トラウマの四方屋敷

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そうして最後に残った涼介が自転車に跨ったのを見届け、みんなの視線が当然の流れのように健輔に向かう。ふと、俺たちの間に静寂が落ちる。 次の瞬間、 「いやちょっと待てよ!!オレはどうすんだよ!?お前らの後ろ走れってか!?この坂道でお前らの自転車を追っかけろってか!?」 健輔は近所迷惑なんてもんを考えず大声で訴え出す。 「涼介の後ろに乗ればいいだろ」 やまぶーが至極当然のように言った。 「いやなに当たり前みたいな感じで言ってくれちゃってんの!?なんでオレがコイツの後ろに乗らなくちゃいけねーんだよ!気持ち悪ぃわ!!」 そう悪態をつく健輔に、涼介が口を動かす。 「はやく乗れ」 「いやなんでお前も当たり前に受け入れ体勢でいてくれちゃってんの!?」 応戦するかと思いきや、こちらもやまぶー同様、不思議なくらい至極当然スタイルで、冗談ではなく、本気で健輔を乗せるつもりらしく、真顔で健輔を見ている。 「やっだわ!!マジで!!」 「文句言うなよ。涼介の後ろに乗るしか選択肢ねーんだから」 顔を背け心底嫌がる健輔にそうやまぶーは言い聞かせるが、 「おい瑞希。お前がコイツの後ろに乗れよ。俺がお前のその自転車乗っから。そしたら円満に解決すんだろ」 傍若無人な男、健輔。そう簡単には食い下がらず、瑞希に向かって自分の指先をちょいちょいと動かし、涼介の自転車に乗れと促す。 そんな健輔の強引さに当然ながら瑞希は困惑した表情を見せる。 「瑞希は乗り慣れた自分の自転車じゃないとダメなんだよ」 そこに無愛想だが、やっぱり涼介が救いの手を差し伸べてくる。 「人の後ろも苦手で乗らない」 強調された“乗らない”の言葉に、健輔が舌打ちをする。 「役に立たねぇなッ。慧人!」 勢いよく振り返り、健輔が最後の頼みの綱といわんばかりに俺に救いを求めてくる。 「悪ぃけど俺も人の自転車の後ろ乗るのムリなんだよ」 「あークソっ!!なんだよマジで!!」 俺にあっさりと見放された健輔は苛立って大声をあげる。 ちょうどその直後。涼介の家から涼介の両親が放つ、話し声や足音がわずかに聞こえた。 涼介はそんな自分の家を一瞥してから、 「はやく乗れよ」 健輔に視線を向けて言った。 いつもの冷静さの中に少し苛立ちが混じってるような声音だった。 「やだわボケ」 それに健輔がまた口汚くあしらう。 「おいやまぶー、お前降りろ。あとお前も。オレがやまぶーの自転車に乗るから、てめぇは女だからアイツの後ろに乗ってろ。で、やまぶーは走れ」 「もういい加減諦めて乗ってくれ、健輔。このままだと夜中になるわ。マジで。夜中とかに行きたくないだろ。コバの家にも寄んなきゃいけねぇし」 また指先をちょいちょいと動かしてやまぶーと芦北に指図しだした健輔に、俺は頼んだ。 それでも健輔は「マジムリ」「なんで俺がコイツなんか」と涼介の後ろに乗りたくないと頑なな拒絶反応を見せた。 「そんなに屋敷に行きたくないなら、来なくていいよ」 唐突に投げられた冷ややかな涼介の言葉に、あぁん?と健輔が眉を寄せ涼介を睨めつけた。 「怖いんだろ、屋敷に行くのが。昼間仲間を誘ってたのも、どうせ行かないってみんなが言うのを分かってて誘ってたんだろ?みんなが怖がってる屋敷に行こうって言えるオレ強いってアピールしたいがために。本当は最初から行く気なんてなかったんだろ?だからそんな駄々こねてるんだろ?俺の後ろが嫌だとか言って。本当に行くことになっちゃってビビって逃げたくてたまらないんだろ?」 涼介は健輔を見据えて、こくりと小首を傾げた。 それは紛れもなく、挑発だった。 「乗ってやるよテメェ!!」 健輔は巻き舌でそう威勢よく啖呵を切ると、少し顎をしゃくれさせ、いからせた肩を左右に揺らし、ドスドスと地面に足を叩きつけながら、ガニ股で涼介の方へ向かっていった。 