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トラウマの四方屋敷
最初は夢の中の出来事かと思った。
「――本当ですか?そちらの樹希くんと陽希くんと遊ぶってうちの子は出かけていったんですよ。そんな早く別れるって……おかしくないですか?」
叱責するように問い詰める、母さんの棘のある声。
この声は、いつもあまり良くないときに使われる声だ。
「知らないって……じゃあもういいです…!」
視覚も聴覚も鈍った俺の世界で、ガチャン、とおもちゃがぶつかったような音が響く。それからしばらく無音で、それが逆に気になって、俺は切り離されていた意識を現実に向かわせた。
目を開けると、薄暗くて、やっぱりまだ夢の中にいるのかと思った。
目だけ動かしてかろうじて見える時計の秒針が一定のリズムで確実に進んでいて止まりはしなかったので、俺は何度か瞬きをしながらこれは現実だと認識した。加えて、さっきの母さんの声、薄暗い部屋、これらになんとなく違和感を覚えた俺は軽く上半身を起こして、手の甲で片目をこすりながら部屋を見回した。
すると、電話機の前で俯き気味で幽霊みたいに立ち尽くしている母さんを見つけた。
まだ抜けない眠気に後頭部を引っ張られ、ぼんやりしているからそれに恐怖とか混乱とかなくて、俺は普通に声をかけた。
「なにしてんの」
途端、母さんは弾かれたようにこっちを見る。
「……あ、なんだ起きてたの」
不意をつかれて、ワンテンポ遅れた返答だった。
「どうしたの?大声なんて出して」
「……紘斗が、帰ってこないの」
俺と目を合わさず、母さんは視線を床に落として、沈んだ声で言った。
「なんで?」
母さんに訊きながら、もう一度時計に目をやると、十九時近くて門限の時間をとっくに過ぎていた。俺は母さんに視線を戻す。
「もう七時だけど」
「だから仲村さん家に電話をかけたの」
「で?なんて?」
「十四時二十分くらいに帰ったって……。でも嘘よ。それがもし本当なら紘斗が出かけたのが十五時くらいだから、一時間しか遊んでないってことでしょ?おかしくない?」
「ん…たしかに…それはヘン。学校は?電話したの?」
「いまからするつもり」
そう言って母さんは電話機のダイヤルボタンを落ち着いた様子で指で押していった。俺は視線をぐるりと部屋の中でまわし、伸びをする。出しっぱなしのスイカが四つ、生ぬるそうにあった。
「おれ、川に行ってみるよ」
自分の声が暗やみに反響する。
「釣りしに行ったんだよね?いないと思うけど行ってみるわ」
「ちょっと、一人で出歩かないで。なんかあったらどうすんの。遅い時間なのに。家にいなさい」
「道に迷ってるだけかもしんないっしょ」
と言い放つ俺に母さんはまた何か言おうとしていたが、ちょうど学校側が電話に出たみたいで俺への説教じみたそれは途切れ終わった。
その間に俺はソファーから立ち上がって、スイッチをハイタッチするように押して部屋の電気をつけ、玄関に向かい、説教が飛んでくる前に、と半ば急いで靴を履いて家を出た。
外はまだちょっと明るかった。日が長い夏だけの特権だ。あんな一色の絵の具で塗ったような青空だったのに灰色と紫を混ぜたようなやや紫みの青に変わっている。冷たくも見えるし、温かくも見える、不思議な色。薄明のような空だ。そんな青に抵抗するようにオレンジ色に淡く燃える雲がわずかに遠くで残り、時間を知らなければ夜明けだと勘違いしそうだ。
そんな空の下にある坂道を俺はのんびりと下っていく。草の青臭い匂いがひっきりなしに鼻を入り込んでくる。こんな状況に俺は正直焦りや不安に胸を掻き乱されてはいない。母さんの心は掻き乱されているのだろう。たぶん俺の前だから母さんは冷静を装っていたのだろうとは思うけど。なんてたって母親だから。
どうせそこら辺にいると思ってる。道に迷ってるんだろう。泣いているかもしれないな。でもこの町の人はほとんど顔見知りで紘斗をみたら守沢家の息子だとわかると思うから、今頃見つけてくれたおじさんに手でも引かれてこっちに向かってるだろ。たぶん。それでも、まあ、探すべきだろう。
