浮かび上がるデプレッションとプルーストな夏祭り

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結局俺たちはコバが容易く手にしていたゲーム機を手にすることはできなかった。俺も参加し、戦いを挑んだが見事に撃沈だった。そんな狙っていた景品を取ることができなかった健輔は神社の中石段に座りならぬ体育館前の石段に座り、猫のように背中を丸め、頭をうなだれさせ、わかりやすく落ち込んでいた。 「そんな落ち込むなよ。十発やっても落ちねぇってことはそういう運命だったんだよ。ほら、俺のチョコバナナ食べろよ」 「下ネタ?」 「ちがうわ。俺が買ってきたチョコバナナを食えって言ってんだよ」 「ホントかしらぁ…?」 健輔は豪快に開いていた足を女子みたいに内股し、男を軽蔑するような訝しげな目で隣に座る俺をなじり見て俺が差し出したチョコバナナを警戒しながら受け取る。さっさと受け取れ、バカが。 「あと二千円くらいかければ取れてたな絶対」 健輔は俺があげたチョコバナナを噛みちぎり、ひねくれたように下唇を歪めながら食べる。 「ムリだよ。そんな簡単に落ちないようになってんだよああいうのは。たぶん一万ぐらい使わなくちゃ取れねぇんじゃねぇか」 「そんなに!?だったら貯めて買うわ!」 健輔はやさぐれたようにチョコバナナを食いちぎる。そんな健輔に「だな」と同意して、俺もチョコバナナを口の中に迎える。 二、三回噛んで、チョコを溶かし、バナナをつぶして、飲み込む。が、噛み足りなかった。勢いがよすぐすぎた。チョコとバナナが本来行くべきとこじゃない場所に滑り降りてって俺はむせてしまった。隣にいた健輔が心配して顔を覗き込んでくる。 「大丈夫か?慧人?落ち着いて深呼吸しろ。ひぃひぃふー」 「に、妊婦じゃ、ねぇんだよっ。き、気管に、つまったっ……!」 呼吸もろくにできずむせ返りながらも必死に経緯と現状を訴える俺に、 「ひぃひぃふーだぞ。ひぃひぃふー」 健輔は妊婦扱いを続ける。その顔は意地の悪い愉快さに満ちていた。 「なっにも、生まれねぇよ!」 「おぎゃあ」 なんとか言い返した所でやまぶーが悪ノリしてきた。 「あ、産まれた。大きな赤ちゃんですよぉ」 「……っデカすぎんだろ!全然似てねぇし!」 咳が治(おさま)りかけ、そう反撃をすれば、 「ひどいっ!ひどすぎる!この子はあなたの子よ!!」 健輔の悪ノリは加速し、やまぶーの頭を両手でと、食べ終えたチョコバナナの箸を尖らせた口に挟み、パチパチと目を開け閉めして見当たらない睫毛をはためかせたやまぶーの顔をコッチに向けてきた。あまりの気持ち悪い光景に俺はうえっと吐き気を催した。そんな真っ当なリアクションをした俺に非難めいた声が上がる。 「最低!!謝って!!この子に謝って!!」 「なんでだよ!悪いことひとつもしてねぇわ!」 「あやまりなよー。山江くんに失礼でしょうっ」 健輔に根拠のない謝罪を迫られる中、コバが参入してくる。振り向けば、チョコバナナを口に迎え入れ、頬張り、こちらに見せつけるようにゆっくりじっくりバナナを噛み砕いていくコバの顔があって、その首を少し傾げて、蔑むような瞳を奥に据え置き、遅めの瞬きをする、態度、仕草が、凝り固まった自分の正義を振りかざし、威張り腐った女子の学級委員長みたいで、女を殴る趣味はないが、殴りたい気持ちだった。 「助産師から学級委員長、登場人物の幅広すぎんだろ!どうゆう関連があんだよ!どんなストーリーだよ!」 「ツッコミきれてるぅ〜」 やけくそに撒き散らした反撃までも健輔はいじってきた。小馬鹿にするように唇を突き出して、親指と人差し指でL字に作った両手を煽るように俺に向けくる。それに乗っかってやまぶーとコバも同じポーズで俺をいじってきた。俺は腹立つを通り越して呆れてしまった。 