トラウマの四方屋敷

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逃げ道がない、つんざくほどの青臭い匂いに鼻をやられまくる。じゃり、じゃり、とうねりくねった砂利道の小石たちを踏みしめる足音が闇を切り裂き、耳孔を埋めていく。そんな中、ほどなくして口を開いたのはやっぱり健輔だった。 「まだ着かねぇの?」 「いや、入ったばかりだろ。そんな早く着くか」 俺の言い返しに、健輔が舌打ちする。 「ほんとに屋敷に着くんだろうなァ?」 「着くんじゃねぇの。じゃなきゃなんのためにココ歩いてるかわかんねーだろ」 「先頭にいるアイツは信用できねーからな」 「信用してないのはたぶんオマエだけだよ」 なんだかんだべちゃくちゃと喋っている俺たち後列と違って、下生えに軽く足をとられたやまぶーが「あーなんだよ、クソっ」と声を上げるくらいで、何かを噛み締めているように前列は静かだった。 好き勝手に野育ちした草が剥き出しの腕や足に擦れてくる。最初のうちは当たったとこだけに痒みが訪れ、そのたびに叩いて誤魔化していたが、進んでいくほど擦れる箇所が多くなって、しまいにはどこが痒いのかわからなくなってしまった。 それくらいかなりの頻度でこの野生草は俺らを邪魔してくる。なのに不思議と、すんなり歩いていけるから、なんだか目には見えないものに誘(いざな)われているような気がしてならなかった。懐中電灯の光だけじゃない何かに、誘(いざな)われるまま、黙々と突き進んで行った。 肌に頻繁に当たってくる葉や枝に不快な思いをし、痒みに苦しめられていたが、やがて、一気に視界が開いて―――鬼気迫る厳かな屋敷門が、静かに現れた。 反るように幹が曲がった奇妙な樹木の枝葉が覆いかぶさる、その大手口にあたるコバの家より大きく威風堂々とした木製の古びた門は、迎えることを厭わないみたいに扉が開けっぴろげで、二つの懐中電灯の光が敵わないほど不吉な漆黒の闇を湛え聳えていた。 あちこち這うように蔦が絡み、雑草が繁り、屋敷を囲う石垣も例外なくそれらに侵食されて、もう石垣と呼べないほどほとんどが草に覆い尽くされていた。 「ここが、四方屋敷か」 屋敷門を見上げながら、健輔が言う。 ―――そう、俺たちはついに、かの有名なあの四方屋敷に辿り着いてしまった。 それをしっかりと自覚した途端、どこからか吹いてきた生ぬるい風がじっとりとおれの肌を撫で上げ、笑い声のように森の葉たちが一気にざわめいた。さっきまで聞こえていたはずの鈴虫の声は、なぜか聞こえなかった。 ぞわっと背筋に悪寒めいたものが走った。 俺は肩をすぼめ首を横に振りそれを必死に払う。 「だれが先に行く?」 手榴弾の如く落とされた健輔のその声に、俺はこれから一悶着が起きることを確信する。多数で行くことで起きる誰が最初に行くか問題、これを避けては通れない。まして場所が心霊スポットなら尚更。 健輔の手榴弾に対して、みんな俺と同じく無反応だった。というより、どう反応すればいいのかわからない困惑顔の芦北と未だ悄然として暗い顔のコバ以外、そこら辺を見るようにして何も聞こえていないととぼけていた。 そんな俺たちを見た健輔が、目の端でニヤリと笑った気配がした。そして、待ってましたと言わんばかりの雰囲気で口を開いた。 「じゃ、オレが先に行こうかなぁー」 「どうぞどうぞ」 打ち合わせもなくやまぶーと俺は声を揃えて、なんなら手も添えて、健輔に先頭切符を譲り勧めた。 「オイッ!!」 すると健輔は大きく声を張り上げて、オイオイオイッと祭りの音頭を取るように片足を踏み鳴らした。 「どうかされました?」 俺は健輔にとぼけた調子で尋ねた。 「どうかされました?じゃねぇ!!おっかしいだろ!!ちゃんとやり取りしろよ!!」 「やり取りってなんですか?」 