前触れの夏

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「慧人!」 俺が昇降口に到着してすぐ、四方屋敷探検への参加を拒否された健輔が駆け込んできた。宗教勧誘よりしつこいな、と鬱陶しさを感じながら下駄箱から靴を出す。 「なあなあ行こうぜ〜行こぜ〜屋敷探検〜。お前が居ねぇとつまんねぇじゃ〜ん」 くねくね体を揺らしながら駄々をこねる健輔の後ろで、対面するたびに頭の白髪がやけ目に入る保健の野中先生が「学校に持ち込まないように」と白衣のポケットからやたらとキラキラと装飾された口紅らしきものを女子生徒に返していた。俺もああやって何故か担任ではなく野中先生に取り上げられたことがあった。他の奴らも野中先生の取り上げにあったことがあるらしく、ハンター野中と陰で呼ばれている。 「聞いてんのかよぉ〜慧人〜」 「うるせぇ」 健輔を軽く叱り、俺は上履きを脱いでいく。と、そこで大きなリュックサックを背負った冴えない顔のコバが昇降口にやってきた。 「なんだよその顔」 笑いながらコバに声をかければ、目に力が入っていない意気消沈の顔がコッチを向いた。 「重い……重い……重い……」 そして、呪文を唱えるようにぶつぶつと俺に向かってつぶやいた。 「嫌だったら断れよ」 健輔の横でそうコバに助言してやれば、コバの苦悩の元凶、健輔が口を挟んできた。 「こっそり持ってきた一眼レフのカメラのせいだろ」 「なんでわかったの!?」 「気が重いんじゃねぇのかよ」 自分が思っていた重いの解釈のすれ違いに思わず声を上げれば、「その意味も入ってたけど…」と俺が怒ったとでも思ったのか、コバがこっちの様子を窺いながら口を尖らせて補足した。そんなコバに俺は少し拍子抜けした気分になり、はぁーとため息をついた。 「気をつけろよ。野中にカツアゲされんぞ」 もう姿が見えないハンター野中の餌食にならないよう警告をすると、コバは一眼レフの入ったリュックサックに手を添えて、ギョロギョロ辺りを見渡した。その姿が少しおかしくて、俺は笑った。 「そのカメラ、屋敷に行くとき持ってこいよ。なんか映んじゃねぇか?」 「やだよ」 「カメラも持ってくるし、慧人も来いよ」 「意味わかんねぇよ。なんでカメラ持っていったら来るって思ったんだよ」 上履きを下駄箱に放り投げ、これ以上屋敷探索への勧誘が酷くなる前に逃げようと靴の中へ足を持っていった。 のだが―――「いっただきぃ!!」と健輔に靴を強奪された。 「おい健輔!ふざけんなよ!」 と俺はすかさず靴を持って校庭を走り回る健輔を追いかけた。なんの予防対策も取らず昇降口を出た俺は、無防備状態で灼熱の太陽と熱気にさらされ、一瞬めまいがした。 それから数分間、校庭で繰り広げられた鬼ごっこは、健輔の後ろから俺が飛び蹴りをかましたことで、めでたくお開きになった。 「ったく、ふざけんなよ」 うつ伏せで倒れている健輔の頭を叩いて、俺は健輔から自分の靴を取り返す。 「……痛ってぇ…。お前の飛び蹴りの命中率なんなん?」 「毎度毎度飛び蹴りをくらうオマエもなんなんだよ」 顔を少し持ち上げて恨めしそうにこっちを見上げてくる健輔を横目に、俺は靴を履いて歩き出す。その五秒後、後ろから突進されるように肩を組まれた。 「冷たいなぁ慧人くんっ!置いていくなよ!」 「付き纏うな」 俺はそう言ってうざったく健輔の腕を払う。その直後、「おぉ?」と健輔が楽しげに弾んだ声を出した。 目をやると、口の端を鎌のように吊り上げ、明らかに悪巧みを企んでる健輔の顔があって、そのまま流れるように視線の先へゆけば、草むらをかき分けてる一年一組、俺たちの担任、永尾先生がいた。 コイツ…と俺は頭を抱えた。 先生というにはどこか頼りなく、内気で常におどおどしている永尾先生はからかいがいがあり、健輔のようなガキ大将気質で常におもしろいものを求めてる奴らしたら格好の餌食だった。 やめろよと言う前にもう健輔は永尾先生の背後にさしあし忍び足でこっそり近づいており、健輔は何か探し物をしてる永尾先生の肩をつかんで「うわぁぁああ!!」