そして、健輔はあんなに嫌がってた涼介の自転車の荷台に、嫌がらせのようにわざとガシャンと派手な音を立てて粗暴に跨った。挑発に乗ることも含め、それまでは誰もが予想できた行動だった。が、それだけでは終わらず、健輔は何故かそこからぐいーんと大きく上半身を仰け反らせた。 一体何をしているのか、と思わずやまぶーと俺は困惑の顔で見交わし、みんなで健輔の様子を窺っていれば――いきなり、タコみたいに腕や足を動かして踊り出した。 「……なにしてんの」 不可解な踊りをする健輔に、俺はみんなのかすかな戸惑いを乗せて尋ねた。 すると、健輔は踊りながらこう答えた。 「イカ踊りだよ」 「あ、イカなんだ」 やまぶーが冷静な顔で突っ込んだ。 タコなのか、イカなのか、今はそんなことどうでもいい。 「なんでタコ…いやイカ踊りなんかしてんだよって聞いてんだよ」 俺は再度訊いた。 「わかんねぇか?おちょくってんだよ。警察二十四時でやってんだろ、暴走族が警察を挑発するときにこうやって…」 と言い、健輔はさっきよりも腕や足を伸ばし、ばたつかせ、可動範囲を広げ、激しく踊った。 しゃくれるくらい顎を上げた健輔の目線の先には、宿敵の涼介。挑発だ。挑発している。ガキだ。ガキすぎる。でもまぁ、世の中的には、中一のおれらはガキか。 そんな健輔を涼介がこれでもかってほど冷め切った目で見ていた。健輔が氷にでもなりそうだ。 「暴走族のマネかよ。それならイカじゃなくて、タコだよ」 またしてもやまぶーが平然と訂正を入れくる。 いや、だから今はそんなことどうでもいい。 しばらくして涼介は心底呆れたように視線を前に向け、感情のままにといった感じで思いっきりペダルを踏み込み、自転車を発進させた。その反動で「…っおい、テメェ!」健輔のタコ踊りが崩れる。それでもめげずにタコ踊りを継続する、健輔。 どしっと腰を据えた姿勢のいい毅然な後ろ姿と必死感漂う乱れた滑稽な後ろ姿。ああ、なんて見事なコントラスト。 そんなふたりを憐れみと労いを込めた眼差しで見送っていると、やまぶーが自転車を少し漕ぎ、俺の横にやってきた。 やまぶーの目線は先に行った涼介アンド健輔ペアになにやら釘付けになっていて。 「なんだよアイツ……あんな四方八方に手足暴れさせて……あれじゃタコじゃねぇかよ……おい健輔!!イカなら下の方でこう――」 「どうでもいいわっ」 早く行け、と俺は手を振り、健輔に要らぬ声がけをしようとしてるやまぶーを急き立てた。せっかく涼介が健輔をうまいこと丸め込んで出発したのに、これでまた足止めを食らうなんて馬鹿らしくてやってらんない。それに、タコの踊りも、イカの踊りも、そんな大差ないだろ。 当てつけるようなやまぶーの不服顔が、杏奈の労うような苦笑顔が、俺の前を横切っていく。 それもまた俺は見送り、瑞希に声をかけて、やまぶーたちの後ろを追わせる。そしてやっと俺もペダルを踏み込み、自転車を発進させる。 健輔のタコだかイカだかの踊りは相変わらずのまま、十分くらいして、俺たちはなんとか健輔の要望通りコバの家に辿り着いた。 いつ来てもこの立派な木造の数寄屋門には自然と身が引き締まる。一千坪以上あるって言ってたっけな、広大な敷地には他の家にはなかなかない手入れが行き届いた四季折々を堪能できる日本庭園や鯉がおよぐ池があり、なによりそれらを従えたド真ん中に佇む豪壮な日本家屋の屋敷は俺たちがかくれんぼしても見つからないくらい広く複雑で迷子になるくらいだった。コバの家はこの地元で指折りの、旧家という由緒ある家柄にふさわしい豪邸だった。 「慧人、お前が行ってこい」 そんな豪邸に着いて早々、健輔の第一声がこれだった。しかも、俺に対してのものだった。 「は?なんで?用事があんのはお前だろ?」 「そうだ。だからお前がインターホンを鳴らしてコバをココに連れてこい」 「いやいや意味がわかんない」 当然だという顔でつんつんと自分の足下を指さす健輔に俺は顔の前で手を振った。 