やまぶーが俺に続いてとぼけ、首を傾げる。 「わっかんだろ!!いつものやつだよ!!だれかが最初に手を挙げたら、“いやお前が行くなら俺が行くよ”“いやいや俺が行くよ”“俺が行くって行ってんだろ”ってゴチャゴチャして“じゃあ、俺が行くよ”って最後に手を挙げたヤツに行かせんだろうがよ!!」 健輔が唾を飛ばしながら俺たちに諭すように喚く。そんな健輔に対して唾を浴びせられた俺とやまぶーは毅然とした態度を演じつつ、ひくつく唇を動かし苦言を述べた。 「ちょっとそういう卑怯なやり方はいかがなものかと。先に行きたいって一番最初に手を挙げたんなら、潔くそのまま行くべきだと思います。ねぇ?」 「えぇ。潔く行くべきです」 やまぶーかそう言い切ったと同時に、健輔の手がやまぶーの頭を思いっきり叩いた。口より先に手を出してきたコイツ。ガクゥンとやまぶーの頭がバウンドする。 「いつもやってることだろうが!!やれや!!ノれや!!」 俺とやまぶーの頭や足をポカスカ殴ったり蹴ったりして攻撃してきた健輔から、 「ちょっと暴力はやめてください……!」 「おやめください!」 俺とやまぶーはニヤニヤ笑いながら腕を払ったり、両腕をかざしたりして、防御する。 そんなことをしていると後ろで誰かの呆れたような深いため息が聞こえた。そこに付け足すように「遊んでる場合か」と吐き出された冷徹な声質でさっきのため息が涼介のものだと断定する。まぁ分かってはいたけど。 俺たちと涼介たちの温度の差がこれ以上ひらいてしまう前に「はいはいはい」と俺は健輔を元いた位置まで押し返し、誰が先に行くか問題を振り出しに戻そうとした、その時。 俺たち野郎の前に、一つ結びの髪が垂れ下がった小柄な背中が、ためらいがちに横から出てきた。そうして俺たちより一歩前で、あの屋敷門と向き合っている。 「あ?」 健輔が粗暴な声を上げる。 「んん?」 やまぶーが狼狽えたような声を漏らす。 「ちょ、なにしてんの…?」 俺は目をぱちくりさせながら、その背中に尋ねた。 すると――背中が竦むように少しだけ丸まり、おそるおそる、芦北がこちらへ振り返る。一直線に揃った前髪の下の、大きな瞳がおどおど小刻みに揺れながら、怪訝な表情をして芦北を探り見る俺らを捉える。そうして芦北は、そっと口を開いた。 「……みんな、行きたくなさそうだったから……わたしが……、先に行こうかなって、思って……」 芦北は、内容とは裏腹に自信なげにそう言った。 「なにその心意気」 「なにその男気。いや、女気か」 さまざまな噂がある得体の知れない不気味な屋敷へ先頭切ることを厭わない芦北の度胸に、俺とやまぶーは少しばかり驚き、感服した。 「……お前、頭わる――」 「先に行くぞ」 男としてのプライドからか、忌み嫌っているからか、健輔が芦北へ口走りそうになった暴言を涼介はタイミング良く遮って、平然と畏怖嫌厭していたあのおどろおどろしい門をぐくって行った。一番男気があるのは、涼介みたいだ。 行け行け早く行け、と涼介を追い払うように健輔がしっしっと手を前に振る。 「お前も早く行けよッ。行きたいんだろ?」 健輔は八つ当たりように杏奈にもしっしっと手を振り、急き立てた。 杏奈は、抵抗することなく従った。涼介の懐中電灯の光が動き回る門の向こう側へとぼとぼ歩いて行った。 「やっと行ったな。ごちゃごちゃ言わねぇで最初から行きやがれって」 「ごちゃごちゃ言ってんのはお前だよ」 健輔に呆れ果てた様子でそう吐き捨て、やまぶーは杏奈の後を追うように門をくぐって行った。 やまぶーから思わぬ攻撃を受けた健輔が同情を求めた眼差しを俺に送ってくる。 「瑞希、行こう」 それを無視して俺は同じように門の前で立ち続けている瑞希を誘った。 