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五分ぐらいして学校の校舎が俺たちの視界に現れた頃、人の話し声がうっすらと聞こえてきた。
そのうち、この時間帯はいつも閑散としている学校の前で複数人の人影が見て取れた。それは右へ左へ、慌ただしくうごめいている。
「なんだなんだ、騒がしいな」
健輔が能天気に首を掻きながら言う。
足を止めずに近づいて行けば行くほど、声は、人影は、明瞭になっていく。
そうして、俺たちは目的地であるガードレールに区切られた学校前のT路地に到着し、合わせたわけでもなく揃って足を止めた。
ただならぬ気配を、どことなく感じ取ったからかもしれない。
校門前で慌ただしく動き回っていたのは、ほとんど顔を知っている先生たちだった。中学校の前だからもちろん俺たち生徒の嫌われ者の中学の先生もいれば、好かれている人気者の先生もいた。でもそれだけじゃなく、俺たちの卒業を見届けてくれた先生や二度と会いたくないと漠然と思った、小学校の先生たちが半分を占めていた。どの顔も焦りの感情に染まっていた。
そんな光景を見ていると、心配げに眉をひそめた顔をなんども左右に振ったりして周囲を見回す真鍋先生が東側の道からやってくる俺たちに気づいた。
「慧人…!みんな!」
真鍋先生は気遣わしげな表情で、遠くにいる俺たちに向かって手を振ってくる。
俺たちはその手に手繰り寄せられるように、真鍋先生の所まで歩いて行った。
「なにやってんの」
返答の内容なんて分かっているのに、到着して早々俺は何食わぬ顔で淡々と真鍋先生に訊いた。
「なにやってんのって……慧人のお母さんから紘斗がいなくなったって連絡が来たから、学校にいた先生たちみんなで探してんじゃないの!」
真鍋先生は少し叱りつけるように言った。
返答の内容は思っていた通りだった。
「みんなは何してたの?もう時間も遅いし、お家に帰ってなくちゃダメじゃない」
「コイツの弟を探してたんだよ」
グッジョブをするように立てた親指で俺をさしながら健輔が言う。
探してたと言っても駄菓子屋から学校までの約五分くらいの距離だけだし、大体こんな夜遅く出歩いてたのは屋敷探検に行くためだろ、と口に出して言いそうになったが、本当のことを話せば説教を受けるのは容易に想像できたし、あとあと煩わしいことが起きそうな気がしたから、俺は真実を喉の奥に押し込める。
真鍋先生は俺たち全員の顔を見渡してから、困ったように鼻から空気を抜けさせ、言った。
「みんなが心配してる気持ちはよーくわかるけど、紘斗くんは先生たちが探すから早くお家に帰りなさい。子供がこんな夜遅くまで出歩いてたら変なことに巻き込まれちゃうきけ──」
「慧人!」
真鍋先生に諭されていたそのとき。突然右側から強く名前を呼ばれた。振り向くと、こっちへ歩いてくる涼介と瑞希の姿があった。
「どうした…お前ら?」
予想外の登場に俺は思わず訊く。
「瑞希から弟くんがいなくなったって聞いたから」
「探してくれてたの?」
「いや……急いで慧人の家に行ったら、慧人は弟くんを探しに出ていないって言われたから、なんとなくこっちにいるかなって…」
「そうか…」
「川の方探しに行ってたの?」
「あぁ。でもいなかった」
涼介はそうかと言うかのように眉を顰める。
瑞希と涼介の合流によって四人を帰すどころか六人に増えてしまい、真鍋先生はうまくことが運ばない有り様に困った苦笑を浮かべていた。それでも俺たちに何かを言おうとしていたとき、「あ」と今度はやまぶーが声を上げた。
反射的にやまぶーを見て、目線を辿って、南側の道の方に目をやると―――こっちに向かってくる二つの黒い影がなんとなく認識できた。