葉の擦れ合う音が耳元を支配していたのに、いつの間にか轟く水の音に変わった。
それからすぐ現れる石橋に足を踏み入れたところで、左手に目的地の渓谷が見えた。
春は桜が咲き誇り、夏には新緑が生い茂り、秋は紅葉が彩り、冬は突き刺さりそうな氷柱ができるほど白く凍った雪景色、果てしない満点の星空といった四季折々の自然美が堪能できる、亀裂が入ったような深い渓谷の間で堂々と白い飛沫を上げうねりながら流れていく川が、弟が釣りをやりに行った場所だ。日が明るいうちは底が透けてカニや魚が見えるほど美しいエメラルドグリーンの清流で、そんな渓流は地元の人に人気の釣りスポットであり、観光スポットでもあった。
明るいといってももう闇が迫ったそこは、目を突き刺すような昼間の緑とはちがう。断壁に絡まるように密生してる木々の緑たちは闇を孕ませ煽るようにゆったり風の中で揺れていた。
普段隠していた底知れない憂いた本性を現すような、暗く野性的で威風堂々の佇まいは、俺を漠然と畏怖させた。自然は脅威なんて言葉が脳裏を掠めた。
今俺が歩いてる石橋も秋が来ればレッドカーペットのように落ち葉で赤く染まり、冬が来れば小さなスキー場みたいに真っ白に染まる。
そんな石橋を渡り、俺は近道の舗装されていない曲がりくねった細い山道の雑木林の中を縫うように降っていく。やがて、視界が開けて、火照った体を冷ますように清廉潔白なひんやりとした風が吹きつけてきた。草木の癒す匂いが鼻の中に入り込んでくる。
俺の身長を遥かに超えた断壁を埋めつくし一面に広がる鬱蒼とした緑、絶えることなく流れていく汚れない水が織り成す、圧倒的な大自然の迫力と力強さ。人間なんてちっぽけなものだと思わされる。いつも。何度も来ているのにそれらを無心で眺めてしまう。いつも。
でもこんなことをしていたら日が暮れてしまうし、あと少ししたら腹も空いてきそうだし、と俺はしぶしぶ眺めるのをやめて、捜索を再開した。
川原はサバイバルゲームで活躍できそうな大きな岩や足ツボのような石がゴロゴロあった。正直歩きやすいとは言えないが、何度もここに足を運んで歩き方をマスターしていた俺は苦戦することなく、川原を埋め尽くす不揃いな石たちを蹴散らしながら歩いた。歩くたび、石があらゆる方向に飛び散る。
そのなかのひとつが、何回もうさぎのように跳ねながら反るような軌道を描いて、遠くまで転がっていく。そしてここの主だというかのように鎮座する巨岩の向こうに吸い込まれていった。その石についていくように俺は巨岩の方へ歩いていく。そうしてちょうど巨岩の真横に来たところで、俺は足を止めた。止めざる得なかった。
薄暗い中で息をひそめていた、目ん玉が飛びてくるんじゃないかと思うくらい大きく目を見開いた顔と出会ってしまったからだ。
だれもいないと思ってたのに。まさかの人がいた。しかも女だ。しかも同級生だ。
「……」
「……」
瞬きすら忘れたように、俺たちは数秒間無言で見つめ合った。
川辺にしゃがみこみ、家から持ってきたようなハサミの刃の間に自分の長い髪を入れて、今から髪でも切ろうか、みたいななんとも言えない姿で、こちらを見上げている。
その顔は突然の乱入者に対して至極真っ当な驚きがベースにあるが、目や口や頬が不自然に突っ張っており、何もしてないのに微かな怯えが見て取れた。
「……なにしてんの」
そう声をかけるのがやっとだった。
だって彼女――芦北杏奈(あしきたあんな)とは話しことが一度もなかったから。
「…えっ、あ、べつに…」
ハサミを持って髪も片方に束ねたその姿で、別になんて、んなわけないだろうに芦北はそう小声で言ってちいさく頭を振った。
初めて聞いた芦北の声はもっと無愛想な感じかと勝手に想像していたが、真逆の女の子らしく温和だった。
ある意味初対面の俺たちは、そこから会話が続かず、しばらく気まずい無言の時間が流れた。これは男の俺が先に口を開くべきだろう、そう思い、俺は会話の話題になるもの探して手繰り寄せた。