「あーなんか楽しいことねぇかなー」 バナナが俺の口内を甘ったるく慰めてくれる横で、健輔が散々人をいじくり回したはずなのに、まだ遊び足りないといった感じでそう口走る。 「あるよ」 即答したのはチョコバナナを食い終え、物足りなく割り箸をクルクル回すやまぶーだった。 その隣でまだチョコバナナを堪能しているコバおぼちゃまが俺たちと同じようにやまぶーに目をやる。 やまぶーは視線と人差し指をまっすぐ前に向けていた。 そのやまぶーの視線と指の先を辿っていけば、さっきまで何も無かったはずのその場所にいつの間にか小さくて丸いカラフルな風船らしきものを浮かべた小型のビニールプールが置かれており、その横で役員のお母さんらしき人が看板を立てていた。 「なんかやるみたいだぞ」 「水風船じゃね?」 俺と健輔がそう言っていると案の定、役員のお母さんが退いた看板には“水風船 一人一個 ご自由に”とマジックペンで書かれていた。 「ご自由にだってさ」 やまぶーが言う。 「貰おうや」 健輔が子供みたいに言う。 「貰うのかよ」 俺は呆れた視線を健輔に向ける。 「ヨーヨー?」 「ヨーヨーじゃないないみたい。ただの水風船」 へぇ〜と返事する健輔に向けていた目を俺はすぼめる。 「マジで貰えんの?タダ?」 「ご自由に、だからタダだろうな」 やまぶーが面倒臭そうに返せば、健輔は勢いよく立ち上がった。 「一人一個だかんな」 そしてイキイキしながら突風のような勢いで水風船が浮かぶビニールプールに向かった健輔の背中にそう声をかけたが、多分聞こえてないだろう。いや、聞かなかったんだろう。 それを証明するように健輔はためらうことなくルールを無視してビニールプールから水風船を三つ取ると、くるりとこちらへ振り返り、とてつもない悪巧み顔で俺たちの方にのそのそと向かってきた。 「……スゴーくイヤな予感」 「オレもっ…!」 やまぶーの意見に同意し立ち上がったと同時だった。健輔がのそのそ歩行からダッシュして俺たちの元に駆け寄り「オラァ!!」水風船をぶつけてきたのは。 「うわぁ!」 最初の犠牲者は、反応が悪く、ワンテンポ遅れて立ち上がりかけていたコバだった。 「もうっ…さいっあく…」 「コバ!ご愁傷さまぁあ!」 食べかけのチョコバナナと共にびしょ濡れで水風船の餌食になった災難続きのコバに、やまぶーが逃げ走りながら同情を寄せた。 「おらゃあぁぁあ!食らええ!!オレ様の積年の恨みぃぃいい!!」 「っ、恨みってッ…!お前に持たれ――」 が、そのやまぶーも最後まで反論することさえ許されず、「うわっ!」健輔の水風船にやられた。わがままボディの中枢となる突き出た腹に派手にぶつかり弾き出た水風船の水が、やまぶーの上着の下半身とズボンの股上を濡らし、深く黒い染みをつくった。 「おもらしじゃん!」 思わず笑って俺が言えば、 「みなさーんご覧くださーい!!森川中学の一年生山江太一さんがおもらししてマース!!」 それに乗る形で健輔が口に手を添えて夏祭りを楽しんでいる周りの人たちにやまぶーの恥ずかしい姿を大声で言いふらし晒した。 「もらしてねぇわッ!!」 やまぶーはすぐ大声で否定するが、娯楽を欲深く求め夏祭りに駆り出た群衆には効果はなく、ニヤニヤ、ニタニタ、クスクス、と行き交う人たちの下卑た好奇な視線と笑みがやまぶーに浴びせられる。特に女子なんて、そこまで?と言いたくなるほど軽蔑感強めでやまぶーを見ている奴もいる。可哀想に。夏休み明けの学校の話題をかっさらうのはやまぶーだな。そして女子たちから距離を置かれる男になるのもやまぶーだな。 そんなやまぶーの悲惨な現状と未来にご満悦したご様子の健輔がゆったりとコッチへ振り返る。想像した通り、健輔は、ニンマリと意地悪い笑みを湛えていた。そして、俺を確実に捉えてる二つの黒目がらんらんと輝いていた。