ひとつは左右にカタカタカタカタ揺れ動き、もうひとつは一ミリも微動すらしないで、こっちに近づいてくる。カタカタ揺れてる影より、微動すらしない影の方がなんだか距離を縮めてくスピードが速い気がした。そんな正体不明の影ふたつに、好奇心と恐ろしさから目を凝らし続けていれば。
「どこ行ったんやぁああ!!」
その雄叫びと共にちょうど街灯に照らされ、微動すらしない不気味なひとつの影が正体を現した。
「うわっ」
俺は思わず声をもらす。
「うさんくせぇ警官じゃん」
健輔もポロッとという感じで言う。
やっぱりみんな胡散臭いと思っているのか、と俺は健輔に妙な連帯感じみた気持ちを抱いた。
傾斜を味方につけ、自転車のサドルからよくバランスを取れるなと疑問に思うほど高く尻を上げてこっちに下って来るのは、胡散臭い警察官こと牛山さんだった。
「おい、あれって……永尾じゃね?」
牛山さんがやってくる道を目を細めて見ながら健輔が言った。
左右にカタカタカタカタ揺れ動いていたもう一つの影。それは健輔の言う通り、ガニ股のような情けない走り方でやってくる永尾先生だった。
そんな永尾先生がやってくる前に、尻を高く上げた牛山さんの自転車が俺たちの前で派手なブレーキ音を立てて急停止する。ケツを下ろせ。
そしてそのままの体勢で俺の方に顔だけを向ける。
強烈な毛虫眉毛とギョロ目が俺を捕まえる。
「なんや自分の弟がいなくなったって聞いたんやけどホンマか?」
「ホンマや」
牛山さんの問いに何故か健輔が関西弁で返した。
「ブレーキ直ったの?」
今日の日中に起きたことを思い出しながら、疎ましい顔でそう訊けば、
「先輩の自転車貸してもろうたっ!キラッ!」
牛山さんは求めてもいないのに煌めいていない黄ばんだ汚い歯を見せて笑った。カッコよくないから、閉じろその口、向けるなその顔。
俺が心の中で悪態をついている間に、牛山さんはやっと尻を下げ、紐の細いショルダーバッグを横によけて、自転車から降りた。
そんなとこにやっと永尾先生が俺たちの元にやってきた。
「いやぁ…っ…いませんね…っ」
膝に手をついて少し屈みこんで息を整える、永尾先生の口から放たれた第一声はみんなが待ち望んでいたものではなかった。
「先生も南側探してはりました?」
「…っ、ええ…」
「わてと一緒ですわぁ。キラッ。でも見つかりまへんでしたでしょ?」
「…はいっ…行きそうなところは、結構探したんですけどね…っ。小さい子が、そんな遠くまで行かないと、思うんだけどなぁ…」
牛山さんの神経を逆なでする“キラッ”を清々しいほどスルーし、永尾先生はまだ息切れしながら答える。
「南側ばっか行きやがって」
そんな二人から顔逸らし、健輔が吐き捨てるように小声で言う。
「誰かに連れ去られた可能性はないんですか?」
真っ黒なアスファルトを睨みつけるように目を落とす健輔に少し気に取られていると、涼介が容赦ない物騒な推測をぶち込んでくる。
それに永尾先生が「えっ?」と鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな顔で眼鏡を押し上げた。
永尾先生ってこんな目が小さかったけ?と永尾先生の目元を見ていれば、涼介の推測にすぐさま牛山さんが前のめりで反論してきた。
「アホなこと言うもんちゃうわ!わてずっと巡回してたんやで!そんな犯罪みたいなこと起きるわけないやろ!!」
「ずっと巡回はウソっしょ。昼休憩とかしてんじゃん。その間に起きた犯罪、絶対見落としてるよね?」
やまぶーが牛山さんの主張の粗を指摘する。
「ホントは巡回なんてしてねーんだろ。サボってたんだろ?どーせ」
そこへ健輔が口悪く加勢する。
「なんやなんや。やるんっちゅうか!?」
「なにを?」
こちらへ肩を張って詰め寄ってくる牛山さんに冷静に俺が聞き返せば、