「コバ、行こうぜ」 「……うん」 思い通りにならないことに腹を立てるであろう健輔の餌食になりそうな、深く思い沈んだ有様のコバも連れて、健輔以外の俺たちも門をくぐった。 「オイッ!俺を置いていくんじゃねぇよ!!バチ当たんぞテメェら!!」 その怒号から一拍遅れて、健輔の荒々しい足音が追いかけてきた。 当たんのはお前だよ絶対、と俺は心の中で言い返した。 誰が捨てていったのか――敷地内には、ほったらかしにされたままの枯葉を透けて見せてくるビニール傘や人が足を踏み入れた形跡を漂わせる酒の瓶、何のために使用されたのか不明瞭なブルーシートの切れ端などのゴミが散乱していた。 ポキポキ、骨でも折ってるような音が鈍く響く。俺たちが踏みつけている枝の音だ。油断すると木の枝に絡まれて転びそうになる。暗闇に飲み込まれそうになる。でもどうしてか誰も足を止めはしなかった。ただひたすら進んだ。そして、門を抜けてから三分くらいして、それが見えてきた。 涼介が足を止め、 芦北、やまぶー、瑞希、コバも足を止め、 俺も、健輔も、足を止める。 涼介と瑞希の懐中電灯から放つ丸い光がなぞりっていく、黒く煤けた外壁、反り返って剥がれかけた板、へばりついた蔦。 森林に囲まれた闇に浮かぶ、古風な建物。これが本体である―――四方屋敷。 森の中ってこともあって気の向くままな草木に侵略されているが、想像していたより荒廃はしていなくて、手入れが行き届いていない国の重要文化財の屋敷と説明されたら少し信じてしまいそうな風格ある佇まいだった。 もっとドアも壊されて窓も割られていると思っていたのに、ドアは薄ら開いているくらいで壊されておらず、内部を覗き込めるガラス戸も数えられるほどしか割れてなくてほとんどが無傷でひびが入ってるくらいだった。 人が住まなくなってそれなりに年月が経っているだろうに、生活が営まれていた当時に近いんじゃないかと思うくらい何もかも原型をとどめていて、それが逆に異様に思えた。 一家心中、一家惨殺、不審死、笑い声、死体――うわさ程度だったものが急に現実味を帯びてきて、ぞくぞくと不快な痺れが全身を這った。俺は肩を掻きむしって、紛らわした。 何か悪いことが身に降りかかってきそうな、何かを奪われてしまいそうな、取り返しがつかなくなりそうな、そんな恐怖心からみんな、口でももぎ取られたかのように黙ったまま、棒立ちに立ち竦んで四方屋敷を見上げていた。 そんな中、涼介がまたしても率先して動き、屋敷の正面に向かって歩いていった。一つの光を失って、見通すことができる範囲が狭ばり心許無い。 そう思った矢先、発作でも起こしたかと思うくらいいきなり、コバがきょろきょろと顔を振って辺りを見回した。その顔は怯えを抱いて引き攣っている。 「なんだよ急に」 俺はコバにぶっきらぼうにたずねる。 「なんかっ……なんか、いそうな感じがして……」 「なんかって何だよ」 「わかんないけどっ、なんか、」 なんかなんかを繰り返すばかりのコバとこれ以上の応酬は無駄だと感じた俺は何も言わずこのやり取りを終わらせようとした。が、今度はやまぶーが何回も後ろを振り返り、しきりと後ろの方を気にしはじめた。 「お前もなんだよ、やまぶー」 「今…ポキって音、聞こえなかった…?ほら、木を踏んだような…、」 「いや。別に。涼介が歩いてる音じゃなくて?」 「いやちがう。涼介がいる方じゃなくて……森の方から聞こえた気が、する…」 そう言ってやまぶーが指差した茂った木々を闇がのみ込んでいる樹海みたいな場所へ目をやる。が、俺はすぐに視線を元に戻した。 「気のせいじゃない?おれ聞こえなかったし」 「そう…そうか。コバがなんか居るとか言うから、ちっちゃなことが全部がそう思えてくるんだよ…!」 「まぁまぁ落ち着けって」 コバに八つ当たりしかけてるやまぶーを宥めていると、急に芦北が何かを振り払うように自分の腕や足を叩き出した。 