と大きな声を出して驚かし、加えてぐわんぐわんと永尾先生の肩を派手に揺らした。 そうしてから、健輔はピンポンダッシュをした人間のように全力疾走で逃げていった。そんな健輔を丸眼鏡を斜めに傾かせたまま、コラーとアニメのように怒る永尾先生だったが、その怒鳴り声はやっぱり間の抜けた感じだった。 健輔が駆けていった校舎前を呆れながら通り過ぎ、夏祭りで披露する太鼓の練習をしている体育館を横切ろうとした先の垣根に、隠れるようにしゃがみこんでいる健輔を見つけた。膝を叩き、痛快と言わんばかりにゲラゲラ笑っている。 「お、慧人ッ。ながッ…永尾、どうだった?」 呆れ果ててる俺にしゃくりするように言葉をひくつかせながら聞いてくる健輔の目には涙が浮かんでいた。もちろん悲しい味がする涙なんかじゃない。 「なんか急いで校舎の中に入ってったよ。たぶん職員会議に遅れてたんじゃね?つかそんなに面白いか?」 「おもしろい」 即答だった。 どうしようもない奴だな、と俺は呆れ果て過ぎ、頭を振りながら今度こそ本当に帰ろうと身を翻したとき、水中から放たれたような鈍くこもった太鼓の音が聞こえた。その太鼓の中に清流のように混濁のなく澄み切っている笛の音が流れてくる。蝉の鳴き声に負けないそれらの音を聞くと、ああもうそんな季節になったのかと気づかされ、頭上に並ぶ赤い提灯や食欲をそそる匂いとまとわりつくような焦げた煙を放射する屋台、夜空にばらまかれる花火が思い描かれ、心が浮き立ち踊らされる。 「よくやってんなー。こんな暑い中」 同じように太鼓の練習をしている体育館を見ながら、健輔はぱたぱたとワイシャツの胸元を扇ぐ。そして聞いてくる。 「いつだっけ?夏祭り」 「二十七」 「何月の?」 「七月だよ。いつも通り」 「オマエ行く?」 「行く……かな?」 「なんで疑問系なんだよ」 「いや、だれと行こっかなって」 「いやオレがいんだろ」 「いやなんでオマエ?」 「いやなんでオレじゃねぇ?」 というやり取りに俺と健輔は吹き出すように笑った。 「去年の夏祭りはダレと行ったんだよ」 「クラスの仲がいいヤツらと。涼介とも行ったよ」 「アイツと?」 健輔はげっという顔をした。隠すこともせず、その顔をキープしながら体育館の方へ目をやる。 「アレ茅野の母ちゃんだよな?」 なんだ知っていたのか、と俺は同じように開けっ放しの体育館のドアから見える細身できっちりと髪をまとめた涼介のお母さんに目をやる。 「ああ。毎年太鼓の顧問やってる」 「似てんなぁ」 「涼介は母ちゃん似だったよ、昔から」 「おたくの息子さんの性悪さなんとかしてくれませんかって言いに行ってやろうか…!」 「やめろよバカ」 健輔の頭を軽く叩き、俺は校門の方へと歩き出した。 「おおコバ!まだ居んのかよ!」 校門へ続く道で見つけた、カメラが入った大きなリュックサックを背負うコバに健輔が突進していく。そしてそのまま後ろから軽い膝蹴りを入れた。うわっと、その反動でコバが前のめりになり倒れそうになる。 突進していくのが好きだなアイツ、と二人の後ろ姿を見ていれば、その二人の横を見知った人物が通り過ぎたので、思わずその女性に視線を留める。すると、その視線に気づいた真鍋先生が隣にいる女子生徒たちからこっちへ視線を向けた。そして、目を大きく見開き、目尻をさげ笑った。 「よっ!元気?」 真鍋先生は片手を上げ挨拶してくれると、トレードマークの笑顔をたずさえながらこっちに近寄ってくる。相変わらずの気さくな態度だった。 「元気?」 顔がよく見える距離まで来てくれた真鍋先生はもう一度おれにそう尋ねてくる。そんなに元気がないように見えるのだろうか、と思いながら俺は返答する。 「…うっす」 「うっすってなんだよ」 真鍋先生は笑いながらパシっと肩を竦めている俺の二の腕をたたいた。俺より十センチちょい低く小さな体なのに、二の腕を叩く力は少し衝撃波が来てよろめくほど強かった。痛みがある腕とは正反対の腕だったのが不幸中の幸いだ。 