「警察官が子供に喧嘩を吹っ掛けるなんてどうかしてます。俺はひとつの可能性を示しただけで、事件なんて断言してないです。事故にあって動けないでいるかもしれないし、脱水症状で倒れてるかもしれない。可能性はいくらでも考えられます。くだらないことで言い合ってる前に、はやく警察官として責任を持って子供を探してください」
俺よりも遥かに冷静でかつ毅然とした態度で涼介が牛山さんを諌めた。
「…わ、わかってるちゅうねん」
涼介の知性さと凛々しい態度に気圧されたのか、牛山さんは黒目を泳がせたじたじになった。
発情期の犬みたいにキャンキャンうるさいのがこれで少しでも大人しくなってくれるなら、町で会費を集めて毎回涼介に頼みたい。
「まなべ先生っ!」
「痛っ」
会話が途切れた僅かな沈黙に突然割り込んで来た、幼い声とトンっというこもった鈍い音。
牛山さんから音がした方へ目をやると、紘斗と同じくらいの小さな女の子が真鍋先生の腰の辺りに抱きついていた。でもすぐ「あっ…ごめんなさい」と下を向いて真鍋先生から離れた。女の子につられて視線を下へ落とせば、女の子は真鍋先生のスニーカーの上から自分のスニーカーを退けていた。どうやら真鍋先生の足を靴で踏みつけてしまったらしい。
蝶蝶結びにされた、真鍋先生のスニーカーの白い靴紐はわずかに傾き、少しばかりか押し花のようにつぶれてる。
「まなべ先生…痛かった?」
女の子が申し訳なさそうに真鍋先生のスニーカーに手を伸ばした。真鍋先生はその手首をつかんでさすりながら「大丈夫大丈夫。ほんっとぜんっぜん気にしなくていいから」と小一の担任らしく穏やかに笑いかけた。
「どうしてこんなお外が暗い時間に歩美ちゃんはここにいるの?」
真鍋先生はしゃがみこんで女の子と目線を合わせる。
「なんかね、ひろとくんがいなくなったからお母さんがさがすって、だから、だからいっしょにきたの。ほらあそこ!」
一生懸命に説明した女の子が指さした先には、女の子のお母さんらしき人が先生たちと不安げな顔で話し込んでいた。
気づけばそのお母さんと同じような理由で、老若男女問わず近所の人たちが学校の前に集まってきていた。
エレベーターが急降下していくような浮遊感が、俺の腹の中で昇っては沈むをせわしなく反復しだした。面倒くさいことになってきたと思った。
「こんなに探していねぇなら、屋敷にいるんじゃねぇの?」
同じように騒がしくなってきた周辺の様子を見ていた健輔が不意に言い放った。
途端、大人たちの顔が引き締まり、黙る。
子供の俺たちも、空気に呑まれ、黙る。
たぶんみんなどこかで“四方屋敷”なんじゃないかって思ってたんだ。でも、子供があんな場所に行くわけないっていう既成概念がその可能性を除外させてたんだ。
「あんなとこに子供が行くわけないだろ」
思った通りに、息切れが収まった永尾先生が少し怒った感じで否定する。
「紘斗くん、怖がりだからなぁ…」
「そうやで!あんな…あんなワケわからん家がある山なんてちっこい子供がよう行かへんわ!」
真鍋先生が、牛山さんが、大人たちが否定する。
「わかんねぇだろ、そんなの。どうせ屋敷は探してねぇんだろ?こんな探していねぇなら、もう屋敷しかねぇじゃん」
否定ばかりする大人たちに反発するように、健輔が言い切る。
大人たちはみんな割り切れない表情を浮かべた。少なくとも健輔の言うことは一理ある。
呪われたり危害を加えられる身の危険性があるいわくつきの場所に、子供が行方不明だからって理由だけで誰だって自分からわざわざ足を踏み入れてたくはない。小さな子供が行っているっていう確証もない。だから否定したい気持ちもわかる。でも――
「俺、行ってみるわ」
みんなが一斉に俺の顔を見る。