「ちょちょ、芦北もなに!?」 冷静を装いつつもひくつく自分の頬を自覚しながら声をかけると、芦北はピタッと叩くのを止めて、のそっとこっちへ顔を向けた。 「…虫…」 そして、そうひと言。 「…あ、そう…」 想像していたものよりあまりにも軽くあっさりとした返答に、俺は拍子抜けしたような脱力感が全身に満ちる。自然の中にいるのだからその可能性もあった、とこの陰の空気に流され短絡的な考えに先走った自分を戒め、反省していた―――その時。 「ああぁぁぁぁぁぁ!!」 凄まじい大きな叫び声が物凄く近くから俺の鼓膜をつんざいた。 コバがうわっと悲鳴を上げ耳を塞ぎ、やまぶーは硬直、芦北は絶句したように口を両手で塞ぎ、瑞希は俺と同様亀のように首を縮めた。何が起こったのか理解できず、一瞬身動きが取れなかった。が、一拍遅れて、振り返り、そのしたり顔と対面して、瞬時に状況を理解する。 「やーいやーい、ビビってやんのー!!」 俺たちの顔を指さしながらご満悦に茶化し笑う健輔に、俺はドロップキックを食らわせたい気持ちになった。 「ふっざけんなよ」 やまぶーが眉間に皺を寄せて言った。同感だった。 「お前ほんっとバチ当たっかんな」 俺は指をさし返して健輔に釘を刺す。 「玄関からは入れない」 そのときちょうど屋敷の正面にまわっていた涼介が戻ってきた。懐中電灯の光がひとつ増え、明るくなり心強くなる。 「入るのっ…!?」 涼介の言葉に、耳を塞いでいるコバが素っ頓狂な声を上げた。 「逆に入らないって思ってたの?」 黒目を揺らし不安定な様子を見せるコバに、涼介は素っ気なく返した。 「鍵閉まってたの?」 やまぶーが何気なく涼介に訊く。 「いや。板が打ち付けてあって入れないんだ」 涼介が淡々と言った、屋敷の異様な実状に俺たちは絶句に近い感じで息を呑んだ。 「……入るなってことなんだよ」 「そうでしょ、普通に考えて」 身を竦ませ随分と弱気になってきてるコバに、涼介はあっさりと言った。 「易々と入ってくださいって玄関が開いてる廃墟なんてない」 涼介は前髪をかきあげながら付け加えた。 「入らない方が……いいよ」 「どうせなんも起きないって」 弱気な発言ばかり吐くコバに、やまぶーがあっけらかんと言う。 「起きるよ絶対」 「なんで断言できんだよ」 やまぶーは苦笑を漏らし訊いたが、コバは思い詰めたような目をして唇をもぞもぞとさせるだけだった。 理由なんてないんだ。ただコバは怖がって不安がってるだけだ。 「確認確認。一応な。せっかくここまで来たし」 俺は鼓舞するみたいに努めて明るい声を出した。 「嫌だったらここにいれば?俺らだけで行ってくるから」 やまぶーはコバにそう声をかけ、どっか入るとこあんだろ、とずかずか屋敷へ歩み寄って行った。やまぶーに臆する様子はなかった。 「勇ましいねぇ〜。何かいるかもしれないのに」 何かいるの部分を強調して、からかうような口調で健輔がそう言うと、やまぶーは足を止めて、こちらへ振り返った。やまぶーの顔はどことなく皮肉さを孕んだ余裕があった。 「俺、人間以外あんま怖くねぇんだ実は」 「人間は怖ぇんだ」 やまぶーに俺は少し笑いながら言った。 「あぁ。人間の方が怖ぇよ」 達観した笑みを俺たちに残して、やまぶーはまた屋敷の方へ歩き始めた。 やまぶーは妙に達観しているようなところがあった。俺たちがまだ見てもないまだ知らない何かを見て知っているような、人生二周目みたいな、そんな達観さ。やまぶーと出会ってたった三ヶ月しか経っていないけど、それを時折感じる。 「お前やっぱなんかあったな?なぁ?」 その達観した経緯を追求するみたいにして茶化しながら、俺はやまぶーの後を追った。そんな俺とやまぶーにつられるように、みんなぞろぞろと俺たちの後ろに続いてきた。 