「自分で行けよ。ほら、そこのインターホン押せ」 俺がそう言うと健輔は俺に不満顔を投げてから、壮麗な門構えの脇についているインターホンを渋々と言った感じで押した。そして、連打した。そして、慌てて俺の後ろに重なるように隠れた。 「いや何回押してんの!?つかなんで隠れんの!?」 「隠れてねぇよ。気分だよ気分。そうしたい気分なんだよ」 「そんなことしたくなる気分なんて今まで聞いたコトねぇよ」 「ごちゃごちゃうるせぇな。前向け前!」 「なんでお前に指図されなくちゃいけねぇんだよ…!」 不毛な時間だと分かっていながらも健輔と揉めていれば、どちら様ですか、というコバらしき声がインターホンから聞こえてきて、俺たちはすぐに口を閉じた。 それから突然健輔に肩を突かれ、なぜか俺がインターホンの前へ押し出された。は?という顔で健輔の方へ振り返ると、クイクイ、とインターホンの対応しろと顎で指図された。 なんて自分勝手な奴だと思った。分かってはいだけど。コバの家に寄りたいと言った言い出しっぺなのに、用事があるのもお前なのに、なんで俺が対応しなくちゃいけないんだ。 心の中で文句を並べ、健輔の顔を睨みつけ、盛大にため息を吐いてやってから、俺はインターホンに向かって声をかけた。 「あー…すいません、守沢なんですけど……コバ…いや、陽平くんいらっしゃいますか?」 「……おれ、だけど…」 「あ、やっぱコバ?」 「…うん。どうしたの…?」 「いや…その、」 用事なんて元々ないため言葉に詰まった俺が当然の如く用事のある健輔の方を向けば、ご丁寧に口元に手を当て「出てこいって言え」と小声で言ってきた。 自分で言えよと思いつつ、俺はまたインターホン越しのコバに話しかける。 「今、出てこれる?」 「…今?うん…まぁ、いいけど…」 コバの声は、ここまで一貫して話す力を出せないのか、出さないのか、どこか脱力していて弱々しかった。 「悪ぃな。てか、元気ないみたいだけど大丈夫?」 「……うん。それより、そっちの方が大丈夫?……弟くん、いなくなったんでしょ…?今、お母さんたちも…探しに行ってるけど……」 「…あ、そうなの…?悪ぃな。どうせすぐ見つかるって。今俺たちも――」 探しに行くとこなんだ屋敷へ、と言いかける前に「はやく出てこいって言え!」とまたしても健輔から身勝手な注文が背後から小声で飛んできた。 「とりあえず、出てきてくれる?」 健輔の苛立ちを募らせつつも、そう声をかければ、うん、とコバは返事をしてくれた。 インターホンが切れて一分もせずに、立派な数寄屋門の千本格子の隙間からこっちに向かってとぼとぼと歩いてくるがコバが見えた。 「……どうしたの、みんな…そんなに集まって……」 コバは少し驚いた様子で目を見張り、千本格子越しに門の前に集まっている俺たちを見渡した。 「そんなことどうでもいいんだよ!!」 そんなコバに説明をすることもなく、門越しのコバへ健輔が詰め寄った。 「テメェ電話にでろよ!何回掛けたと思ってんだよ!」 いきなり怒鳴り散らした健輔にコバが顔を背けたじろぐ。 「理由を言え!俺が納得できる理由をな!」 耐えるように黙っているコバの顔をつつくように指をさしながらコバを責め立てる健輔の姿は、自然と顔が顰めっていくような気分に陥らされて見ていられない。 それは他の奴らも同じだったんだろう、蛇に睨まれた蛙状態のコバと健輔の間にやまぶーが割って入ってきた。 「それ今聞かなきゃいけないことかよ?どうでもいいだろ。そんなことしてたら日が暮れる」 「もう日は暮れてんだろ!」 妨害されたことが健輔の火に油を注ぎ、巻き舌混じりの荒々しい声を張り上げ、健輔が言い返す。 「もっと暮れるってことだよ」 負けじとすぐ言い返すやまぶーの横で、 「正しくは更けるだけど」 と涼介がぼそりと訂正する。 「どうでもいいだろ!!そんなこと!!」 健輔は鋭利な刀で叩き切るように俺らを怒鳴りつけた。