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健輔の言ってた通り、苦労せず跨ぐだけで中に入れた。そして健輔が言ってた通り、カビ臭かった。
でもそれも納得だ。光が当たってる範囲で見える、檜風呂らしきものが黒カビや緑藻にべったりとこびりつかれて触れば病気にでもなりそうなくらい腐食していた。
きっと人が住んでいた頃は屋敷の自慢のひとつだったろうに、その頃の栄光は見る影もなかった。
そんな中、カビの栄養分の宝庫の風呂場だからか、風が吹き抜けることができないほど密閉されていたからか、雨が降った後みたいにジメジメしていて、なんだか湿った厚い膜みたいなものに全身はりつかれているような感覚に襲われていた。
「早く出ろよ」
「わかってる押すなよっ」
やまぶーに急き立てられ、健輔は涼介が照らしてくれていた脱衣場へ飛び移る。
風呂場は余裕のある広さだったが、さすがに男四人でいると圧迫感を抱く。さっきと同じ順番で脱衣場に移っていき、そんな圧迫感から解放される。
そしてそのまま脱衣場を出ると――“死”という赤い文字が俺たちを出迎えた。
「縁起わる」
剥がされたみたいに破れ、ブラックホールみたいな穴があいた襖に浮かぶ赤文字を見ながら、やまぶーが言い放つ。
「落書きだろ」
顔には出さないがみんな少したじろかせられた死という赤文字を涼介だけは重く受け止めたり、相手にもしたりせず、すぱっとそう潔く切り捨てた。そして怖気付くことなく、道なりに廊下を進んで行った。
そんな勇ましい涼介につられ、俺たちも、おどろおどろしい“死”と書かれた襖から目を外し、慎重に先へ進んだ。
歩くたびにきぃきぃと不気味に床が鳴く。
「なんも見えねぇな」
健輔の言う通り、屋敷内は外よりも闇が濃かった。懐中電灯の光が負けて、少しだけ闇にのまれかかっているほど。この屋敷の間取りなんて当然知らないし、闇に包まれていて、自分が今どこを歩いているのかわからなかった。
だけど懐中電灯が左右に振られ時折見える、いくつか並んだ両脇の和室に、崩壊しどこからか落下して折り重なった長短で不規則形な木片や木くずが、どこからやってきたのか不明な石ころと瓦礫が、誰かが侵入した形跡の缶ビールや瓶などが散乱していた。
そんな荒廃した状態なんて入る前からある程度予想できたものだったけど、右手側の広々とした和室に、高そうな壺らしき骨頂品やひっくり返った座椅子、老舗旅館にありそうな彫刻を施した立派な大きい座卓が置き去りにされたようにそこにあって、まるで夜逃げの抜け殻のような感じを受けた。
奥にはぼろぼろに破れた障子が佇み、縁側を挟んだ向こうには、さっき俺たちが敗北を喫したガラス戸があった。
「居間か」
そんな夜逃げ部屋を懐中電灯の光で撫で回しながら、涼介がぼそっと言う。
「あれ、ヤバくね?」
そんな涼介の隣で同じように部屋の中を見回していた健輔が、眉をしかめ、部屋の隅に目をやっている。
「なにが?」
「あの掛け軸のとこを見ろ!」
「掛け軸のトコ?」
「お前見えなかったのかよ!?アレだよアレ!人形!」
誰かに気づかれないように声を少しひそめながら、健輔が部屋の隅の方を指さす。そこを涼介が気を使って照らしてくれた。
その懐中電灯の光を辿っていくと、豪快に左右に開けっ広げられた両開きの大きな襖の横にある、鶴の掛け軸が飾られている床の間に、ぽつんと、赤い着物を纏い、まっすぐ切り揃えた長い黒髪を垂らした日本人形が一体だけ立っていた。
「なんであんなとこに一体だけ?ケースにも入ってねぇし」
「ヤベェよな?なんかヤベェよな?」
健輔が早口でまくしたてる。
周りの物は時間と共に静かに朽ちていってる中、その日本人形だけは時間が止まったようにやけに小綺麗なままで存在していた。見るからに異質だった。
無表情の白い顔で部屋の一点を見つめているその日本人形は、この怪奇屋敷と相まって、なんだか気味が悪かった。
「突然動き出したりして」
ぼそりと、やまぶーがそんなことを言う。
俺と健輔は弾き飛ばされたように同時にやまぶーの方へ顔を向ける。
「おいやめろよ…!」
「おらおら早く!早く行け!」
健輔はやまぶーの背中を突き飛ばすように押して急かし、異様な雰囲気を放つ日本人形がいる居間を早く通り過ぎようとする。