やばい、と思った。 健輔はナイフを水風船に変え、まるで殺すと決めた標的を追い詰めていくチャッキーのように歩み寄ってくる。俺はそんな健輔から目を離さず、ゆっくりと後ずさっていき、 「お前……ふざけんなよ!!」 水風船の襲撃から逃げようと走り出したと同時に「食らいやがれぇええ!!」と健輔が俺に向かって勢いよく水風船を投げてきやがった。が、「おうぇい!」すんでのところで変な声を出しながら身を捩り、俺は健輔の水風船を上手いことかわした。 「ざまぁ!なめんな!」 挑発を孕ました勝ち誇った顔で健輔の方を見れば、悔しそうな顔でもしてると思っていたのに、健輔は予想外なことが起きて少し驚いたような顔をしていた。俺の後ろの辺りに目を一点に向けながら。それに流されるように俺も自分の後ろを身を捩って見てみる。 そこにあったのは、いや居たのは、髪の先やこめかみからポタポタと水を滴らせる涼介だった。オーマイグッドネス。俺は白目を剥く。よりによって涼介に当たってしまうなんて。面倒臭い展開になること間違いなし。 「アハハハハハハ!!ざまぁみろぉざまぁみろぉ!オレ様に対する日頃の無礼な態度のバチが当たったんだよォ!!」 そんな涼介を見て、健輔はこれでもかってくらい喜び、さっき俺が向けたものより挑発的で、勝ち誇った顔で、悪魔に取り憑かれたような高笑いをあげた。 涼介は睫毛をゆっくりと下から持ち上げて、底深く尖った目つきで健輔を睨みつけた。その端整な顔に水風船の透明な水が、幾筋も流れていく。 涼介の後にいる瑞希が、この先の行方を案じるように顔をくしゃりとさせた。 それはもう瞬きをするような一瞬だった。 尖らせた目のまま涼介は水風船が浮かぶビニールプールに向かい、群がる子供をかき分けて乱暴に一つ水風船を掴まえると、その水風船をいきなり甲子園の高校球児並の豪速球で健輔に投げつけた。 「グホッ!」 踏みつけられたカエルような声を上げて、いつものように煽ることも、防御態勢を取ることもできないまま、健輔は涼介の死球に近い水風船をまともに食らった。顔面に。めり込んだんじゃないかって思うくらい。 健輔は衝撃にふらついたが、足を踏ん張り、髪に覆いかぶさった水を弾き飛ばしながら体を斜めに捩って見上げるように、涼介を憎々しげに睨みつけた。そして健輔は、闘牛のような剣幕で涼介めがけ突進していった。 俺が止めに入ろうと駆け出した時にはもう目と鼻の先の距離で健輔が涼介の真正面を陣取っていて、全面戦争への火蓋が切って落とされると半分制止するのを諦めかけたが、涼介まであと二歩という所で、健輔がクイッと左へそれた。 突き刺すような涼介の眼光にまさか怖気づいたのかと思っていれば、健輔は突進した勢いを落とすことなくそのままにビニールプールから水風船をわしづかみすると、間を置かずにその水風船を涼介に向かって叩きつけるように投げた。かなりの至近距離だった。だけど、天性の抜群な反射神経をお持ちだった涼介は体を反り返らせ水風船を華麗にかわした。 冷徹で誇らしげな涼介の顔が健輔をあざ笑う。 わかりやすく単純な健輔は怒りと悔しさが込み上げたカッとした顔つきになって、赴くままにまたビニールプールに手を突っ込んだ。その際派手に水飛沫が飛び散り、かかった周りの小学生たちが迷惑げな視線を健輔に向けていたが、そんなことなど当然ながら全く眼中に無い健輔の手には水風船が握られていて、これもまた当然ながら涼介に向かって暴力的にぶん投げられた。だけど涼介も目にも留まらぬ速さでビニールプールから水風船を取り、ここでも研ぎ澄まされた高い反射神経が作動して、健輔の手から水風船が離れる前に自分の水風船を放った。 二つの水風船は矢のような速さで宙を切り裂いていったが、どちらも空振り、地面に水をぶちまけへたばった。 両者とも一歩も譲らない戦いだった。 