何をそんなに怒ることがあるんだ、と俺は理解に苦しみ、眉間を寄せる。 「もう理由はいいわっ。俺たち今から屋敷に行くからお前も来い」 健輔にそう言われると、コバは弾かれたように顔を上げた。さっきまでこべりついていた悄然さが薄まったその顔は、メドゥーサの目を見て石と化してしまったように、驚愕と恐怖の色が浮いた目を見開き、強ばっている。 「……屋敷に、行くの……?」 「あぁそうだよ。慧人の弟が居るかもしんねぇからよ」 「いないよ」 「なんで分かんだよ、行ってもねぇのに」 「行かない方がいいよ」 「お前行きたくねぇだけだろ」 「……もし、なんかったら、どうすんの」 健輔をすぼめ見据えるコバの目はいつになく深刻さに帯びていた。 「そんなのそんとき考えればいいだろうが。そんな事ばっか言ってよ、行方不明の友達の弟が屋敷にいるかもしれねぇのに来ねぇの?探してやろうとは思わねぇの?それでも友達か?お前」 そう健輔に責め立てられたコバはうつむいて、それっきり押し黙ってしまった。健輔があぁーと苛立った声を出す。 「もういいわ。おまえは友達でもなんでもねぇ。じゃな」 健輔がそう投げやりに言うと、コバはビンタでもされたかのようにまた顔を上げて、健輔をどこか縋るような目で見た。 そんな表情を浮かべるコバに、健輔は同情もなく体を反転させ、背中を向ける。 健輔のその背中を数秒見つめた後、なにかに触発され、なにかを諦めたようにコバも、健輔に背中を向け、玄関へまっすぐ続く石畳の道を歩き出した。 「やっぱ逃げんだな」 遠ざかっていく少し萎んだコバの背中に気づいた健輔が嫌味たらしくそう投げつければ、 「……自転車…、取りに行くんだよ」 自転車、その単語を強調して、ただそれだけ言って、またコバは頼りない足取りで歩いていった。 俺はしばらくそんなコバの後ろ姿を目で追っていた。 「そうだよな、約束は守るもんだ」 コバの背中を見ながら放った健輔の言葉に俺はまた顔を顰めた。つられ、口も開いた。 「なんでお前はそうやってコバにしつこく絡むんだよ」 「約束を破る奴、嫌いなんだよ」 「約束って、お前が一方的にしたんだろうが」 「でも行かないってちゃんと俺に断りいれてねぇじゃんアイツ」 「ああ言えばこう言うな、お前は。電話に出なくてバックれたことが、そんな目くじらを立てるようなことか?」 「目くじらぁ?目にくじらなんか立ててねぇよ!なんだよ目にくじらって!?ワケわかんねぇこと言ってんなよ!?」 「はぁぁぁあ…」 「なんだよ、そのあきれた長ぇため息」 「……お前さぁ、あんまコバ――」 「来たよ」 健輔のあまりの傍若無人さに苦言を呈し、呆れ返るという領域に片足を突っ込んでいた所、ふとやまぶーの声が俺を引き止める。やまぶーの顔を見て、千本格子の門に目をやれば、自転車を片手に俺たちを隔てていた門をくぐるコバがいた。 「早くね?」 「すぐそこだから。ガレージ」 思わずな俺の言葉にコバはあっさりと答え、やっぱりご立派な数寄屋門の近くにある車が何台入ってんだと尋ねたくなるガレージを指さした。そっか、とご立派なガレージに圧倒されつつ俺は眉を弾いて返事をした。 「俺の電話もそのくらい素早い対応してほしいわ」 さっそく嫌味を言い始めた健輔にコバは怒ったように眉を寄せながらも首を竦ませ萎縮する。また一方的な攻撃が始まるのかと呆れた矢先、 「はやく行こう。本当に夜が更ける」 涼介が窘めるように促した。 「早く乗れ」 そして涼介は健輔を自転車の後ろへ促した。真顔で。 「だからなんで彼女を乗せる彼氏みたいな当たり前顔でいんだよ!!少しは抵抗しろや!!嫌がれや!!おいコバ!!」 涼介にギャンギャン喚いた後、健輔はコバの方をパッと振り向くが、瞬時にわっかりやすいほどのガッカリ顔になった。 「あぁ!!何でどいつもこいつも荷台がねぇんだよ!!」 不本意に乗っていた涼介の自転車の荷台から融通が利き言うことを聞くコバの荷台に乗り換えようとでも考えていたのだろう。