「おっ、ここ開いてんじゃん」 瑞希の懐中電灯がちょうど照らした先。誰かが覗き見てるんじゃないかと思ってしまう目の幅くらい開いている木製のドアを見つけたやまぶーが声を上げる。 「さすがにその幅では入れねぇだろ」 このドアには俺も気づいてはいたが、人が入るには幅が足りないと思って除外していた。 「もう少し開くかちょっとやってみろよ、やまぶ」 と一応言ってみたが、やまぶーはドアの近くで棒立ちになったままで動く気配がなかった。 「もしかして……ビビってる?」 「ビビってねぇよ」 俺の問いに、やまぶーは即答する。 「じゃあ開けてくれよ。その…目の幅くらい開いてるドア」 「なんかそういうこと言われっとよ、開けずれーじゃん」 「やっぱビビってんだろ」 やまぶーが二の足を踏んでいる所に、やっぱりと言った感じで健輔が介入してくる。 「人間以外は怖くないんだよな?」 と俺も畳み掛けるように訊く。 「あぁ…」 するとやまぶーはわかりやすく目を泳がせ、ひっきりなしに鼻をヒクヒクさせた。 「なっんだよその目と鼻!!びびってんじゃねぇかよ!!何が人間以外は怖くねぇだよ!!カッコつけやがって!!二度とそのセリフ言うな!!……ったく。どけ、俺が開ける」 やまぶーをさんざんなじった後、健輔は自信満々に息巻いてドアの隙間に自分のつま先を引っ掛けた。そしてその足で思いっきりドアを引いた。が、人ひとり分開いたところでガクッと止まり、動かなくなった。 「あぁ?なんだよ」 自信をへし折られ、機嫌を損ねた健輔は力づくで何とかドアをこじ開けようとする。 「やめろやめろ、壊れたらどうすんだよ」 「もう壊れてるようなもんだろ」 「一人入れるくらい開いたんだからもういいだろ」 他人(ひと)の建物を破壊している罪悪感からか、いつ間に小声なってそう言うと、健輔は意地を張ったようにこじ開けようとしていたのが嘘みたいに「じゃ、だれか入れよ」と潔くドアから足を外した。 「いやお前が入れよ」 誰が入るか、またしてもこの問題について押し問答が始まる前に俺は言い返した。 「いや〜入りたいのはやまやまなんデスがッ――」 とわざとらしい口ぶりで俺たちにそう主張すると、健輔はドアの隙間めがけて体を突っ込んでいった。が、健輔の体はその隙間の先の暗闇に行くことなく、ガンっと阻まれる。 「デカすぎて入れないんデスヨ。ざんねんながら」 と言いながら、健輔は額がドアの上枠に当たってしまって入れないでいる自分を、唇を尖らせたおどけ顔で俺らにアピールする。 「いや〜入りたかったな〜」 そう惜しむ芝居がかった口調とは裏腹に、顔は入れなかったことを喜んでいるように晴れやかだった。 なんかしてやりたい、という悪戯心が俺の中で疼く。 「横になってしゃがめば行けんじゃねぇの?」 俺は健輔に歩み寄りながら言った。 「いやムリだろ。こうやってしゃがんだら…ほら膝が当たって、今度はコレのせいで行けねぇ」 「そんなに曲げるからだろ。ちょっとしゃがんでちょっと曲げればなんとか行けんだろ。ほらちょっとしゃがめ」 そう俺が言うと、健輔は素直に少しだけ屈んだ。 「そうそう。んで――」 と俺はドアの上枠すれすれの位置にあった健輔の頭を鷲掴みして、 「こうやればイケるっ…!」 「いででででッ!!」 健輔を思いっきり隙間の向こう側に押しやった。 「アタマ!頭!頭が擦れてるぅッ!!火がッ!火がつくぅ!!」 が、横幅に合わせれば頭が、縦幅に合わせばやっぱり膝が当たってしまって通り抜けることができなかった。俺は、名残惜しく健輔の頭から手を離す。 「やっぱりムリか……」 「やっぱりムリかじゃねぇわ!!無理やりにもほどがあるわ!!熱っ!熱っ!頭皮熱っ!!ぜってぇ火つきかかった!!あぶなかった!!」 額の生え際辺りを手で押さえて健輔がギャーギャー喚く。 