真鍋先生は俺がこの四方町に小学四年で転校してきた時期に同じようにこの町に転勤してきた小学四年の時の担任で、自分もそうだったろうに、馴染めるか不安がっていた俺をなにかと気にかけてくれた。 やや男勝りで豪快、明るく元気で、気さくで優しかった真鍋先生は担任になってほしいと生徒から要望が殺到するほど人気の先生だった。夏祭りなど何かと交流があるため周辺の学校にも名前が知られるほどだった。四年の担任になってからは俺のクラスの担任になることはなく、接点はほとんどなかったが、時折、俺の姿を見つけると真鍋先生の方からよく声をかけてくれた。現在も俺が通っていた小学校で勤務し、今は小学一年生の弟の担任だ。 二の腕をさすることしかできない俺を見て真鍋先生は温かく見守るような、やれやれというよな、ゆるんだ微笑を見せる。 「真鍋先生、神輿作りに遅れますよぉ」 女子生徒の催促に真鍋先生はそうだねと返事をかえして、 「PTA会長のキビキビお母さんによろしくね。神輿作りがあるから…じゃ、またね」 とそんな大きく振る必要があるのかというくらいブンブンと俺に手を振って、俺と同学年らしき女子生徒と共に毎年神輿作りをしている中学校の図工室へ向かっていった。 「あの図工室の日差しどうにかしてほしーい」 「ヤバいよねー」 「焼けちゃーう」 「美白ケアしてる意味ないんだけどぉ」 「若者がそんなこと気にしない気にしない」 「先生はショートカットだから首の後ろとか気をつけなくちゃね。油断してると変な焼け方しちゃうよ」 「えーやだー焼けちゃーう」 「それあたしのマネですかー!」 「そうっ!」 「えー全然似てなーい」 女子生徒たちと楽しく会話をする真鍋先生をなんとなく見届けてから、俺は再び校門の方へ踵を返した。 直後。ひやかすような、もったりとした笑みを浮かべている健輔とコバが俺を迎えた。ふたりしてコトンと首を傾げ、頬に手を添えてやがり、この先起こることは俺にとって嫌なことだと予想がついて、まだ何もされていないがとても気分が悪くなった。 「なんだよ」 「いやぁ〜慧人くんも青春してるなぁ〜って、思って」 「ウッフ」 健輔とコバはもったり笑みを絶やさず、教室での一悶着が嘘のように息を合わせて俺に絡んでくる。そうだったコイツらはなんだかんだ仲間だった。コバに限ってはウッフってなんだキモっ。 「どこが青春してんだよ」 「いまどきうっすなんて言うやついるぅ?コバさん?」 「いますいますぅこちらにぃ。健輔さん」 「好きな人の前で恥ずかしがっちゃってもうっ!」 「かわいぃ〜。ウッフ」 「なにうっすって?えなになにうっすって?もうっ!よっ、ピュアボーイ!!よっ、童貞少年!!」 「ぶっころす…ッ!!」 「あ、やべ!飛び蹴りが来んぞ!!」 「にげろにげろっ!!」 生まれつき速い足のおかげで俺は逃げる健輔とコバを校門の横にある自動販売機の辺りですぐ捕まることができた。健輔にはヘッドロックをかけ、コバには拳の第二関節でこめかみをグリグリするという罰を与えた。もちろん、手加減はした。 「だ・か・ら、永尾と真鍋先生が付き合ってんだよ」 罰を与え終わった後、健輔がそんなすぐに信じることはできない噂程度の話をしてくる。 「証拠は?」 「ない」 疑心とくだらなさと呆れから、俺は目をつぶって健輔から顔をそむけた。 「でも学校の裏門で永尾が真鍋先生の髪を耳にこうかけて触れて、あま〜い雰囲気だったっていう女子からのタレコミが!」 「作り話だろ。女っていうのはそういうの好きだからなら」 「なんだよつれねーな。もっとえーうそーとかそれでそれでとか盛り上がれよ。あ、大好きな先生をあんなひ弱オトコに取られたのが悔しいんでちゅか?」 「ぶっころすぞ。ちがうわ」 俺は健輔の足を思いっきり蹴った。するとちょうど弁慶の泣き所だったらしく健輔がオーバーなくらい痛がった。 「でも慧人ってボーイッシュな女の子好きだって言ってたよね。あとショートカット」 要らぬことを提供してきコバに向かって俺は、さっき頭をグリグリした拳を見せつけるようにゆっくりと突き上げていく。するとさっきの痛みと恐怖を思い出したのか、コバは慌てて顔をそらした。 