可能性はゼロとは言い切れないし、大事(おおごと)にならないうちにこの騒ぎを収めたい。それにこれ以上、楽観を許さない状況に追い込まれるのは本当に勘弁してほしかった。
「じゃ!」
俺は先生たちに片手を挙げて挨拶し、一人で四方屋敷に向かって歩き出した。
「ちょっ、ちょっと待って!慧人!」
「なななんかあったらどうするんだ…!軽い気持ちでっ、いくっ…行くとこじゃないぞ…!」
「そうそう!子供ひとりだけで行くとこちゃうでっ!」
「大丈夫大丈夫」
背後から大人たちの制止の声が飛んでくるが、振り返らず、足も止めず、俺は余裕な感じで片手を振った。
その直後、猪に突進されたような背後からの衝撃に、俺は軽くよろめいた。振り向く前に首にぬくもりつきの腕が巻きついてくる。
「なんだ、お前も本当は屋敷に行きたかったんじゃん」
顔を少し動かせば、近くで口端を横に広げニヤリと笑っている健輔の顔があった。
「ちがっ…」
「あーあー何も言うな。わかってる。一緒に屋敷探検に行こうな、相棒」
「だれが相棒だ」
コツンと俺の肩にのせた健輔の顔をこづくように弾き飛ばす。
「先生たちが行くから戻ってきなさい!!」
「守沢!言うことを聞きなさい!危ないんだからぁ!」
「戻ってけえへんかったら逮捕するぞぉー!!」
大人たちの制止は止まなかった。が、それを振り切って、俺は健輔と共に四方屋敷へとまっすぐ続くゆるやかな坂道を登り始めた。
「逮捕って、アイツにそんな権利あんのかよ」
「一応、警官だからな。あるんじゃねぇ?」
健輔と俺がそうのんきに会話をしていれば、
「大人数で行けば、問題ないですよね?」
そんな様子を見兼ねた涼介が大人たちを説得するような形で間に入ってきてくれた。
「もし誰かに何かあっても誰かは先生たちに連絡できますし」
「だれに何があんだよ」
健輔が後ろを振り返ってすかさず茶々を入れる。聞こえていたはずだが、涼介からの反応はなく、恒例の無視をされた。
「そういうことじゃなくてね……」
「きっと何もないですよ。気になるんなら後で来てください」
真鍋先生に有無を言わさぬ口調ではっきりとそう言い切ると、涼介は颯爽と大人たちに背中を向け、俺たちの方へ歩いて来た。その後ろを瑞希が追っかけてくる。
「心強いなぁ」
俺のもとにやって来てくれた涼介に思わずそう言えば、涼介はピクっと眉を弾いて少しおどけたような得意げな顔をつくった。
瑞希たちの後を追うように自転車とともに来ていたやまぶーも援護射撃をする形で気だるそうに大人たちに向かって口を開いた。
「そんな心配しなくても大丈夫だよ。目に見えない幽霊より目に見える人間の方が怖いんだから」
「お前ほんと何があった?」
二度目の人間怖い発言に再度俺はやまぶーに問いかけた。
いつの間にか、屋敷へ先に足を向けた俺の周りに、健輔、涼介、瑞希、やまぶー、という仲間が集まっていた。味方ができたような、力強さを覚える。
だけど、その野郎たちの集まりから少し離れたところで、芦北が、どこにも行き場所がないようにうつむいて、俺たちが立ち去った批判的な面持ちの大人たちの前でいまだに一人で突っ立っていた。
そんな芦北の姿を見ていると、一瞬、どうしてだろう。探すよ、と臆病さで凝り固まっているに奥底に容易には屈しない鋼の意志がある、俺をまっすぐ射抜いた、あの瞳が脳裏を横切った。
「先生たちも行くからちょっと待ちなさい!」
「こんな時間にっ、子供たちだけで動き回るな!お前たち!」
「なんかあったら責任取れへんでぇ!!」
大人たちが懲りずに俺たちを妨げてくる。
が、保護者か、住民か、ナーバスな表情をした数人の大人たちに話しかけられたことによって、制止の声がやみ、こっちから意識が逸れる。このチャンスを逃がす手はない。
「芦北、来る?」
俺はいつもより多く鼻から空気を吸ってから、芦北に声をかけた。