そうしてまた俺たちは長い廊下を歩き始めた。この屋敷に入ってもう何分経ったんだろう。埃なのか、カビなのか、呼吸を重ねるたびに鼻のむずむずが酷くなってきて、もう紘斗のことはいいから早く屋敷から出たいと言い出したくなった――そのとき。
「うわっ!!」
心臓をわしづかみされたような叫び声と弓矢の矢を同時に十本折ったようなポキポキポキと云う派手な音が突然暗闇に響き渡った。そして、俺の前にいたやまぶーがいきなりストンと十センチくらい縮んだ。
「痛ってぇ…」
軋み続ける床に、誰かはそういう目に遭うだろうと思っていたけど……なんとなく予想した通り、そんな目に遭ったのはやまぶーだった。
そのわがままボディの重さにメンテナンスを受けてない床は耐えられなかったんだろう。やまぶーは、腐敗しきった床に片足を食べられていた。要は、落ちたのだ。ドッキリのように床が抜け落下したのだ。
「何やってんだよ。ビビらすんじゃねぇよ。日本人形の祟かと思ったわ」
何もしてねぇのによ、と健輔は不服そうに少しだけ口を尖らせる。
「俺は心臓がひゅっとなった。やまぶー大丈夫か?」
俺は自分の胸に手を添えながら、やまぶーに近寄り、空いてる方の手を貸す。そこにやまぶー自身も踏ん張り、ふたりの力を合わせて落ちた床の穴から抜け出そうとするのだか、なかなか抜けなかった。
「何やってんだよ。ほら手貸せ」
健輔も加わり早々とやまぶーを引っ張るが、俺たちの引く力よりやまぶーの体の重さが勝っているのか、二人がかりでもやまぶーを助け出せなかった。
「っなんだよ!クソ重」
上手く引き上げられない無力な自分となかなか上がらない重量があるやまぶーに苛立った健輔は、投げやりにやまぶーの手を離す。
やんわり心が折れかかってる俺たちを見兼ねた涼介が懐中電灯を俺たちの方を照らすように置いて、やまぶーの背後に回り込み、脇の下に腕を通した。
「いちにのさんで引き上げよう。呼吸合わせて」
「指図すんなっつうの」
失いかけた俺たちのやる気を鼓舞してくれた涼介に対して、減ることのない悪態をついて、健輔はもう一度やまぶーの手を取り握る。
「いくよ……いちにのさんっ!」
涼介の声に従い、俺たちは一丸となってやまぶーを引っ張り上げる。
するとさっきの苦戦が嘘のようにすっぽりと穴からやまぶーの足が抜け、やっとやまぶーを助け出せた。
「あんがと」
やまぶーが少し恥ずかしそうに顔を下に向けて、ボソッと礼を言う。
「ったく手間取らせんなよ」
そんなやまぶーに、健輔は相変わず他者の思いなどそっちのけな愚直さだった。
「足大丈夫か?」
「あぁ…なんとか」
とやまぶーは言うが、涼介が懐中電灯で照らしたやまぶーの足には一筋の血が滴っていた。
「血出てんぞ」
「あぁ大丈夫大丈夫」
俺が指摘すると、やまぶーは隠滅するように自分の足に滴ってる血を袖で拭き取った。
「一つ言いたいことがあるんだけど、言ってもいい?」
突然の涼介の許可取りに、俺たちは一斉に涼介の方に目をやる。涼介はいつもより真意を探れない少し冷たさを感じる澄まし顔で、やまぶーをじっと見ていた。
そんな涼介に、目配せや小刻みに頷いたりして許可を出しながら俺は、深刻なことだろうか、と少し身構えた。そうして涼介は自分の袖をつまみ上げ、こう口を開いた。
「脇汗かきすぎじゃない?俺の袖ありえないほど湿ってるんだけど」
「……しょうがねぇじゃん。熱いんだから」
やまぶーは込み上げる恥ずかしさを隠すようなぶっきらぼうになり、脇汗かよ、と俺が呆れ混じりの拍子抜けしているところに、健輔が割って入ってくる。
「おい、その汗が邪魔してなかなか引っ張り出せなかったんじゃねぇの!?この汗っかきブタが!」
健輔は感情任せにやまぶーの頭を叩いた。そして健輔はさらにやまぶーに攻めかかる。
「床が抜けて落ちたのだってぜってぇその汗のせいだわ!!」
「いやそれは関係ないだろ。ただ床が朽ちてただけだろ。ただやまぶーが重かっただけだろ」
「え?悪口?」
健輔の妄言、俺の正論、やまぶーの素朴な問い、涼介の距離を置いた沈黙。それらにより、何とも言えない空気が俺たちの間を惰性に流れた。
このまま流れっぱなしかと思っていれば、俺たち以外から発生した床が軋む音に一瞬でその空気は破裂し、俺たちは一斉に互いを見合い、一斉に音のした方へ振り返る。するとすぐに眩い光が俺たちの網膜を突き刺した。思わず目をつぶって顔を背けるが、ゆっくりと目を開けながら顔を戻すと、
「……瑞希」
懐中電灯の光を床に下げた瑞希が同じ廊下に立っていた。その後ろには不安げな顔をした芦北とコバもいた。