健輔はカッと目を見開き憎たらしく顎を左右に動かしながら、涼介は目をすぼめ口を真一文字に結んで、ふたりは対峙している。言葉はなかった。だが、向き合った目と目の間には火花が散っていた。 どちらかが負けるまで終わらないだろうと俺は誰が言わずとも分かる結末を見越して、仲裁に入るべく足を一歩二人へ踏み出した。その時。 黙って火花を散らしていた健輔と涼介が同時に動き出し、ビニールプールの水風船を五、六個くらい一気に両手に抱えて走り出し、死力の限りといった感じで投げ合いだした。 小休憩と軽い食事場だった体育館前は、一気に涼介と健輔の戦場と化した。 健輔はいつものことだとして、どんなときも冷静沈着で一時の感情に流されない涼介がこんな健輔に意地になって応酬するなんて珍しかった。腹に据えかねるものを、たまたまちょっかい掛けてきてぶつけても正当化できる関係のない人間に理不尽に当たり散らしてるように見えてくるほど。 一発だけでも当てようと二人が躍起になっている中、周囲は飛んでくる水風船で浴衣が濡れたり、焼きそばが水浸しになるなどの被害を受けるのを嫌がって場所を移動して距離を取ったりして、みな遠巻きに迷惑そうな顔で二人を見ていた。 騒ぎを聞きつけた大人たちに叱られる前にやめさせようと二人向かって走り出そうとしたが、解けていた靴紐に足止めを食らわされ、俺はすぐしゃがみ靴紐に手を伸ばす。 「おまえらやめろよ!」 そうして靴紐を結んで立ち上がった瞬間――顔面と背中に衝撃が走り、反射的にそむけつぶった両眼にしみるような微かな痛みが貫き、背中にTシャツがベタリと張り付く感覚に包まれた。 自分の身に起きたことなのに、一瞬なにが起こったのか分からなかった。だけど次の瞬間には、濡れたと思った。ただそれだけを先に思った。 水浸しにされた、自分の濡れた顔を服の袖で拭いてから、軽く片目をつぶって、もう片方の目を顔面に食らわされた水風船が飛んできた方角へ向ける。 申し訳なさそうな顔で手でも合わせてでもいれば許してやるつもりだったのに、健輔は俺を指さし、わざとらしく手で口元を隠して小憎たらしく笑っていやがった。 俺はバサッと背後を振り返る。眉尻と口角を下げている涼介の詫びる顔が俺を受けとめた。こちらは許そうと思った、矢先。 「仲間仲間!」 アハハとやまぶーが馬鹿みたいに声を上げて笑った。 なんだよ仲間って、と恨めしげにやまぶーを見れば、俺の下半身を健輔と同じように指さし笑っている。流されるがまま見てみると、俺はあぁ本当に仲間だと思わせられる現状がそこには広がっていた。 やまぶーのように大きく豪快にというより、大の大人が我慢することができずやもなく漏らしてしまったような、なんでそんなベストポジションに水滴が染み入ってしまったんだと叫び問いたくなるほど、俺のムスコが息を潜めている、俺のズボンのセンターポジションが薄黒く濡れていた。 攻撃を受けたのは顔と背中だったじゃんか、やまぶーみたいに直撃じゃないじゃん、と思ったが、不思議と不快じゃなかった。むしろ爽快だった。蒸したように燃えていた体の熱を拭い去ってもらえて、すれ違う人たちが時々向けてくる憐れむ視線にいちいち気分を損なっていた自分に喝を入れてくれたような、煩わっていた厄介物が消え去ったような清々しい気持ちだった。 加えてもうどうにでもなれなんていうやけくそな気持ちにもなって、俺は子供たちが群がるビニールプールまで走った。そしてさっきの健輔と涼介みたいに水風船を何個か抱えて襲撃に出た。 最初のターゲットはもちろん健輔だった。涼介ほどではないがそこそこの速球で精一杯力を込めて水風船をお見舞いしてやった。健輔はとっさに身を捩り足を上げてガードしたがきっちり命中した。その次は自分が狙われると察知してちょこまか逃げ回っているやまぶーで 「オレをやんのはおかしいだろ!」 