「切るの?」
「え?」
「髪」
「え、あ……うん…切ろう、かなって…」
芦北は強ばった表情のまま、束ねた自分の髪に目をやった。しばらくその髪を見つめて、一回、二回、とギアを下げるように、睫毛を落としていった。
一度も染めたことがないのだろうか、遠くからでも細く少ない俺とは違って羨ましいほど豊かで夜の闇のように漆黒な黒髪。
「ふーん……もったいな」
素直に思った。
芦北は睫毛を押し上げ、戸惑ったような、泣きそうなような、なんだか簡単には形容しがたい顔で俺を見た。
睫毛がわずかに震えて眉間に皺を寄せてるからそう見えるのか、もったいなという言葉を悪く捉えられたのか、なんてひとり分析してみる。
「…髪、きれいじゃん」
とりあえず、悪い意味はないと訂正するため、正直に褒めてみた。
「髪は女の命っていうし……きれいな方、だしさ、その…、あれだよ」
ガシガシ、と俺は後頭部を掻く。
「もったいないじゃん。切るの」
そう投げやりだが言っても、芦北はその複雑な顔で俺を見ることをやめなかった。
「まぁ好きに……な、やったらいいよ。じゃ、俺行くわ」
雑に片手をあげてはすぐに下げ、俺はこの気まずい空間から抜けたくてそそくさと川原の奥の方へ歩き出した。
「……どこに行くの?」
そんな俺の意気地のなさを許さないというかのように、芦北が尋ねてきた。俺は足を止めて、ゆっくり、くるーりっとつま先でターンして芦北の方へ振り返る。
「紘斗を…探しに」
「…ひろと?」
「…弟」
「迷子?」
「…かな。たぶん」
「…探そうか?」
「あーいいよいいよ。どうせすぐ見つかるだろうし。もう暗くなるから、女の子がうろちょろするもんじゃないっしょ。早く帰んなよ」
そう言い残し、俺はヒラヒラと手を振って芦北から離れていく。
そうして三歩、足を進めたときだった。
「やっぱり探すよ…!」
背後から飛んできた一喝するように張った芦北の声に、俺は肩をすくめて電光石火のごとく振り返った。
萎縮したように肩をすくめ、太ももの横でちいさな両拳を握りしめ、不必要なくらいこちらを窺い、だけど意思がある毅然な瞳で俺のほうを見ている芦北がいた。
「役に立つか……わからないけど……」
さっきと打って変わった、力がなく語尾が消えかけた弱々しい声。
俺の様子を窺っていた瞳が埋め込まれた顔に怯えた色を重ね、うつむき、芦北は自分の上着の裾を指で引っ掻いたり、掴んだり、ぎゅっと握ったりを繰り返す。
俺は目をぱちくりさせて、
「……ありがと」
優しさを無駄にできないと紘斗の捜索を承諾した。
健輔や友達が言っていた通り、芦北は変な奴なのかもしれない。
それから俺と芦北は一番有力候補である川周辺を捜索した。大半を占めた沈黙の気まずさで窒息死する思いだった。そんな思いをしても紘斗の姿は見つからなかった。そして本格的に夜の闇が侵食してきたので俺たちは灯りがない渓谷を出ることにした。
傾斜の山道を登り、石橋を渡り、水の音が遠ざかっていく。
優しさは有り難かったがこんな時間帯に女の子を連れ回すのも良くないし、紘斗の行動範囲候補が駄菓子屋か学校くらいしか思いつかなかった俺は、振り出しに戻るように学校の方へ歩いていった。芦北も無言でその後ろをついてくる。
学校へ真っ直ぐ続く、鈴虫が鳴き始めたこの道を半分歩いたところにある駄菓子屋の前で、俺は見知った人間にそっくりなシルエットを二つ見つけた。
どんどん近づいていって、俺が声をかける前に、
「お、慧人!」
「なんでこんなとこいんの?」
健輔とやまぶーに気づかれた。
「お前らこそ何でこんな時間に駄菓子屋にいんだよ」
「屋敷行く前に腹ごしらえしたいってやまぶーが駄々こねて」
「駄々なんてこねてぇわ」
と言いつつ、やまぶーはカップラーメンをすすった。いつも話を盛って話す健輔だけど、やまぶーが腹ごしらえのために駄菓子屋に寄って欲しいと頼んだのはあながち本当なのかもしれない、と俺は思った。
