがいた。 「俺たちが知らないだけで、大人同士、親同士でひとつふたつトラブルくらいあるだろ。まして守沢の母親はPTAの会長で他の親御さんと関わりがあった」 「まぁ…それは…まぁ…」 涼介の指摘に俺は口ごもるしかなかった。 「まったく無いなんて言える?」 茅野の追及に俺は思わず瑞希を見てしまった。すると瑞希も俺を見ていてやっぱりお互いそうなのかと思ってしまった。そんな俺たちの間で健輔とコバも互いを見ていた。こっちも俺と同じく何か思い当たる部分があるのかもしれない。 「なんだよお前ら心当たりあるのか?」 そんな俺たちに、やまぶーが遠慮なんてなく正面切って訊いてくる。 俺は渋った。瑞希も困っていた。みんなの視線が痛いほど俺の顔たちに突き刺さってくる。これは言うしか選択肢がないと思った。 「……これは俺の母親が、はっきり言うタイプの人間だからかもしれないけど…瑞希のお母さんとは何度か言い合いをしてるみたいなんだ」 俺はみんなの顔を、特に瑞希の顔を窺いながら誤解されないよう慎重に話した。 「同じPTAの役員だろ?よくそれで学校から帰ってくるとき、たまぁに怒って帰ってくるときがあって、そのときよく瑞希のお母さんの名前が出てたんだ」 「なんで怒ってたんだよ?」 健輔はやっぱり忌憚のない人間だった。 「…なんか、役員の仕事で、ちゃんと考えてくれないっていうか…あーいえばこう言い訳をしてくる、みたいな…」 瑞希の手前、母さんが言っていたことをありのまますべて口にするのは憚られる気持ちがやっぱりあって、俺は瑞希を傷つけたいわけでも、瑞希の母親や自分の母親を悪く言いたいわけでもないから、俺は母さんが言っていた中でも普遍的で尚且つ刺激のないものを選んだ。お陰様で口に出す直前で引っ込めたり奥から引っ張り出したり取り替えたりして、少し口がつった。 「瑞希ん家も?」 涼介が訊くと、瑞希は頭をうなだれさせながら、笛をヒョロヒョロと微弱に吹いた。肯定だと俺でもわかった。 「俺たち、子供は何も無いんだけどな」 俺と瑞希は慰め合うように目を合わせた。 「原因になるっちゃなるな。でもそれで人を殺すか?」 「こじれるとこまでこじれれば、そうにもなりえるだろ」 やまぶーの素朴な疑問を涼介はきっぱりと言い退ける。 「お前らは?」 やまぶーは矛先を俺たちから健輔たちに向けた。 「慧人の母ちゃんとはなんの関係もねぇーよ」 健輔はアスファルトにどっからか拾った石を叩きつけながら返した。 「ちげぇよ。ほらコバと――」 「ねぇよ。なにも。たまたま目合っただけだわ」 健輔はやまぶーに最後まで言わさず、浮上したコバとの因縁関係説を否定した。 「ホントかよ」 やまぶーが健輔に疑いの目を向ける。が、健輔はむくれたように顔を背けるだけだった。 ここでしつこく踏み込めば、健輔は逆切れでもなんでもするだろう。そう付き合いの短い俺がだいたい予想ついているのだから、長い付き合いのやまぶーはもうとっくに悟っていて、健輔にそれ以上追及はしなかった。 「俺ん家は慧人の家族自体関わり合いねぇしなぁ」 と、やまぶーはあぐらをかいた。 「俺ん家は母親が慧人のお母さんと仲が良かった。たぶん同じようなハッキリとものを言う性格だったから、気があったんだろうね」 涼介はどこか皮肉めいた響きを含ませ言った。 「やっぱり親どもに話を聞かなくちゃいけねぇか」 そう言って、周囲の大人たちを見回す健輔を俺はなんとなく眺めていた。そこでふと思い出したことを俺はふいに口にする。 「……そういえば、夏になるとなんだけど、家に嫌がらせをされてたんだよね」 「はぁ!?