「仲間だとか言って笑ったじゃねぇか!健輔と同罪だよ!」 不満をあらわにするやまぶーになんとか狙いを定めて俺は水風船を放ったが、近くでチョコが溶けたチョコバナナを片手に棒立ちしていたコバに当たってしまった。 「なんでおれに当てんの…」 「わりぃわりぃ。手狂った」 言葉では言い表せない哀愁漂う顔で俺を見るコバに俺はすぐ謝る。 「おいやまぶー!どっこ行ったんだよ!!」 絶対水風船を当ててやると強い決意のもと身を翻してやまぶーを探していると、突然肩に水風船らしき襲撃を食らった。 「おおい!」 油断していたとすぐ犯人の方を振り返れば、てっきり健輔かと思っていたのに、いたずらっぽく口もとをゆるめて笑ってる涼介がいた。その顔はなんだか久しぶりに見た。本当は思いっきり笑いたいのに恥ずかしそうに禁じられたように笑いを隠そうとする、その顔は小学生のときはよく見ていたのに。 「おおい!!涼介!!」 半笑いで怒鳴るように涼介に向かって叫べば、捕まえてみろよと言いたげな挑発的な顔をこっちに投げてカニのような横歩きで俺と距離を取っていった。そうやって涼介が動いたことで隠れていた瑞希がひょっこり現れて、ぱちりと目が合い、俺はこれでもかってほどの悪巧み顔を作って瑞希に向かって水風船を持った手を掲げて見せた。それに瑞希は声なく笑って可愛らしく小走りで逃げ回った。 それから酷いもんだった。後先のことなんて何も考えないで、みんな堰を切ったように暴れた。 健輔はとりあえず誰でもいいからといった感じで無差別に俺たち全員に水風船を投げ続け、涼介は自分と目が合った人間だけを狙い投げ、瑞希も自分の目の前に通った人だけに軟弱な水風船を投げてはすばしっこく逃げ回った。足が遅く反射神経も鈍いやまぶーは健輔や涼介や俺の餌食になることが多くて俺たちの誰よりもすぶ濡れになっていた。でも涼介と引けを取らない豪速球を放ってぶつけてきた。コバはよほど自分のチョコバナナが襲われたことを根に持っていたのか、俺らに向かって水風船を投げるたびに「チョコバナナァァアアア!!」と若干狂気じみたように叫んで、チョコバナナの恨みを晴らそうとしてくる。 そんな感じで俺らはバカみたいに笑って、バカみたいに水風船をぶつけ合った。体育館前は俺たちだけの水風船合戦で占領され、段差に座り込んでいた人たちはいつの間にかいなくなっていて、アスファルトも雨が降った後みたいに水浸しになっていた。 頭がおかしくでもなったんじゃないかともう一人の自分が俯瞰して思う中、羽目を外して暴れ回った俺たちだったが、不意に目の前にいた健輔や涼介がピタッと動きを止めた。あまりの不自然さに俺は不安になってなんだと辺りを見回せば、やまぶーも瑞希もコバもその場に縫い付けられたように固まっている。超能力で時間を止められた映画のワンシーンにでも迷い込んだかのような光景だった。みんな大きく眼を見開いて、どこか一点に釘付けになっていた。 俺は恐る恐るみんなの視線を辿った。するとその先にいたのは――オーマイグッドネス、学校の用務員、山脇だった。 別にその場にいるだけなら、こんなに悪夢を見ているような気持ちにはならなかっただろう。俺たちの誰かの水風船が山脇の顔面に直撃なんてしなかったら、こんな風に金縛りにあったように体を硬直させることもなかっただろう。 想定していなかったモノの中で最も最悪なケースを引いてしまった。 山脇は上から下へ、手で顔面に張りついた水を払い、下から人を刺し殺すような形相で俺たちを睨めつける。そして―― 「お前らぁああ!!」 目ん玉ひん剥いて獰猛な怒号を上げ、怨霊のような姿でこっちへ向かって来た。 「やっべ!!逃げんぞ!!」 健輔のその一声で、俺たちの金縛りは解け、怨霊から逃げるというなんともネガティブな同じ目的のもと、初めて一致団結した動きで俺たちは健輔が開けた体育館に繋がる扉から校舎の中へ急いで逃げ込んだ。 