紫の吐露と茶の秘め

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南の町を抜け出し学校の前を通りかかった時、後で合流予定だった涼介と瑞希と鉢合わせた。そのまま南で遭った理不尽な出来事を愚痴りながら、みんなで駄菓子屋でシャーベットアイスを買って約束していた渓谷に向かった。 日陰の所にあった平たい岩に腰かけて涼んでいれば、芦北がやってきて、健輔はまだやってくる気配がなくて、俺たちは後で説明すればいいだろうと健輔抜きで話を進めることにした。 「話すときはこの横のボタン押して。そしたら普通に会話できるから。はい、充電器」 コバが手渡してきたトランシーバーと充電器をみんな受け取ると、物珍しそうに翻したりした。 「こうやってずっと押しとくの?」 「一回押せば大丈夫。途中で途切れたらまた押せばいい」 コバの説明にやまぶーは小刻みに頷きながらトランシーバーの側面のボタンから親指をつけたり離したりを繰り返した。 それぞれが負っていた、家の電話にかける、かけられるという重労働と苦痛を解消するため、コバが持ってきてくれたのは思っていたより小型のトランシーバーだった。携帯よりさすがに重さはあるが、持ち運びに苦労しない程度だ。これで連絡手段の携帯を持っていない健輔、芦北、持っていなかったのが意外だったが涼介の家の電話にかけなくて済むんだと思うと重さなんて気にもならない。特に時々とはいえ芦北の家にかける順番が自分に回ってきた時は生きてるのをやめたくなるくらいの気持ちになっていたけど、それも今日でおさらばだ。 「このマークのボタンを押していけば、かけたい番号が出るから。みんなに渡したトランシーバーの後ろに番号かいてあるでしょ?」 コバに言われ、トランシーバーをひっくり返せば、バッテリーの部分に“2”という数字が割り当てられていた。 コバは1、涼介が3、瑞希が4、やまぶーが5、芦北が6で、健輔は7だろう。 「全員ならこの全員ってやつを決定して、さっきの横のボタンを押せば……」 とコバが視線をこっちに流してきたのと同時に、俺の手の中のトランシーバーがブーブーと震え出した。 「かかる」 「同時通話が可能ってことだな」 震えてるトランシーバー片手に涼介が簡潔に言うと、 「そういうこと」 コバは眉を弾いた。 ボリュームの調整やロックのかけ方などコバからトランシーバーの使い方を一通り説明を受けた所で、俺がたぶん先に、それからみんなが、健輔が渓谷にやってきたことに気づいた。 俺たちの横を、後ろを通って、健輔は少し離れた場所にあった平たい岩に尻を打ちつけるように座った。 早足で小石を荒らしく蹴散らす歩き方、視界に入ったものすべて無差別に切り掛かっていきそうな表情、無縁に近い無言、それだけでいつものように気安く接していい様子ではないことは確かで、まして遅いと責めることなんて爆弾のスイッチを押すようなもので、取り返しがつかない状況になるのは目に見えていた。それを涼介も理解しているのだろう、健輔になじる視線を送るだけに留めていた。 それでも俺たちが各自に手にしてるトランシーバーを見て、 「勝手に進めてんじゃねぇよ」 と言われてしまえば、ますます俺たちは萎縮して、健輔に対して逐一神経を尖らせるしか、この場の穏やかな空気を保つ方法はなかった。 健輔にトランシーバーの使い方を教える担当は一番近い距離にいるってこと、そしてこの中の誰よりも付き合いが長く、性格と対応を熟知しているということで暗黙の了解でやまぶーになった。健輔は終始、あぁあぁと低く威嚇するような声を出して、説明を受けていた。 「そういえば、もうすぐお盆だけどさ、どっか行くの?」 健輔の刺々しさがこっちにまで悪影響を及ぼし始め、居心地が悪くなり出した空気を変えるため、俺はぽんっと頭の中に浮かんだお盆の話題を慌てて引きずり出した。 「沖縄」 すぐ答えてくれたのはコバだった。 「あれ、海外じゃないの?」 お盆といえば、旅行といえば、必ず海外が行き先のコバが国内なのは珍しかった。小旅行で国内なのは聞いたことがあるが、大きな休みに国内に旅行は聞いたことなかった。 「今年は国内で。俺はハワイに行きたかったんだけどね。お姉ちゃんが沖縄がいいってうるさくてさ。ほら最近お姉ちゃんがハマってる俳優さんがいるって言ったじゃん?」 「あぁ……前髪がカーテンみたいなヤツね」 「そうそう」 「カーテン……っ」 俺が何気なく口にした俳優の特徴に吹き出すやまぶーとは反対に、コバはあっさりと話を進めていく。 「その俳優さんが沖縄で真珠のネックレスを作ったみたいなこと言ってたらしくてさ、それをわたしも作りに行きたい!