「お前だってチョコ買いたいとか言ってただろうが」
やまぶーがラーメンをすすりながら反撃する。食べるか喋るかどっちかにしろ。
「なんでチョコ?疲れてんの?」
健輔がチョコを食べてる姿なんてあまり見たことがなかったから、ふとそう素朴に尋ねてみれば。
「魔除けに持って行こうと思って」
「は?」
「いやだから、屋敷に霊がいるかもしれないだろ?だから魔除けにチョコ…」
「いやだから、は?チョコ?魔除け?」
「おかしいかよ?」
「おかしいだろ。魔除けにチョコなんて聞いたことねぇよ」
「うそだろ!?魔除けにはチョコだろ!?」
「いやいやいや。常識だろみたいな言い方すんな。まだ塩の方がわかるわ」
「だよな。魔除けにチョコってドコ情報って感じだよな」
「分かってたんなら教えろよデブッ!!」
自分の間違いなのに、健輔は大きなひょうたんを横にしたようなやまぶーの尻を蹴りあげた。やまぶーはすぐに「イタッ!」と声を上げたが、同じく反動で手にこぼれたカップラーメンの汁に「熱っ」と声を変え、痛いのか熱いのかどっちなんだと言いたくなる忙しないリアクションを取った。
「屋敷マジで行くの?つか、まだ行ってなかったの?」
俺は呆れを混じえ訊いた。
「ちょっと用事ができちまって今から行くんだよ。てかよ!アイツらバックれやがったんだよッ!!」
突然の健輔の大声に俺は耳を手で押さえる。
「草部と鳴川?」
「そう!!あとコバ!!アイツ電話何回もしてんのに一回も出ねぇんだよ!!草部と鳴川は電話に出たからよしとしてもコバ!!アイツ電話にも出ねぇなんて重罪だろ!!」
「重罪ってほどでもねぇだろ。お前の電話如き」
「俺の電話如きってなんだテメェ!」
健輔は俺の胸ぐらをつかみ、そのまま何故かグイグイと押してきた。何を食ったらそうなるのか健輔のくさい息を顔に浴びながら必然的に俺の体は後ろに下がっていき、トンっとやわらかい何かが背中に当たる。
「おぃ…」
健輔が俺の後ろを、驚きを孕んだしかめっ面で見ている。
「なんでコイツがこんなとこにいんだよ」
言葉よりも鋭く、不快な思いを隠そうともせず、忌まわしいものでも見るかのような目つきで睨みつける。
そこまで嫌うほどだろうか?たしかに変わってる奴だとは思うけど。
そんな健輔の後ろで、何故かやまぶーが一度口に入れた麺をずるずると容器にリバースしながら、目を見開きコッチを見ていた。汚い。何。
「別に居たっていいだろ」
後ろでたぶん縮こまっている芦北を背中で感じながら、睨み続けてる健輔にそう平然と返せば。
「おまっ、おまっ、おまえまさか……!!芦北とそういう関係!?」
俺の顔面に勢いよく健輔の唾が飛んでくる。ああ汚い!
「ちっげぇわ。ツバ汚ぇな!」
「マジかーマジかーだから芦北の話のとき、なかなかノッて来ねぇなーって思ったんだよオレ!!やっぱりなーやっぱりなーおれの勘は当たってたってことだワ!!」
「だからちげぇって言ってんだろ!」
「真鍋先生はフェイントだったワケかー。やるぅ〜守沢くぅ〜ん。ヤダヤダぁ〜」
健輔はピクピクとスキップするように眉を弾かせ、手のひらではなく手の甲を口に当てて冷やかしてくる。そんなコイツが心底面倒くさくて、俺は盛大にため息をついた。
「こんなとこでこんなくだらない言い合いしてる場合じゃねぇんだよ」
「おデートのお途中ですもんね。えぇえぇ場合じゃありませんわよね。オホホホホ」
「ぶん殴んぞ。ちげぇ。紘斗を探さなきゃいけねぇんだよ」
「ひろと?」
健輔が口元に当てていた手の甲を下げ、眉をひそめる。
「…弟だよ」
「弟いたの?」
「いるよ」
「知らなかったわ。なんだよ。いなくなったの?」
「門限過ぎてんのに帰って来ねぇんだよ」
「どこ行ったの?」
「わかったら苦労しねぇよ。川で釣りするって遊びに行ったけど、一緒に遊びに行った瑞希の弟たちが紘斗は途中で帰ってたから紘斗がどこにいるか知らねぇって言ってるらしくて。母さんは一時間くらいしか遊んでなくて帰るなんておかしいって疑ってる」