「早くしろ!やまぶー!!」 俺は振り返り、遅れを取っていたやまぶーに早く早くと手招きしながら叫んだ。 「わかっ、てるよ…っ!」 ダイエットに励むおばさんみたいに腕を振って早歩きする走り方でなんとかやまぶーは校舎に辿り着き、最後尾だったやまぶーが迫り来る怨霊を断ち切るように体育館へ続く扉を閉じ、鍵をかけた。そのまま勢いを落とさず、俺たちは先頭の健輔たちを追いかけ校舎を一周するように走った。俺たちが駆け込んできた扉の対岸になる生徒玄関がある廊下の角を曲がった所で様子を窺っていた健輔たちの過敏な顔が飛びこんできた。 「来てる?」 小声で健輔に聞かれ、俺は角から半分顔を出して片目で見てみるが、山脇はおろか人っ子ひとりいない。 「……来てない」 「っ、鍵閉めたから、入って…っ、これねぇよ…」 「よくやったやまぶー」 とえずきながら荒い呼吸を繰り返すやまぶーの背中を思いっきり健輔が叩いた。その衝撃でやまぶーが体をくねらせ大きくえずいた。 「おい今なんか出てきそうだったぞ」 「ちょっとトイレ言っていい?」 誰か続いてくれると思っていた俺のやまぶーイジりを華麗に遮ったコバに、俺はじとっとした目を向ける。 「勝手にに行けや」 健輔にそう邪険に言われ、俺の不満げな視線まで無視したコバはさっき俺が様子を窺い見ていた廊下を気にしながらトイレに向かっていった。 「あーあ、服がびしょ濡れだわ」 水風船合戦を始めたのはお前なのに、自分だけが一番大きな被害を被ったような言い方で、健輔はずぶ濡れになった上着を腰の辺りで思いっきりしぼった。 「おい廊下でしぼんなよ。それで滑ったらどうすんだよ」 「滑るわけねぇだろ」 人のことなんてまったく考えないで健輔はふらふらとどっかへほっつき歩いていく。 涼介は髪をかきあげて水を弾き、その横の瑞希も顔を振って水を飛ばし、やまぶーが上着で豪快に顔を拭いていると、コバがトイレから戻ってきた。そんなみんなの姿を一通り見てからなんとなく俺も動き出せば、みんなもつられるように歩き出して俺の後をついてきた。その時。 「あっ!!」 というコバの声が廊下に響いた。その声に弾かれるように振り返れば、 「あ、滑った」 俺が指摘した通り、健輔が服を絞り作った水溜まりにコバが足を滑らし、尻もちをついていた。 「大丈夫か、コバ」 近くにいたやまぶーが手を伸ばした。 「いったぁ…ありがと」 コバは差し出されたやまぶーの手を借りて、痛む自分の尻を撫でながら立ち上がった。 「バナナの皮でもねぇのに」 被害を受けたコバにそう呆れたように言ったのは健輔だった。大丈夫だったかのひと言も付け加えることなく、健輔は思うがままにまた歩き出した。そんな悪びれた様子もない健輔に俺は呆れた。 夏祭りで賑わう校舎外とは正反対に興ざめしたような校舎内は味気なくて早く出てしまいたかった。けど俺たちを懲らしめようと彷徨いている山脇のジジイと鉢合わせするのも嫌だし…どうしようかと考えを巡らせながら廊下を歩いていけば、話し声がうっすらする保健室の前で立ち止まってる健輔に気づいた。 中の様子を窺うような健輔につられて同じように中を覗いてみれば、野中先生と顔と存在くらいは知っていた校則違反の派手な髪色と髪型をした男子中学生三人と女子二人、計五人が保健室内でお取り込み中だった。 「なんでなんっすか?なんで全部返してもらえないんですか?」 「当たり前だろ。未成年が吸っちゃいけない煙草をやすやす返せるわけないだろ」 校舎裏でコソコソなんかやってるかと思えば、と野中先生は嘆くように頭を振る。 「それっておかしくなーい?」 「おかしくないおかしくない」 「勝手に生徒のモンを取り上げて勝手に無くしといて?」 「先生としてつうか、人としてやっちゃいけないっしょ。