「オレの頭皮だいじょうぶッ!?なァ!?オレの頭皮だいじょうぶかッ!?なァ!?」 お披露目するように押さえていた手を外して、健輔は自分の額の生え際を俺に見せつけながら、焦った様子で詰め寄ってきた。俺は少し仰け反る。 「あー…大丈夫。ちょっと毛が無くなってるけど……あのーあれ、富士額みたいな感じだから」 「いや全然大丈夫じゃねぇだろ!!しかもなんだその引きつった顔!!そんな顔すんのおかしいだろ!おかんちがいだろ!!」 「おかどちがいだろ。おかん違いなのは当たり前だ。顔と性格を見ろ」 「どうでもいいわ!そんなコト!マジで…ふざけんなよ。これから青春ライフをエンジョイしようとしてんのに、毛が無くなってたらモテねぇだろうが!ハゲとデブとチビはモテねぇんだよ!」 「女が求める高身長はクリアーしてんだからいいだろ」 さらっとやまぶーが言った。 「まぁそれは…なぁ──って、そういう問題じゃねぇ!十三で育毛剤の世話になりかけてんだぞ!それがどれだけの悲劇かわかるか!?一生に一度の青春が台無しになるかもしれねぇんだぞ!一生生えてこねぇかもしれねぇんだぞ!!」 青春と髪に対する執念さを放射するように捲し立て、健輔は切実に訴えかけてくる。 「ハゲた十三の夏」 そこに涼介が真顔でぼそっとつぶやいた。 俺とやまぶーは思わず顔を見合わし、ブッと吹き出した。その直後、俺とやまぶーは口を大きく開けて大笑いした。 「おいっ!!おめェらなに笑ってんだよ!!」 そんな俺たちにつられて、涼介が鼻で軽く笑い、芦北も口に手を当て控えめに笑った。初めて見た陰気じゃない芦北だった。だけど――― 「テメェもなに笑ってんだよ!!殺すぞ!!」 健輔の脅すような物言いとあまりにもストレートに放たれた暴力性のある言葉に、芦北が突然シャットダウンしたみたいに笑みを消した。そしてすべての感情を消した無表情で、じっと健輔を窺い見る。 四方屋敷とはまたなんかちがう、芦北のなんともいえない異様に思える行動と表情に俺たちは不安を覚えながら芦北を少し奇異な目で見ていた。 「この…ちっさいドア、芦北なら入れそうじゃない?」 この空気を一掃する為とはいえ、少し調子はずれで強引な切り出しだなっと自分でも思った。 「一回、やってみる?」 けれど口に出してしまった以上、代わりになる気の利いた話題もない以上、引くことなんてできるわけもなく、俺は間髪を容れず、口のあたりをひきつらせてながら芦北に言った。 すると芦北はいつものおどおどしたような顔になり、抵抗もなく従順に半開きのドアに歩み寄り、ドアの隙間に自分の体を入れた。するり、と突っかかることなく芦北の体が半分だけ向こう側の闇に浸る。 「……入った」 自分で可能性を促したのに驚喜に似た声が出てしまった。 「芦北、身長いくつ?」 涼介が訊く。 「……155センチ」 芦北が絞り出すように答えると、それに触発されたように健輔が俺とやまぶーに訊いてくる。 「お前ら身長いくつ?」 「お前とかわんねーよ。やまぶーも」 「167センチか」 「俺も入るのは無理だな」 「やまぶーは完全アウトだろ」 「うるせぇ」 入れないことを自覚し大人しく黙っていたのに、というかのような表情を浮かべ、からかわれたことに機嫌を悪くするやまぶーを見ながら健輔はニタニタと笑う。 中身は同等またはちょいと下なのに、背丈は中学一年生にしては高い奴らばっかの俺ら。今までこの身長で俺は損したことはなかったけど、こんなとこでこんなものに損した気持ちにさせられるとは思わなかった。 「別のとこ探すしかないな」 俺らと同じく高身長チームの涼介が、半開きのドアに懐中電灯を当てながら独り言みたいにぽつりと言った。 「なるべくならドアから入りたいよなー」 「なんで?」 