芦北が癖のようにしなだれさせていた顔を持ち上げて、俺を横目でまた顔色を窺うように見上げてくる。そこに拒否の色は無いように思えた。
「帰らせた方がいいよ」
そんな俺の提案と芦北の気持ちに、やまぶーが否定的反応を示した。女の子だから、というやさしさからだとはわかってる。
「女は足でまといだろ」
やまぶーの配慮的な理由とは正反対に、少し差別が混じった自己中心的な理由で健輔が拒絶する。
俺はそれらの意見には応じず、芦北の返答を待った。
暗がりの中で内側に巻き込まれていく芦北の唇を見て、あぁこれは来ないなと半分判断しかかったとき、巻かれていった芦北の唇が一気に外へ弾かれて、
「行く」
と音を発した。
そう決断を下し、こっちに顔を伏せながら駆け寄ってきた芦北に、やまぶーは何も言わず俺に目配せをしてからため息をつき、やれやれと肩を竦めた。すんなりと認めるわけではないが拒否するわけでもないみたいだった。その反対に健輔はばっさり「なんでだよ」と不満を露わにした。
芦北が加わったところで、
「行くか」
そう口に出し俺が歩き出すと、みんな同じように四方屋敷の方角へつま先を向けて、坂道を登り始めた。
「俺らが屋敷に入る前にアイツら来なきゃいいな?」
健輔がこっそり耳打ちしてくる。
あんな感じならたぶん健輔が心配しなくても大人たちは来ないだろう。屋敷に入った後で来るかもしれないが。
「やまぶー、自転車乗れば?」
しばらく歩いた所で自転車に乗らず押して坂道を歩いているやまぶーにそう声をかければ、なんでだよ、と不機嫌気味にやまぶーに言い返された。なんでだよって……。
「いや、辛そうだったからさ。それになんか二度手間じゃね?」
徒歩より格段に時間的にも体力的にも楽に移動できるから自転車を乗ってきただろうに、そうやって乗らないで押してたら徒歩より時間は取られるし、身体にかかる負担も多いだろう。現実にやまぶーは滝までとはいかないが広い額から汗が幾筋も滴り落ちているし、会話ができないほどじゃないが息も少しあがっていて苦しそうだ。
「ん、まぁ…そうだな」
「自転車乗れよ。先行っても構わないからさ」
「いや…、よく道わかんねぇし」
「ココ真っ直ぐ行くだけだよ。んで左に曲がる」
「……いいよ、押してく」
「なんだよ行けよ。屋敷の前で待ってくれればいいから」
「いや…なんか……つうか、お前らも自転車乗ればいいじゃん。どうせお前らの家通るんだからさ。あるだろ?自転車」
「まぁ…あるっちゃあるけど…」
「ほら、瑞希んち着いた」
自転車に乗りたがらないやまぶーと自転車に乗らせたい俺の緩い攻防戦をしていたら、いつの間にか瑞希の家の前まで来ていた。
「自転車取ってこいよ、瑞希」
やまぶーが急かすように促す。
突然の催促に瑞希はどうしたらいいか分からず自分の家と俺たちに視線を行き来しまごついていたが、そのうち顔色を窺いながらも自転車を取りに行くことを決め、自分の家へ入っていった。
「中に誰かいるみたいだな」
不審者のように家の中を覗き込みながら、健輔が言う。
瑞希の家には人の息遣いが感じられた。窓から温もりがある暖色の明かりが漏れていて、人の影も足音とともに何回か行き交い、笑い声も響き、賑やかだった。
「そういや慧人の弟が行方不明になる前に遊んでたのって瑞希の弟だったよな?」
「あぁ」
健輔と同じように瑞希んちを覗き込みながら、聞こえた音にただ反応するように空返事をする。
「直接聞いてみようや」
「あぁ!?」
明瞭に飛び込んできた言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「お前何言ってんだよ!」
「なんか収穫があるかもしれねぇじゃん」
「紘斗のことなんか知らないって言われたんだぞ!?あるわけねぇよ!あったら話すだろ普通!」
