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幸い健輔は追っかけてくることはなく、邪魔されることもなく、トイレにたどり着き、安心して尿意を解消した俺はその開放感に浸ることなくさっさとトイレを出た。
出てすぐ俺は何やら慌てて頭を下げて図工室のドアを閉める芦北と遭遇した。そして、思いがけず目が合う。
「……帰ったんじゃなかったの?」
さっきまで一緒にいて無視するのもどうかと思って、出入口の扉までの道筋にいる芦北に歩み寄りながら俺は訊いた。芦北は腕にぶら下げているビニール袋とは別に、張ったように膨らんでるビニール袋を腕の中に抱え込んでいた。
「…っあ、うん…帰ろうと、思ったんだけど――」
「モリサワー!!ショートカットで年上の女の子が大好きな守沢慧人くーん!!イケメンで友達思いそして大変やさしいナイスガイ男友達の岸谷健輔くんがずいぶん待たされております!!至急ああ至急に健輔くんがいる体育館前までお越しくださいませぇー!!」
たどたどしい芦北の返答を、俺の個人情報を辱める気満々で周囲に言いふらしながら、大声で俺を呼ぶ健輔の声が遮った。
大人しく従順に追いかけてこないと安心しきっていたら、こんな嫌がらせをしてくるなんて……アイツには呆れ返るのと同時に殴りたい気持ちが疼く。こんな気持ちになるのは今日だけでもう何度目だ。
「まじでアイツ――んで、なんだっけ?」
今すぐにでも思いっきり一発殴りたい気持ちを抑えて、背中を丸めて少し重たそうに腕の中のビニール袋を抱え俺を見上げてくる芦北に俺は顔を向ける。
「あ、ん、あの…コレ……」
健輔の意地悪にも負けず芦北が再度口を開いた途端、またしてもタイミング悪く、芦北の背後のドアが開き、図工室から真鍋先生が出てきた。
「あ」
「あれ?何してんの?こんなとこでふたりで」
不意をつかれたことによる若干の驚きと戸惑いの顔を向ける俺と芦北を真鍋先生は同じように少し驚き、不思議そうに見返してくる。だけどすぐにあっという顔になった。
そして何故か、
「ごめんねー。邪魔したよねー」
真鍋先生は申し訳なさそうに眉を下げた顔の前に手刀を立てて、俺たちの横を忍者みたいな抜き足差し足忍び足で通り過ぎていく。
「え?なにが?」
その忍び足も含めて、すかさず俺がそう訊いても、
「あ、気にしないでどうぞどうぞ。邪魔者はすぐ消えまーす」
真鍋先生は忍び足のまま、俺たちをにんまりとした顔で見ながら体育館へ繋がる扉に向かってスタスタと歩き始める。首を傾げる俺の他所に真鍋先生は芦北に向かって“がんばれ”と声に出さず言った。
「なんだアレ」
母さんに見せられダサくない?と思わずコメントした盆踊りのためにつくられた祭りTシャツを着こなした真鍋先生の不可解な行動にますます首を傾げ、遠ざかっていく恥ずかしいくらい大きくプリントされた“祭り”という文字を見つめている俺に、
「……告白、してるって、思われてる」
芦北はとんでもないことを言った。
「ハァ?」
思わず張り上げた声を出した俺に芦北が驚いたように怖がったように首を縮める。
「え?俺が?俺が芦北に?」
「たぶん私が、」
「わたしが?」
「私が…守沢さんに、告白してる、方で…」
「ほうで?」
「守沢さんは…受けてるヒトだって、思われてる…たぶん」
俺は矢継ぎ早に開いていた口を唖然と閉じる。一瞬だけ。
「なんで俺と芦北が――」
「モリサワくぅーん!!年上好きのモリサワくぅーん!!」
また口を開き出した矢先、またあの馬鹿の声が遮ってきた。
そうだった。俺は厄介なモノをもう一つ抱えていた。
「健全な恋より禁断の恋派のモリサワくぅーん」
このまま野放しにしていたら今度は何を言いふらすか分からない。調子づいたアイツの息の根を止めなければ、と思い、
「わりぃ芦北、オレ行くわッ」
うん、とも。分かった、とも。返事を聞かず、芦北も何かを言いかけていたことも忘れて、俺は健輔へと向かって猛然と駆け出した。
そうして誰もいない廊下でひとりぼっちにされた芦北が、去っていく俺を、馬鹿みたいに騒ぐおれたちを、寂しく見つめていたことなんて知らないまま。
「巨乳でも貧乳でもなく、美乳であるかをこだわ――ぐほっ!!」