人のモン無くすとか」 「はいはい悪かった悪かった。ちゃんと探して返すから。この部屋のどっかにあるはずだから」 「あれ無くされたら困るんですケドー」 「スペアキーもないのか?」 「ナイデース」 どいつもこいつも敬意がなく生意気でだらしない口の利き方だった。そんな群れの中にいる男子中学生の一人――松宮先輩が保健室の開けっぴろげのドアの前にいる俺たちに気づいた。 「ういっす」 最初に声をかけたのは健輔だった。 「おぉ健輔」 ニワトリみたいに頭を前後させながら今まで見ることがなかった畏まった態度で健輔は松宮先輩に近寄っていった。 「お久しぶりッス…」 そんな健輔に続くようにやまぶーも扉の横から顔を出して松宮先輩に軽く頭を下げ挨拶する。 「やまぶーじゃん」 松宮先輩は顎をやや突き出した上から目線で二人の挨拶を受け入れる。 「元気?つかお前らこんなとこで何してんの?」 「用務員のジジイに追いかけられて…」 「山脇に?なんで?」 「水風船で水ぶっかけちゃったんスよ」 「ウケるー」 「で、山脇から逃げてココにいんのかよ」 「そうっす。たぶんまだそこら辺でオレらのこと待ち伏せしてっかもしれないっス」 「俺らについて来いよ。山脇なんてぶん殴ってやっからよ」 「俺らの後ろにいたらぜってぇ絡んで来ねぇから誰も。来いよ。八木とかもくっから」 「行きたいのはやまやまなんすけど……、今日は友達と来てるんで…」 と健輔は作り込んだ申し訳なさそうな顔で俺らの方を見てきた。松宮先輩たちが後追いするように俺たちの方へ一斉に顔を向けてくる。 先輩風を吹かしたその目はどこか見下し見定めているような性悪な光があって、高圧的に鋭かった。俺を不快にさせるにはその目だけで充分だった。 そんな目に素直なくらい威圧されたコバがすぐに軽く頭を下げ、瑞希が首をすくめたのが横目で見えたが、涼介や俺は何の反応もしなかった。しようとも思わなかった。 「あ、お前…」 松宮先輩に金魚のフンみたいにくっついてる先輩の一人がこっちに向かって指をさしてくる。その指先はどう見ても俺に注がれていた。 「守沢慧人だろ?」 指を向けた先輩から横取りするように松宮先輩が偉そうに俺の名前を言った。こうして松宮先輩の視界に入るのは初めてだった。 俺が反応しようか迷っている瞬きするくらいの間に、松宮先輩はヘラヘラした顔で後ろを振り返り、同じようにヘラヘラと笑ってチラチラと俺に視線を投げる仲間たちと意味ありげな目配せをし合った。 俺に向けられた視線は、うんざりするほど今まで浴びた憐れみではなかった。好奇的っていうには生易しかった。そこには人を笑いものにする“嘲弄”が明確にあった。 あいつらの目の前に行って吐き散らしたいほどの強い不快感が俺の胸の中で急膨張してくるのと同時に、殴りかかりたい怒りもふつふつと湧き上がる。なのに反対に諦めのようなやるせない思いにも横切られた。 「大丈夫か?お前」 愉快に眉と口角を上げ、意地の悪い目で俺を捉え、松宮先輩はからかうように俺に聞いた。 大丈夫って言葉がこんなに汚い言葉だと感じたことはなかった。血が逆流するように身体が熱くなった。でもここで怒ったりなんかしたらやつらの思うつぼだと俺は冷静を保とうと努めた。 「見て通り大丈夫っス」 張り詰めさせる俺の沈黙を二秒越えさせることなく唇を尖らせたひょうきんな顔をして笑いながら対応したのは、もちろん俺じゃなくて、気遣いなんてものとは無縁の健輔だった。 「でもじゃがバターが食えなくてさっきから不貞腐れてるんで、ココで失礼しまーす」 健輔に強い力で肩を組まれ、そのまま俺はひきずられるように松宮先輩たちから離されていき、職員玄関から校舎を出された。
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