「聞かれたときは忘れてたりして知らなかったかもだけど!電話切った後、なんか、ほら!思い出したりしたかもしれねぇじゃん!!――行くぞ!!」
「やめろやめろやめろっ!!」
瑞希の家へ突進して行こうとしてる健輔を俺は後ろから覆い被さるようにして動きを止め、無謀な強行突撃をなんとか防ぐ。
「な、なんで──んごっ」
「瑞希っ…瑞希早く来い!行くぞ!」
健輔の口を塞ぎ、小声になっていた意気地のない自分の声の代わりに、俺はあらゆる筋肉を動かした顔面で必死に瑞希に訴える。きっと変顔なんていう域を超えた酷い顔だろう。だけど、瑞希は困惑した顔を浮かべつつも、自転車を持ってこっちへ駆けてきてくれた。
それに安堵したのもつかの間、今度は目を涼介たちから坂の先へ何度も行き来させ、行けとこれまた必死に促す。冷ややか、憐れみ、困惑、さまざまな視線を浴びせられながらも、涼介ややまぶーたちは坂の先へ歩を進めてくれた。
俺も健輔を引きずるようにして坂を登って、瑞希家から速やかに離れ去る。
瑞希家と守沢家の間に無計画無鉄砲で首を突っ込まれると困る。ただでさえこの問題が起きてガラス細工みたいなデリケート状態なのに、このまま健輔が突入してその後ろに俺がいるとわかったら、事態は肥大して、手の施しようがないほど拗れてしまう。そうなったらややこしい。
そう、問題は、紘斗のことだけじゃないんだ。
「あ、そうだ。屋敷に行く前にコバ家に寄ってくんねぇ?」
「なんで?」
坂道の途中、健輔の強行突撃という非常事態を脱した俺が反射的に問えば、健輔の顔が露骨に歪んだ。気に障ったことがある、と言うかのような苛立った表情だった。
「勝手にバックレたやがったから文句言いに行くんだよ」
「どうせコバを屋敷に連れて行きたいだけだろ」
「ちっげぇわ」
やまぶーに魂胆を見抜かれ、むくれたように否定しながらも目を泳がしてる健輔に俺は呆れながら言う。
「なんでそんなにコバに執着してんだよ」
「別に執着なんかしてねぇよ。一言言わねぇと気が済まねぇんだよ。それにべつによ、コバ屋敷に連れ出したっていいだろ?」
だって、をやけに強調して、健輔はカッと目を見開いた小憎たらしい顔を涼介に向ける。
「大人数で行けば、誰かに何かあっても誰かは先生に連絡できるだろ?」
と、涼介へ当てつけのように言った。
そんな健輔を涼介はすぐ横目で睨みつけた。そのままいつものようにスルーするかと思っていたら応戦した。
「何かあった誰かはお前になるんじゃない?足でまといにだけはなるなよ」
「っなんだとテメェ!」
「あぁやめろやめろ」
挑発し返してきた涼介の胸ぐらを掴みにかかろうとしていた健輔の腕を俺はとっさ掴み、涼介への暴力を阻止する。が、「テメェこの野郎!」諦めの悪い健輔は別の手を伸ばし、平然とした態度で健輔を睨み続ける涼介への暴行を遂行しようとする。涼介へ向かってバタバタもがくその手を、「だからやめろって…!」またしても俺は捕まえて阻止する。
そんな攻防をまたやっているうちにまたいつの間にか自分の家の前まで来ていた。
そして、家の前で落ち着かない様子で辺りを見回すお義父さんと鉢合わせてしまった。
「おっ」
対峙する心の準備時間なんて与えてもらえることなく、ピクっと眉を上げてお義父さんは俺らに気づいた。
「みんなどうしたのぉ?こんな夜遅く」
一団となって家に来た俺たちを見て、お義父さんが緊迫感なく、悠然とした口調で声をかけてきた。
「お久しぶりです」
お義父さんの問いかけに答える前に、俺が声を出す前に、涼介が律儀に挨拶をした。
それにつられたように涼介の後ろで芦北が深々と頭を下げ、反対に瑞希はちいさく頭を下げ、健輔とやまぶーはニワトリのような動き方で首を動かして挨拶をした。
「久しぶりだね、涼介くん。あ、瑞希くんも。みんなもこんばんわ」