だけど残念ながらコバの自転車には荷台がない、太いタイヤが目立つマウンテンバイクだった。見るからに高そうな自転車だ。 「健輔」 俺は厳粛な声で名前を呼んだ。 「時間も遅いし、わがまま言わねぇで涼介の自転車に大人しく乗ってくんない?マジで」 俺は健輔に冗談抜きで真剣に言った。また乗りたくないと騒ぎ立て時間を取られるのが面倒くさかったから。 すると健輔は短く舌打ちをして明らかに嫌な顔をしたが、ガシャンと派手な音を立ててやや素直に涼介の自転車の荷台に座った。 それからなんとか二度目の出発が果たせ、さっきと同様の順番で俺たちは坂道を登って行った。そうして五分もしない内に先頭を走っていた涼介の自転車が止まった。 どうしたんだろう、とペダルを踏み込む足を止めず近づきながら様子を窺っていた俺たちに、 「ここから先は自転車では行けないから、置いて歩いていくしかない」 自転車を下りながら涼介はそう説明してくれた。そして同じように自転車から下りる健輔をちらりと冷めた目で一瞥する。 「オレ様の人脈情報網なめんな。さぁ俺の情報提供に感謝しろ」 道の脇に自転車を寄せる涼介に向かって、健輔が得意げな顔で言った。それに癪に触った様子の涼介はすぐ反発する。 「見れば誰だって自転車で行けないことくらい分かる」 「ぜってぇウソ!!どこから入るかもわかってねぇくせに!オレが止まれって言うまでブレーキだってかけてなかったじゃねぇか!!」 「かけようとしてたとこに見計らったように後ろからガヤガヤ言ってきたんだよ」 「はぁ〜はぁ〜あぁいえばこう言いやがって…!」 「それはお前だろ」 「なんだテメェ!!」 「あーもうやめろやめろ」 額に青筋を立てて涼介にガニ股で詰め寄る健輔とそれに応戦するように冷ややかに睨み返す涼介を言葉で宥めながら、俺は自転車のスタンドを蹴り落とす。 「で、屋敷はどこなの?」 やまぶーの少し不機嫌な問いかけに、後ろにいるやまぶーや芦北、瑞希、コバが自転車から下りるのを確認してから、俺は周りを見渡した。 すべてを沈ませた夜の闇より不思議と濃い木々たちが俺たちを囲うように出迎えた。 道の両脇で濃密に鬱蒼と生い茂り、夜空に向かって聳えているその黒い塊たちは、昼間は人を活気つかせるよう瑞々しく青葉を輝かせているであろうに、今は得体の知れない化け物に見えて、不気味で仕方なかった。 ぽつん、ぽつん、とある街灯が、この暗闇を裂き、道を照らしてくれているが、数が少なく、頼りない。その証拠に、うねりくねった道の向こうは濃厚な黒で隔絶されていて、その先に何があるのかまったく見えなかった。 今あの暗闇から誰かがこっちに全力疾走で突進してきたら、冗談抜きでおしっこをちびると思う。 白いワンピースを着て、素足で、腕を勢いよく振って、首が無くて……なんてとこまでリアルに想像をしていたら本当におしっこを催すようにぶるっと身震いした。なんでこういう時に自分で自分を怖がらせるような妄想をしてしまうんだろう。 かろうじて仲間の顔を認識できる、そばにある一つの街灯と凛とした可愛げのある鈴虫の音色のおかげで漠然とした暗闇の恐怖になんとか負けないでいられる。 「屋敷はこの草木の裏にあるんだよ。で、ここが入り口」 やまぶーの問いに答えるように、涼介は繁茂した木々の一角を指さした。 ぞろぞろと俺たちは涼介の元に集まり、導かれるように涼介がさした指の先を見てみれば、自由気ままに伸び育った草木の間に、どこかへ繋がっている人が一人通れるくらいの幅の細い道があった。 でもやっぱり奥の方は闇に塞がれていた。 「この道を歩いていけば屋敷に行けんの?」 俺が訊けば、涼介は「あぁ」と目を逸らし頷いた。 「なんでわかんの?」 怪訝な面持ちでやまぶーが涼介に尋ねる。 「友達と一回来たことあるから」 「え!?マジ!?おれ一回も来たことないんだけど」 俺と同じで涼介は屋敷には行ったことがない派だと勝手に決めつけていた。 