とか言い出して、もう真珠なんて数え切れないほど持ってるでしょってママが言っても聞かなくて……ハワイ勢のママとおれ、根気負け。お姉ちゃんの根気勝ち」 家族内での行き先決めは壮絶だったのだろう、コバはげんなりと顔を歪めた。 「でもいいじゃねぇか。海キレーでバカンスって感じじゃん。おれ一回も行ったことねぇよ」 やまぶーが羨ましがると、コバはさらに顔を歪めた。 「沖縄なんて飽きたよ。ハワイも飽きかけてるけど」 そして、そんな贅沢なことを言った。 途端、短くでも鋭い舌打ちが飛んできた。誰でもない健輔からだった。 コバが俺に目配せをして、少しだけ肩を竦めた。 俺はまた濁り出した流れを断ち切るため、お盆の話を回した。 「涼介はどっか行くの?」 涼介が小石を弄んでいた手を止めて、こっちを見る。 「今年はシンガポール」 コバと同様、行き先は海外が多い涼介は安定に今年も海外に行くらしい。 「いいな〜。夜景、プール、メシ、なんでもあんだろ?シンガポールって」 またしても素直にやまぶーは羨ましがった。 「メシはどこでもあるだろ。去年はイギリスだったよな?」 やまぶーに突っ込んでから訊くと、 「あぁ。でも海外は今年で最後だと思う。来年は国内で済ませて、再来年はどこにも行かないよ」 手で弄んでいた小石を足元の石に当てるように投げ捨ててそう言う涼介は、まだ決定事項ではなく予想でしかないのに、どこか不服そうだった。 「そうなの?」 そんな涼介を不思議に思いながらも、そう軽く相槌を打てば、 「毎年どこも行かない奴もいるけどなっ」 また健輔が突っかかるように割り込んできた。 涼介が横目で健輔を睨みつけるように見る。 俺は急いで瑞希に話を振った。 「瑞希は?今年もおばあちゃん家?」 突然の名指しに一瞬黒目を揺らして狼狽たが、瑞希はふわっと微笑んで小さく何度もうなずいてくれた。 「北海道だよね?おばあちゃん家」 コバの確認にも瑞希はうなずいた。 「北海道もうめぇもんばっかだよなぁ……なまら食べたい」 太ももに肘を置いた片手で頬づえをついて惚けたように呟いたやまぶーに、 「いいよ無理して方言使わなくて。なんか腹立つ」 反射的にとはいえ、健輔が入り込めるような隙間を空けないよう意識していたとはいえ、自分でもなかなか辛辣に突っ込んだ。 「オレあそこ行きてぇんだよ。函館。夜景がすげぇんだろ」 やまぶーは俺が思っているより北海道に心酔しているみたいで、俺の辛辣さを気にも留めておらず、目を輝かせ前のめりで北海道の話を続けた。 「百ドルの夜景って言うじゃん」 「百万ドルな」 涼介がすかさずやまぶーの間違いを訂正する。 「減ってんじゃん。なんか夜景夜景って言ってるけど、メシと夜景、どっちしか取れないってなったらどっち取る?」 流れ星みたいに突然頭を横切った純度百パーセントの思いつきで、軽薄なほど軽く、俺はやまぶーに訊いただけだったのに、やまぶーは一瞬真顔になって、それから目をカッと見開き鼻の穴も膨らませて、苛立ったようにこう答えてきた。 「どっちもだよ」 「なんでそんな怒ってんの」 間髪入れず指摘すれば、やまぶーもどうして自分がそんなに苛立っているのか不思議に思い首を傾げて、俺はそんなやまぶーの間抜けっぷりがおもしろくて、やがてその状態が互いにおかしくてたまらなくなって、二人して鼻の下を伸ばしてじわーっと込み上げてくる笑いの波を抑えた。 その波が収まっても北海道の話は続いた。 「でも北海道で食べたラーメンは別格だったなぁ。おいしさがっていうか、冬に行って雪も降ってたから……」 「体に染みるんだよな!冷え切った体にラーメンのあのあったけぇスープとかがな!」 「めっちゃ食いついてくんな、おまえ。北海道めっちゃ好きじゃん」 俺の北海道での思い出を勢いと熱量で横取りしたやまぶーを俺は少し体を引いて見た。 「ししゃもも美味しかったぞ」 そこに涼介が渓声に溶けていってしまいそうな声でぼそっと意表の突く食べ物の名を口にした。 「いくらとかホタテとかラーメンとかジンギスカンを差し置いて、ししゃも?」 俺はたまらず涼介に聞き直さずにはいられなかった。 「おかしい?有名だろ」 涼介は毅然に近い平然とした顔をしていた。 「いやおかしくないけど、有名なのかわかんないけど、うまいもんがたくさんある中でししゃもを薦めてくるなんてなかなかいないなあって思って。渋いなぁって思って。ホントに中学生ですか?」 と責任追及する政治家のように早口で捲し立てれば、涼介はふっと笑った。 「今年も白い恋人か……」 その声に視線を流せば、コバがつまらなそうに宙に視線を投げていた。 「北海道の旅行に行ったらみんなだいたいお土産って白い恋人だよね」 とそこで口を閉じて、コバは宙に投げていた視線を俺たちの方に向けた。