お義父さんの朗らかな笑みに、つい紘斗がいなく、神経を張り詰めさせるこの状況を忘れてしまいそうになる。
涼介と瑞希は小学校が一緒だったこともあってよく家に遊びに来ていてお義父さんと面識があったから、涼介は気を遣ったんだろう。でも、いつの間にか、いや、中学生になってからか、涼介はあまり遊びに来なくなった。
そんなことを思いながら、ふと家の方を見ると、リビングの電気が消えていて、家の中に人の気配を感じなかった。
「母さんは?」
やっと口を開いて、俺はお義父さんに尋ねた。目は、家の方に向けたまま。
「お母さんはご近所さんと紘斗が行きそうなとこを探しに行ったよ」
「そう」
「おと…おれも今から探しに出ようかなと思ってたとこ。家…鍵開いてるから、入ったらすぐ鍵閉めて待ってて」
「いや、いいよ」
「え?」
「俺も思い当たるとこ、そこら辺をみんなで探そうと思ってるから」
屋敷に行くとは言わなかった。さっきの先生たちみたいに反対されると面倒だからっていうこともあるけど、なんとなく言いたくなかった。
玄関の柱に縫いつけていた目を、ひゅるりひゅるりと落としていった先にあった玄関近くの自転車に俺は目を留めた。
「そっか。でももう遅いから…」
「すぐ帰ってくるからっ……いなかったら。じゃ」
そう言い捨てて、俺は急いで自転車を取りに行き、顔を伏せながら早足でみんながいる場所までその自転車を押していって、
「行こう」
そのまま息つく間も作らず一目散に俺は屋敷への坂道を登っていった。
その後ろをおい待てよと真っ先に健輔が俺に声をかけてから、失礼します、と涼介はお義父さんに律儀に挨拶してから、それぞれがそれぞれのやり方でお義父さんに別れを告げて俺を追いかけてくる。
「ちょっと待てよッ。なにそんな急いでんだよ」
健輔が息を切らしながら訊いてくる。
「べつに理由なんてねぇよ」
俺はそう答えて、走るスピードを上げた。
こうして予定よりたぶん少し早く涼介の家に辿り着いた。
「静かだな」
「でも人は居るみたいだぞ」
やまぶーの言う通り、涼介の家は人の気配はあったが、瑞希ん家みたいに騒がしくなく、音という音が聞こえず静かだった。窓に明かりは灯っているのに……まるで幽霊ハウスみたいだ。そういえばあまり涼介の家には来たことがなかったなぁ、と今さら思った。
涼介はそんな自分の家の洋風の門扉を物音ひとつ立てないように開けて通っていく。こちらも足音しなかった。
「どうしてどいつもこいつも屋敷探しにいかないんだろうな」
涼介が自転車を取ってくるまでに、健輔が大人たちに対しての素朴な疑問だというかのように訊いてくる。
「さぁな。いるなんてみじんも思ってないんだろ。あとは行きたくないか」
「あんな必死にどこもかしこも探してますぅみたいにやってんのに?矛盾してんな」
「人なんてそんなもんだろ」
俺がそう吐き捨てたと同時に、涼介がさすがに音を少し立てて戻ってきた。
「じゃあ行くか」
俺はみんなにそう声をかけ、自分の自転車に跨る。
すると瑞希もサドルに跨り、あんなに拒否していたやまぶーもサドルにその巨体を落とした。キィっとやまぶーの自転車が鳴く。そのやまぶーの後ろの荷台に、芦北が躊躇なくちょこんと座る。
えっ、そうすることをいつ決めていた?と驚き思ったものの、やまぶーの自転車だし、やまぶーと芦北が話して決めて同意のもとなら、うん、俺が割って入るのもおかしいし、反対する理由も権利もない。いいだろう別に。
なんか、もっともらしいことを言って自分を無理やり納得させる人みたいに、俺はやまぶーと芦北いつの間に決めた自転車二人乗り問題を強制的に終わらせる。
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