なんでそういう肝心なこと言わねぇんだ!」 それに一番反応したのは健輔だった。悪ぃと俺はこの事件を積極的に調査してくれていた健輔に真っ先に謝る。 「…ったく。で、どんな嫌がらせされてたんだよ」 「車のバンパーがこう真っ二つに折られたり、ナンバープレートが曲げられてたり、ポストに生ゴミぶちまけられてたり、みたいな」 「陰湿だな。つか車ヤラれ過ぎじゃね?」 健輔は口をへの字に曲げ、被害を受けた俺よりも不快感を示す。 「守沢家が狙われてたってことか?」 やまぶは眉間に皺を寄せ、少し頭を傾ける。 「おいおいおい。もしそうなら、コイツの言ってる通りになるじゃねぇか」 健輔は涼介に忌々しげに細めた目をやり、心底嫌な顔をする。 「やっぱり間接的に、原因があったんだな」 涼介はしたり顔にも見える無表情で片眉を弾いた。 「まずなんで夏?なんで嫌がらせが夏だけやられるんだよ。なんか理由とか思い当たるコトとかねぇの?」 やまぶーに聞かれたが、嫌がらせを受けた当初も考えたけど、やっぱり思い当たる節がなくて、俺は「ねぇ」と首を横に振った。 被害を受けてる当事者にわからないと言われてしまえば、第三者はお手上げ状態になる。今、まさに俺たちはその状態に陥ってしまっていた。 「あ」 だが、救世主みたいに、今絶対俺たちの話のメインディッシュになりそうな人物が俺たちの前を通り過ぎようとしていた。 まるで悪い子を痛めつけ地獄へ引きずり込むブラックサンタクロースみたいだった。子供のためのプレゼントを詰め込んだ心優しいサンタクロースと違って、誰かの口にぶち込んで食わせそうな草を詰め込んだ大きなゴミ袋を誰かを恨んでいるかのような険しい顔で抱えた用務員おっさん――山脇だ。 「忘れてたアイツ」 俺も、と同意する前に、恐れを知らない健輔が山脇に駆け寄って行った。 「おい――」 「うるさいな!!仕事をしてるのが分からんかッ!!この戯け者がッ!!」 ありえない力で思いっきり頬を叩(はた)かれたような大声だった。 しかもあまりの不意打ちの中の不意打ちで、近距離にいた健輔が珍しく驚いたままの仰け反るような姿勢で固まっている。周りにいた大人たちも何事かと健輔たちの方へ視線を凝らす。 少し離れていた俺も心臓がひゅっと縮みビクついた。やまぶーも目を見開き体を仰け反らせ、芦北も両手で耳を塞いで、瑞希も怯えたように瞳を震わせ、コバも自分の体を守るように抱きしめていた。涼介だけはまるでこうなることを予知していた人みたいに何も変わらず動じず、ひんやりと山脇の方へ目をやっていた。 のちに、山脇は健輔を放置してどっかへ歩き去ってしまった。そのあとしばらくしてから石になっていた自分のからだを解いてこちらへ帰ってきた健輔は、 「やっぱりアイツが第一容疑者だな」 と第一声に発した。 その後、俺たちはまだ調査していなかった他の学校にいた先生たちに聞き込みをした。真鍋先生、野中先生、永尾先生、この三人以外、特に怪しいとこはなく、きっちりとしたアリバイもあり、きっちりとした証人もいた。健輔の強い要望で親たちも聞き込みに行こうかと思っていたが、時間の問題と大人たちの地雷を踏んでしまうんじゃないかとどこか内心辟易していたから、次回に持ち越しになった。 そんなこんなで今日の収穫は、この事件がこの町に少なからず衝撃を与えているってことと自分がその事件の関係者なんだっていう事実を思い知らされただけだった。
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