嘆くような、飽き飽きしてるような、冷め切っているような目をしていた。そしてそんな目で、俺たちにこう吐き捨てた。 「正直飽きるよね」 「お前、最低だな。毎年もらっておいて。瑞希キレてもいいぞ」 毎年白い恋人をお土産にくれる瑞希を前にして、その本音を口にするのはあまりにも無神経だ。 でもそんなことを言われても、俺が怒ることを勧めても、瑞希は苦笑いを浮かべるだけでコバを責めるようなことはしなかった。 そうして訪れた空白に絶妙なタイミングでやまぶーの呟きが漂ってきた。 「おれ食ったことねぇんだよな」 「マジ?」 コバが信じられないといった顔でやまぶーの顔を見る。 「いるんだ。白い恋人を食べたことない日本人」 「いるだろ」 コバと同様に驚いている俺に涼介が呆れた。 「あれはクッキー?」 「クッキーみたいなもん。中に固まった生クリームみたいなもんが入ってる」 「ひどいな、説明が。ホワイトチョコレートだよ。中身は」 俺のざっくりとした説明を涼介がすぐ修正した。 「同じようなもんだろ」 俺がそう言い張ると、涼介は俺の顔を見ながら深いため息を吐いた。 「うまい?」 「安定にうまい」 俺はどれたげ味が安定してるか素早く手で空中を横に切って表現し、やまぶーに即答した。 「食ってみてぇな」 「じゃあ、瑞希センセイに頼むしかねぇな」 とやまぶーを平を上に向けた手で瑞希の方へ導いて、俺は背筋を伸ばし両膝をくっつけた礼儀正しい体を瑞希の方に向けた。 「今年も白い恋人とラーメンのお土産よろしくお願いしまぁす!」 「オレもお願いしまぁす!」 やまぶーと一緒に両手を擦り合わせて、毎回くれるお土産を今回も図々しく頼みこめば、瑞希は嫌な顔ひとつ見せず、笑って頭を弾ませてくれた。瑞希が天使のように見えた。 「みっともねぇ」 そこでまたしても健輔が唾を吐くように不快な言葉を飛ばしてきた。 「やまぶーは?」 こっちもまた急いで次に繋げば、 「おれはいつも家でゴロゴロだよ。お盆が来ようが来なかろうが変わんない」 やまぶーは眉を下げて笑った。 「見ればわかんだろっ」 ねちねちとやまぶーであっても健輔の攻撃は止むことはなかった。 「芦北は?」 どことなく肩が重くなり、自分のやっていることが無駄な気しかしなくなっていたが、最後の砦に縋るような気持ちで順番を回すと、体育座りで足元の石ころをじーっと見ていた芦北が顔を上げて、眉尻を垂らし困ったような表情を浮かべた。 「どこも……」 そう答えるのは順番を回す前からどことなく分かっていたが、そう言われてしまえば、この話は終わりだ。話を広げられる部分もなく、繋げる人もいなくなった。終わりにするしかない。 そうして落ちた沈黙に、健輔の嘲笑う鼻息が、蝉の鳴き声をすり抜けて聞こえた。 そんな健輔の険悪な割り込みでみんな億劫になっているんだろう。口を開いてこの沈黙を切ってくれる人はいなかった。 会話で鈍っていた意識が、俺たちを窒息死させるように覆う茹った熱気をまともに認識し出す。 「慧人は?」 救いの手を出してくれたのはやまぶーだった。 全員聞き終わったと思っていたけど、俺が残っていた。 「国内で温泉と海に行く予定にはなってたけど……無理だろうな」 苦笑いする俺に、やまぶーは口をひん曲げて聞いたことを後悔するような顔をした。 やまぶーは悪くない。こんな状況になっていなくても、俺はこんなため息を吐くような言い方で、こんな中途半端な表情をしただろう。 こんなとこにもやっぱり、 「あったりめぇだろっ。こんなときに行くヤツがいるかよっ」 健輔は口を出してきた。 「うるさいな」 あ?と瞬時に健輔が涼介を横目で睨みつけた。 一瞬の怒りに駆られてというより相手を呪い殺すかのような異様な目つきだった。 「まぁ落ち着けって」 その目と涼介が対峙する前に、すかさず二人の間にいたやまぶーが顔を合わさないように体を傾けて宥めに入った。 それからは堂々巡りだった。 誰かのひと言で場が和んだ矢先、健輔の一言で荒らしく削がれ、それをまた協力をして修復するが、健輔のくどい態度と乱暴な一言でまた壊され、俺たちの間を漂う空気が穏やかさを維持することもできず、一向に健輔の機嫌も治ることはなかった。 そんな当たり散らすような健輔の不機嫌さは、今年一番の真夏日だとのちにニュース知ることになるここ数日の光線とは比じゃない灼熱の光線に焼き尽くされそうな俺たちが立て直せないほどうんざりさせて、わざわざ来た渓谷の涼やかな慰めも歯が立たず、何かして遊びたいと思っていた俺の希望も見事に打ち砕かれ、来て早々に後味悪く解散することになった。
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