「川に釣りしに行って一時間で別れるっつうのはおかしいっちゃおかしいな。てかホントかどうか瑞希に聞けば早くね?兄貴だし、弟からなんか聞いてんだろ。やまぶーお前瑞希の電話番号知ってる?」
「知らねー」
いつの間にか汚くぶら下げていた麺をきちんと処理し頭を横に振るやまぶーから、健輔はくるりと俺の方へ顔を戻し、尋ねる。
「お前は?」
「いちおう知ってる」
合ってるかどうか分かんねぇけど、とぼんやりと覚えている瑞希の携帯番号を手繰り寄せながら数字を言っていった。
「でももう家に帰ってっかも」
健輔の秘書みたいに瑞希に電話をかけているやまぶーを尻目に捉える俺に健輔が訊く。
「そう連絡あったのかよ?」
「いや。携帯忘れてきたし、ない」
「なんだよそれ。憶測かよ」
「あ、つながった。瑞希?オレオレ、おれだよ。オレオレやまぶー」
オレオレ詐欺か、とツッコミたくなる。見知らぬ番号だっただろうに、やまぶーの電話にどうやら瑞希が出たみたいだ。
「お前の弟っていくつ?」
「六歳。小一」
健輔の問いに、俺は瑞希と話すやまぶーを見ながら答えた。
「小一だったら道に迷ってっかもな。似たような景色ばっかだろココ」
「だな」
「オレ様も探してやるよ」
「なんで上から目線なんだよ。ありがとな」
そう健輔にお礼を伝えたのと同じくらいに、尻目にいたやまぶーがパッとしない顔で携帯を耳から離したのが見えた。有力な手がかりが見込めないのが見て取れた。それからすぐ「なぁ」やまぶーが俺たちの方へ声をかけてくる。
「弟にも聞いてくれたけど、やっぱ知らねぇって」
案の定、弟の行方を掴める情報は得られなかった。
「誘拐されたんじゃねぇの?」
やまぶーの言葉に俺たちは一瞬黙り込んだ。
その可能性を考えなかったわけじゃなかったが――。
「だれにだよ?見知った顔ばっかの田舎だぞ」
健輔の言う通り、ここはある程度互いが顔見知りの田舎町だ。他所から来た見慣れない人がいたり、不審な車が停まっていたら、その情報は住人に急速に伝達される。
だから変な行動を取った人間がいれば目立つし不審がられ、すぐそのことが住人たちに共有されているはず。まったくそんな情報が入ってきていない今、その可能性は低いと俺は勝手に思ってる。
「学校周辺か駄菓子屋か川くらいしかアイツ遊ばないし、一回学校に戻ってみるわ」
俺がそう言うと、健輔とやまぶーが俺も行くよと言ってくれた。
「……芦北さんは、帰った方がいいよ。もう八時だし」
男たちが軽く一致団結しているとこで、俺の後ろで大人しく黙っている芦北にやまぶーが声をかけた。存在感がなくて芦北のことを軽く忘れていた。
「芦北も探してくれてたんだよ。川で」
「……あ、そう」
「なんだよそれ」
付き合っているんじゃないかっていう疑惑の渦中やっと明かせた真実に、やまぶーは不自然な間を置いて素っ気なく、健輔はつまらなそうに口を曲げた。
だけと健輔だけは、俺の後ろで少し猫背で長い前髪の間からこっちの様子を窺い見ている芦北に気に食わないと言いたげな視線を投げている。
「芦北さんって…南側でしょ?住んでるの」
どことなく柔らかさを感じるやまぶーの問いかけに、芦北は黙ってちいさく頷いた。
「どうせ俺ら学校のとこに行くし、途中まで送るよ」
「なんだよ途中まで送るよって。彼氏がテメェは」
あーあ、と健輔は八つ当たりみたいな威嚇みたいな大きな声を出す。何がそんなに気に食わないのか。なんで急に不機嫌になるのか。俺にはコイツの負の感情の沸点がわからない。正の感情の沸点は単純なくらいわかるんだけど。
「もうさっさと行くぞ!」
やけくそな感じで先頭切って歩いていく健輔の背後で俺とやまぶーはやれやれという目配せを交わした。俺は居心地悪そうに立ち尽くしている芦北にも行こうと目配せをしてから歩き出し、やまぶーは乗ってきていた自転車を引き連れて数歩遅れてついてきた。
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