それからちょっとして、コバが「あ」と嫌悪感を漂わせたくだり声を出した。 反射的に目線をたどれば、学校の鉄柵の前で竹ほうき片手に校舎を睨みつけてる用務員のおじさんがいた。 いや、ただ見つめているだけかもしれない。睨みつけてるかどうかなんて正直見分けがつかない。だっていつも人を睨みつけてるような顔をしているから。 希望がない頭皮が見える白髪頭、不平不満を溜め込んだような目の下の濃い隈、削がれたように痩けた頬、そしてなによりあの細く鋭い性格の悪そうな目。これらの風貌で、何がそんなに気に食わないのか、常に機嫌が悪く、常に何かに誰かに怒鳴り散らしている。人に優しくしているとこや笑顔なんてもんを見たことがない。人から好かれる要素もまったくない。 そんな用務員のおじさんに、みんな何かされるんじゃないかと怯えている。この森川中学校でもっとも怖がられてる人間と言っても過言ではない。 「おれ、あのひと苦手」 「苦手じゃない奴なんかいるかよ」 警戒心をベースに置いた小動物のように怯えた目をするコバに、健輔はしゃがみこんで俺に蹴られた足を擦りながら噛み付くように言った。 「アイツはぜったい人ひとり殺してるよ」 加えてそう吐き捨て、健輔は用務員のおじさん――山脇を犯罪者に向けるような訝しげな目で見据えた。 校門を出てすぐ現れる緑の田んぼと白のガードレールで綺麗に区切られたT路地。 「じゃあ、校門で待ち合わせな。時間は電話すっから。おいコバ、ちゃんと来いよ」 指を突きつけて屋敷探検への参加をコバに念押しした健輔は南側の右へ、嫌な顔をして無言の拒否表明するコバと俺は北側の左へ、分かれた。 「いやだったら行かなくていいだろ」 瞼が力なく降りた浮かない顔をしてるコバに俺は言う。 「あとでゴチャゴチャ言ってくるじゃん、行かなかったら」 「まぁ、それはあるな。でも呪われるよりはマシだろ。一日くらいだよゴチャゴチャ言ってくんの。次の日には忘れっからアイツ」 「そうかなぁ…」 コバは小さい声でつぶやいた。迷っているような素振りだけど、コバはたぶん屋敷へ行くだろう。 そう一人で確信めいて、ゆるやかな、でも確実に苦しめてゆく、陰湿な坂道を照りつける太陽に焼かれながらコバと登っていれば。 「とめてくれやぁぁあ!!」 突然の叫び声が俺たちの耳をつんざいてきた。 弾かれたように顔を上げると、猛スピードで坂道を下ってくる自転車が見え、そして目と鼻と口を大きく開いた間抜け顔がこちらへ迫っていた。 「へぇ?」 「え、な、な、え、なに!?」 突然のことにコバが驚き狼狽える。俺は似たり寄ったりで一瞬それをぽかんとそれを見上げていたが、すぐに事態の緊急性に気づき、鞄を放り投げた。 「とめてくれぇええ!!」 「と、とめてくれ!?どどどうやって!?」 「とりあえず止めるしかないだろ!」 「だからどうやって!?」 横でコバはまだ状況が読み込めず、あたふたしていたが、俺は自転車を止めようととりあえず構えた。 怪我を負うことも覚悟してぐっと両脇を引き締め、全身に力を込め、そのときを待つがーーー直前、「あかーん」と跨っていた奴が自転車から飛び降り、そのままころころとガードレールまで転がっていき、自転車もパタンと横に倒れた。俺のちょっど目の前で。肩透かしを食わされた気分だった。 「いや〜危ないとこやったわ〜」 濃く太い眉毛をぴょんぴょん弾ませ、この町では浮いている関西弁でそう言ったそいつは、服についた汚れを手で払い立ち上がると、子気味よく制帽をかぶった。 「あれ、なにしてんの自分」 救おうと構えた時の体勢のままの俺をつかまえて、何食わぬ顔でそんな言葉を投げつけてきた警察官――牛山さんに俺は白けた目を向けた。 「……冗談や〜ん。ジャパニーズジョーク。ウシヤマジョーク」 大げさな身振り手振りを交えてそうふざける牛山さんを俺はさっきよりも冷ややかな目で見つめ続けた。 すると、牛山さんは俺が潔く放り投げた鞄をバッと素早く拾い上げ、そのまま突進するような形で俺の腰をがっちりと掴み、俺の前に跪いた。 「ホンマすいまそん。