口元に両手を添えてやまびこをするかの如く俺の個人情報を赤裸々に撒き散らす健輔の背中めがけて俺は勢いそのままに飛び蹴りをくらわしてやった。
そんな俺の一撃を食らった健輔は崩れるように前から倒れ込んだ。
「痛ってぇ!!何すんだよ!!」
健輔は地面に手をついて、怒りの線を幾筋も刻んだ顔で俺の方へ振り返る。
「何すんだよはコッチのセリフだわ!」
「アスファルトで飛び蹴りはねぇだろ!見えっか!?下!アスファルト!硬ぇアスファルトなんだよ!!せめてやるならまだ柔けぇグランドだろ!!ほら見ろ!!ずり剥けてんじゃねぇかよ!!膝!!ほらほら!!膝ひざひざひざひざひざひざぁあ!!」
「膝連呼すんな!人の個人情報ペラペラ大声で言いふらしやがって!名誉毀損!侮辱罪!」
「迷路毀損にも侮辱罪に当たらないと思いまーす。すべて事実なので」
ふてぶてしい顔をつくって俺にそう言い放った健輔の尻に俺は足蹴りをお見舞いしてやった。
「なんだその顔!なんだその言い訳!あと名誉毀損な!間違えんな!バ〜カ」
それから俺たちは猫の喧嘩みたいなパンチを半分ふざけて互いに繰り返した。そんな俺たちを少し、いやかなり離れた所で冷ややかな目で見ている涼介やコバたちの姿を端に捉えながら、切りのいいところで俺は「やらなくちゃいけないコトやんなくていいのかよ?」と健輔に訊いた。
すると健輔は猫パンチをスパッと止め、
「おっと忘れるところだった」
と二度ほど眉を弾いた。
「よっしゃ!子分共ついて来い!」
そして遠目から見ていたやまぶーたちも巻き込んで、俺たちをどこかへ連れていこうとする。
「いつお前の子分になったんだよ」
健輔は俺の声にも気づかないほど意気込んでいた。
「んで、何すんだよ」
「見てわかんねぇか?」
「わかるわけねぇだろ」
少し高台にあるプール前の土手の上で腰に手を当てながら、楽しげに老若男女大勢の人間がうごめく校庭を偉そうに見下ろしている健輔を横目に見る。
連れてこられたみんなも片方の足に体重をかけて気だるげに、何がしたいんだと首を傾げたりして健輔の行方を見つめていた。そんな中、健輔が勢いよくコッチへ振り返ってくる。
「ナンパだよ!夏祭りといえばナンパだろうが!」
「よし、みんな帰ろう」
「待て待て待てぇい!なんで帰んだよ!」
すぐ引き止められ、率先して帰ろうとしていた俺はげんなりした顔を健輔に投げる。
「ナンパなんかしたくねぇし。興味もねぇからだよ」
「お前らそれでも男か!?草食かァ!?ナンパして今のうちから免疫つけて心を鍛えなくちゃいけねぇだろうが!オトコたるもの!!」
「そんなことやりたいのはお前だけだよ」
「鍛えるならお前ひとりでやれ」
俺だけじゃなくやまぶーにまでそう言われても、健輔は引き下がらなかった。
「これだから最近の若者はって言われんだよ!あ、ほら見ろ!あの女オマエの好みじゃねぇか!?」
「あ?」
健輔は俺の肩を強引に抱いて群衆の一角を指差す。誘導されるがまま俺もその指の先の群衆を視線でまさぐる。そしてそれらしき女子集団の中のひとりを捉える。
「……あのミディアムヘアの子?」
「おーよくわかったな!やっぱりお前の好みか?お前年上好きだもんな」
「化粧濃いしムリ。じゃあ本当に帰ります」
「あー待て待て!近くで見たらちょーカワイイかもしれねぇじゃん!このオレ様が口説き落としてやるからマジで待ってろ!」
「あ!ちょっと待ってや!」
俺の制止の声なんてやっぱり届くことはなく、健輔は走ってお目当ての女子のとこに行ってしまった。
「最悪だ…」
「いるんだよなぁ……あぁいう盛りついた男。焼きそばに紅しょうがついてるみたいに祭りにはつきもの」
呆れ果てたように健輔を見ながらポエムを読むようにそう言ったのはコバだった。
「男だけでいいだろ。女子連れてきたらオレ帰るからな。疲れるだけだし。お前も帰るだろう?」
そんな健輔に呆れ果てた同士に賛同を求めたら、
「…え?」
予想外な反応が返ってきた。
「えってなに?お前まさか行く気満々?」
間髪入れず、俺はコバに尋ねた。
「いやっ、ちがいますけどッ」
「ちがいますけどって何で敬語?絶対行く気満々じゃん。一歩前に出てきてるし」
「いや、ちが、べっ別に、ちがう…!」