「初?」 「初」 俺は涼介に向けて赤べこのように小刻みにうなずく。 意外性のある情報に触発され、他の奴らにも 聞いてみると、六月に転校して来た芦北は例外として、やまぶーや瑞希、怖がりのコバは予想通りとして、危険なことにはすぐ首を突っ込むあの健輔さえも屋敷には足を踏み入れたことがなく、このメンバーで初めてなのは俺だけではなかった。 「意外なやつが行ってたな」 俺が軽くからかうように言えば、涼介はへの字口をして苦笑いのように曖昧に笑った。 「友達が怖がって屋敷の中には入ってないけどね」 「どうせおめぇがビビって入らなかっただけだろ」 またしでも横から健輔が恐怖を緩和してくれていた和やかな空気をぶち壊す。 「ビビって今まで一度も来たことがない奴の戯言か?」 それにすぐさま涼介が応酬する。そして―― 「ああ!?てめぇあんまナメてんじゃねぇぞ!!」 「あーやめろやめろ!コントやってんのか!?お前らは!?」 テンプレのようにまたしても涼介に獰猛な形相で詰め寄り手を出そうとする健輔を俺は体を張って止めに入る。そんな俺の後ろで涼介が鬱陶しげに髪をかきあげる。 「で、誰が先に行く?つか行ける?暗くない?」 俺とは違い何かと喧嘩する二人を相手にすることなく、やまぶーは好き放題伸びた草を手でかきわけ、屋敷に続く道を覗き込む。 その果てしなく真っ黒な屋敷に続く道を、俺も、暴れる闘牛のような健輔を羽交い締めにしながら目をやる。すると、突然パッと白い光が現れて、闇が消滅したように少しだけ道が明るくなった。反射的に光の元を探そうと視線を巡らせると、後ろで涼介が小型の懐中電灯で照らしていた。 「ナ…ナイスぅー…」 涼介の用意周到さに、やまぶーがふやけた驚嘆の声を投げかけると、涼介は少し誇らかな顔でぴくっと眉を弾いた。 「懐中電灯なんて考えてなかったわ…」 夜に捜索するなら持っているべきものなのに……よく考えず着の身着のままで出てきた自分の無鉄砲さに軽く頭をぶたれ、健輔を羽交い締めしていた手をぶらんとさせ、若干呆然とする。そんな俺にやまぶーが同感してくる。 「オレも。でも他のヤツらも――」 一緒っしょ、と仲間を増やし自分たちの欠点を慰め合おうとたぶんそう言いかけた矢先、前触れもなく、目の前で青白い光が閃いた。周囲が、さっきよりまた少しだけ明るくなり、土の色などが鮮明になる。また視線巡らせれば、今度は瑞希が涼介と似たような小型の懐中電灯を片手に持っていた。 「ナイスぅ…」 微かに期待していた慰め合いを軽く打ち砕かれたやまぶーは、なんとも言えない顔で不思議そうに目を瞬かせている瑞希に向かって萎れた声を出した。 俺も自分の至らなさを改めて自覚し、噛み締め、やまぶーの肩に手を添えてから、さすが、と褒めたたえる視線を瑞希に送った。瑞希は不思議そうな表情を深め、首を傾げ、俺たちをじっと見つめ返してきた。 「行く気満々の懐中電灯お持ちの方に先に行ってもらえばよろしんじゃないですかぁ」 そこに割って入ってくるのが、やはり健輔で。口をひん曲げながら、嫌味ったらしく言ってくる。特に涼介に向かって。 「どうぞぉ」 手のひらを上に向けた手を屋敷に続く小さな入り口へ動かし、小憎らしく先を促す健輔を涼介はぎろっと横目で睨みつけると、ふんっとそっぽを向いて、暗澹たる闇路へ一番最初に身を投じていった。 チッと舌打ちを返す健輔を他所に、涼介の後を追おうとしていたやまぶーが親指で自分の背後を指さし「来れば?」と杏奈を誘う。杏奈は無言で頷き、やまぶーと共に闇路へ消えていった。 そこにほとんど口を閉じたままのコバが俺に促されるまま悄然とした様子で続き、懐中電灯を持った頼もしき瑞希、役立たずな俺、涼介といがみ合う健輔を最後にといった順番で、俺たちは屋敷に繋がる道へ足を踏み出した。
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