ご厚意を踏みにじるようなことしてしまいまして……大変反省しておりますぅ!でもアレやで!聞いてな!ホンマ!ホンマに!死にかけてん!!わざとちゃうで!!こうやってあぁぁあって下ってきたのは!!ブレーキが!!ホンマ、ホンマ……アイツ、アイツやねん!!ブレーキが…ブレーキがきかんかってん!!行きは言うこと聞いててんアイツ!!だけど、だけどなぁ、なんでか!なんでか!帰りこうやって坂くだって帰ろうかぁって思って下ったら!なぁ!?ブレーキがきかんちゅうことになってなぁ!!あぁぁあってなってん!!あああって!!パニックですわコッチは!!なんで止まらへんねんって!!がんばって何回もカチカチカチカチブレーキかけたんやけどかかれへんかってん!!ホンマに!!自分ではどうすることもできへんかって!!ホンマに!!だからなぁ!ホンマにぃホンマにぃ止めてほしかってん!!わてホンマにぃ止めてほしかってん!!だから、だからなぁ、二人見つけたときぃホンマホンマ天から舞い降りてきたエンジェルかなと思ってん!んで助けてくれるかなぁって助けてくれるかもなぁってほんでわて大声で叫んでん!!助けてぇえって!」 たぶん自転車で坂道を猛スピードで下ってきた原因について説明を受けたのだが、炎天下の中、ミキサーにかけられた果物のように体を前後左右に激しく揺さぶられ、軽く脳震盪状態になり、おまけにだらだら長く、ごちゃごちゃ無駄な情報が多くて、いまいち牛山さんの話がスムーズに理解することはできなかった。ただ自転車のブレーキが壊れていたことだけはかろうじて聞き取れたので、俺は思わずというか苛立ってというか、間違いだけをすかさず指摘した。 「助けてぇえじゃなくて、止めてくれぇだったけど」 「そやそやそやったわ。って、どうでもええわ!!同じようなもんなんやから!すっとこどっこいや!」 「そう言うなら……どっこいどっこい、でしょ?」 開き直ったような態度を取る牛山さんにコバが 少し気後れした様子で上目遣いに牛山を見ながら冷静に間違いを指摘した。 「そうともいうがな……って、やかましい!!あーゆうたらこーゆうて!!」 と牛山さんはコバの両頬をすす汚れしたように黒くなってる指でつまみ、外側に向けておもいっきり引っ張った。イテテテテッとコバが悲鳴をあげ痛がる。 いちいちノリツッコミという形で突っかかってくる牛山さんのその態度に、たぶんこういう意味をなさないやり取りが堂々巡りするだけと悟った俺は、シンプルにめんどくさいのと、焦げるような夏の日差しから逃れたくて、頬をさすっている、牛山さんから解放されたコバにすぐ声をかけた。 「行こう、コバ」 「ちょっと待ちぃやぁ」 牛山さんの引き止めに、俺はちらっと一瞥を返すだけで、素早く足を動かして家路を急いだ。 「なんやその目!!なんやその冷たい目!!ちょ、待ちぃやぁぁああ!!」 関係ない関係ない。待たない待たない。そう心の中で言い返し、俺はコバと共に坂をのぼっていく。 「ねぇ、あの人ほんとに警察官なの?」 「たぶんな。今度バッチ見せてもらった方がいいな」 早歩きする俺の後ろをコバが小走りでついてくる。 「警察官なのに…あの、胡散臭さ…」 「警官としてアウトだな」 「うん」 「あの独特な関西弁せいもあんだよな」 「それはある。テレビで見たんだけど…関西の人は今どき“わて”なんて使わないって言ってたよ」 「エセ関西弁?」 「でも関西出身って…」 「言ってた?」 うん、とコバがうなずく。胡散臭さ、深まる。 牛山さんは三年前にこの町にやってきた警察官で、濃く太い眉毛に、ハエでも飲み込みそうな大きなギョロ目という漫画にでも出てきそうなインパクトのある顔で、見るからに一癖、いや二癖、三癖、あるような人で、実際あのコントを見てるかのような勢いのあるハイテンションな性格と関西弁がそうで。それらを警察官というお堅めの職業と照らし合わせると、牛山さんになんかどこか胡散臭さと違和感を覚える人間がこの町には多数いる。
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