「変なとこから入るとムダに体力使わなくちゃいけないだろ」 ふてくされたように俺が言うと、やまぶーはあぁと同意したような納得したような声を出した。 「瑞希とコバは、そっちから入れるよな」 そう涼介に指摘された二人は、確かに俺たちより350ミリリットルの缶ジュース一個分くらい低かった。肩も女の子みたいに華奢で、あの身長と細身な体型なら涼介の言う通り、ドアの方から入れるだろう。 「じゃ、中で合流で」 そうコバたちに告げて、俺は新たな入口を探す涼介の後をついていった。 健輔とやまぶーも同じようについてきて、すぐコバたちが入れそうな半開きのドアの隣にあった、俺たちが余裕に入れるガラスの引戸を開けようと試してみたが、ガラス戸はビクともせず、まったく開かなかった。硝子の部分はところどころ誰かに石でも投げられたみたいに割れていたけど、残念ながら俺たちが入れそうな大きさではなかった。 諦めて屋敷の背面に回り込もうとちょうどした時、ちらりと振り返ってコバたちを見てみれば、芦北を先頭にドアの中へ入っていく姿が見えた。 こっちが先に中に入ってあの半開きのドアのところまで迎えに行かなくちゃいけないかもと少し心配していたが、どうやら杞憂に終わりそうだ。 「そこから入れんじゃねーの」 屋敷と草木に挟まれできた道を少し歩いてやまぶーが指差した先に目を向けると、そこには俺たちでも入れそうな大きな窓があった。 「風呂場みたいだ」 窓に少し近寄って、涼介が言う。 「風呂場にしては窓デカくね?」 「景色を眺めたかったんだろ」 やまぶーの疑問に涼介は淡々と応えた。 「ま、いいじゃん。跨げばいいだけだし。楽」 「入れるかどうかもわかんねぇのに?」 健輔の珍しく真っ当な発言に俺は苦笑する。 窓は割れてもいないし、人が通れるほどの隙間も開いていない。ピタリと閉まっている。屈辱を味わされたさっきのガラス戸と同じように。 「引けば開くんじゃねーの?」 「まさか」 健輔はおどけた調子でそう言うと窓枠に手をかけた。そうして、やるぞと俺たちに目配せを投げつけてから、窓枠を横に引いた。 すると――ジャリと音を立て窓は動き、一瞬突っかかったものの、スルスルと窓は簡単に開いていった。 「開いた」 「開いたわ」 呆気に取られて漏らした俺の言葉を健輔が同じく呆気に取られたさまで確認するように繰り返した。 健輔は恐る恐る開かれた窓の向こうに顔を少し入れ覗き込む。が、「うわっ、カビくせぇ」とすぐくしゃくしゃに歪ませた顔で引き返してくる。 「早く入れよ」 「うるせぇな、言われなくても入るわ」 淡白だがたきつけるように言ってきた涼介に、健輔は巻き舌でそう言い返し、一瞬だけ躊躇した間があったが、俺たちの中で一番最初に屋敷の中へ足を踏み入れた。その後をやまぶーが入り、涼介が入っていく。 そうして一人ひとりと中に入っていくたび、どんどん俺の動悸が激しくなっていった。今頃になって、だ。 興奮なのか、緊張なのか、恐怖なのか、なんなのか。 正直紘斗を探すっていうのは建前で、心霊スポットに浮ついてる自分がいた。してはいけないと禁止されてることをする背徳感、何かが身に降りかかってきそうな怖さ、仲間とわいわい過ごす楽しさ、親の干渉や日頃の患っているものからの開放感、日常じゃなかなか得られない刺激に惹かれる自分の享楽的な部分に抗えず、郷に入れば郷に従えの空気に流されかけて、俺はどこか遊び半分で屋敷へ入ろうとしている。 その反面、みぞおち辺りで、おしっこをかけられたミミズがのたうちまわっているような、小さく嫌なざわつきを感じていた。 そんな気持ちの悪い狭間にいた。 いつも、狭間に。 それでも、順番が来て、そんな小さなざわつきも蔑ろにして、俺も、屋敷の中へ足を踏み入れた。
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