「いやいやいやその顔は行く気満々のヤツの顔だよ。早口だし。目キョドってるし」
「だから…!ちげぇますけどッ!」
「ちげぇますけどって…行きたきゃ行けよ」
「男だな、お前も」
やまぶーと俺はもったりとした目でコバを見る。そんな俺たちに依然としてナンパをしたくない派だと必死に訴えてくるコバの後で土手から下りようとしてる涼介の姿を俺は捉えた。
「え?ナンパしに行くの?」
「まさかの人物……」
見続けることになると思っていた俺とやまぶーは、俺たちに一言の説明もなく土手を下っていく涼介を注視する。つい数秒前まで否定することに必死になっていたコバも横目で窺っている。
優雅で余裕な足取りで土手を下りた涼介は、どんな意図があるのかわからないが、女子たちの周りを鼻の下が伸びた顔でちょこまか動き回って少しうざかられている健輔の元へ近づいていった。
そんな涼介に一人の女子が気づくと肩を叩いたり耳打ちしたりしてドミノ倒しのようにその場にいた女子たち全員に涼介の存在が伝達されて、女子たちが一瞬にして色めき立ったのが、少し離れたところにいる俺たちでもわかった。そしてみんな下心丸出しのスケベ顔だったが健気なほど一生懸命口説いてきていた健輔なんて最初からいなかったみたいに健輔に背を向け、涼介に釘付けになっていた。
涼介は健輔に声をかけるどころか、女の子たちにも何にも声をかけてないし、口を開いてひと言も話してもない。ただ傍で立っているだけだ。
そんな状態であんな風に女子たちを虜にしてしまう涼介のハイスペックな顔面には今更ながら脱帽するし、驚かされるし、恐ろしくも思える。
「可哀想なくらい無視されてんじゃん」
「見向きもされてないな」
健輔に憐れんだ視線を送るやまぶーに、同じく健輔に視線を貼り付けたまま俺はレスポンスする。
「もう目どころか顔……いや体ごと涼介の方にガッツリ向いてんもんな」
「あんな話しかけてんのにな」
「自分でナンパするって意気込んどいたのにまったくナンパに興味無いヤツに全部持っていかれるあの姿見てるとなんか泣けてくるよ」
「あとで慰めんのぜってぇオレらだぜ?めんどくせぇ」
やまぶーに同感だ。
結局のところ、欲張って女を漁るような男より興味無くそっぽを向いている男の方が女子からしたら魅力的に見えるんだろう。それに加えて誰もが持てはしない整ったルックスを持っていればそれは優勢に傾く。悲しいけど、これが現実だ。
やぐらに吊るされた眩い提灯から散らばった光が、夏祭りにはしゃぐ人たちの顔を照らしている。その光は例外なく涼介の顔のもとにも届いていた。
おこぼれのはずの光を自分のものにして、別格の美しさを宿させた顔の全てのパーツの輪郭を無自覚か、意識的か、際立たせる。その顔は校庭を行き交うぼんやりとした光を灯したどの顔より、同性の俺でも素直に見惚れてしまうほど優れていた。
やぐらに飾られた提灯から放たれた眩い光に照らされた涼介の顔は、夜の闇で影を残して
「あんな顔でナンパが上手くいくって自信どこから湧いてくるんだろう?声かければすぐ女が寄ってくる逸材のヤツだって思ってんのかな?ちょっとは自分がブサイクだって自覚してナンパしろよな」
「言い過ぎだろ。いくら友達でも。あれでも一生懸命ナンパしてんだからさ」
俺は若干人の外見について度が過ぎたことを口にしたやまぶーを窘めた。
そして俺は再び女子に相手にされず、顎をしゃくれさせ、カッと見開いて目ん玉を突き出した顔面エクササイズでもしてんのかと言いたくなる憎たらしい顔を女子の視線も関心もすべて奪う涼介に突き向けている健輔を見る。
「まあ歯磨きもほとんどしねぇらしいし、近くでしゃべったら口臭えげつねぇし、異性の好感を誘う第一条件の清潔感がねぇのに女にモテるわけねぇよな」
「言いすぎだろ。お前の方が容赦ないほど言い過ぎだよ。俺の幼なじみにそこまで言うかぁ?」
「言うよ、オレは」
と俺はやまぶーと目を合わせ、ぷっと吹き出し、腹を抱えて笑った。
次の日、校庭にいた女子たちのほとんど連れて歩いていたと涼介のモテっぷりがたちまち噂になった。
事実は、連れ歩いたというよりついてきていた、と少しちがうけど。
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