「入ってこれたんだな」
そう声をかけ、俺たちは瑞希たちの方へ歩み寄っていく。
「あのドア、キッチンに繋がってやがったのか」
そう言った健輔と同じように俺も居間の隣の部屋を窺い見る。居間の隣の部屋は流し台やガスコンロ、食器棚と台所らしき場所で、そこの片隅に僅かに開いたドアがあった。俺たちは拒絶され、瑞希たちは受け入れられたドアだ。ごみ出しなどに使われていた勝手口ってやつだろう。
ところどころ落とし穴のように床の底は抜け落ち、タイルは剥がれ粉々に散らばり、鍋や食器など台所と関連する残留物が好き放題転がっていた。おいしそうな匂いが漂っていたであろうそこも今は不快なカビの泥臭い匂いと埃が漂っているだけだ。
そんな部屋を通り抜けてきた一人、コバが眉間に皺を作り、前かがみで横腹に手を当てていることに俺は気づいた。
「コバ、どうしたんだよ。そんな横腹押さえて」
そう俺が声をかけると、みんなの視線がコバに集まる。
「なんだよ腹痛てぇの?うんこ?漏らすなよ。トイレ行け」
健輔が煩わしいそうに言った。
そんな健輔に俺は疑問をぶつける。
「どこにトイレあんだよ」
「そこら辺にあんだろ。家なんだからよ」
「あっても使えねぇよ」
「なんでだよ」
「水が出ねぇじゃん」
「あ、そっか。じゃムリだな。我慢しろコバ」
健輔はあっさりと言った。そんな健輔に「ちがうよ、トイレじゃない」とコバが弱々しく否定する。
「さっきドア通り抜けるとき、クギかなんかが出てたみたいで……」
「擦ったの?」
「…うん」
「血出てる?」
「たぶん…出てない。ヒリヒリするだけ」
「あとで消毒した方がいいな。大丈夫?」
服に擦れて痛みが生じるのか、釘で負傷した横腹の辺りの服をつまみ上げるコバに涼介が訊く。
「うん……たぶん」
「ご愁傷さまだな、コバ」
先に言った瑞希はなんもなかったのに、と自分一人だけ釘の餌食になってしまった理不尽さに打ちひしがれているコバを俺は励ますように背中を軽く叩いた。
「芦北も怪我したの?」
やまぶーの声で俺は芦北の負傷を知る。見てみると、芦北は不自然に指を一本だけ立てて、やまぶーの方に顔を向けていた。
「…え?」
芦北が戸惑った声をか細く発する。それに伝染するようにやまぶーも戸惑ったような態度になる。
「いや…指先ばっか、見てるから…」
「…あ、うん……ちょっと、キッチンの台に…手かけたら、スパッと…なんかで切れた、みたい……」
芦北は立てた自分の指先をビクつかせながら言う。
「流血事件多発だな」
健輔は呆れたようにそう吐き捨てると怪我人たちから視線を外し、日本人形がある居間をなにかを探すように見回した。
「そういやお札がいっぱい貼ってあるとか言ってたけど、お札なんてどこにもねぇじゃねぇか。アイツらデマカセ言いやがったな」
なんでそんな思い出さなくてもいいことを一番思い出して欲しくない場所で思い出すんだこいつは、と恨みにも似た感情を持った時だった。
「こっちに、お望みの物あるぞ」
涼介がそう言ってきたのは。
涼介のどこか張り詰めた声に、胸騒ぎを潜めながら、俺たちの顔は一斉に“ある部屋”へと向かう。
廊下を挟んでキッチンと居間の向かいにある左側の、八畳ほどの部屋を二つ繋げたような、十六畳くらいの奥行きがある和室。
その室内の壁を涼介の懐中電灯の光が這っていく。涼介の言葉通り、居間にはなかったのにその部屋にだけ、その部屋の壁にだけ、右も左もどこもかしこも無数のお札が壁を埋め尽くすように貼られていた。
「なんだ、ここ……なんで、ここだけ……?」
健輔は室内を見回しながら、ぽつぽつとうわ言のようにつぶやいた。
「あれ、なに?」
涼介の訝しげな声に、唖然としながら室内の壁へ向いていたみんなの顔が一斉に涼介へ集まった。が、それも一旦のことで、自然と俺たちの目は涼介が注いでいる視線の先へ流れていく。
「なんだよ、あれ」
健輔が、同じ言葉を重ねた。
みんなの視線はある一点に釘付けになっていた。
お札が貼りつけられた部屋の中央に、ぽつんと、だけど異様な存在感を放ちながら静かにある、白い布らしきもの。
「なぁ……慧人。あの、網」
涼介の言葉に、俺は白い布らしきものに吸い寄せられていた目を、涼介が向けている視線の先へ動かす。
「あの網って……弟くんの、ものじゃない?」
微かに震えた声で涼介にそう言われた瞬間、それを見つけた瞬間、ざわざわざわっと全身に鳥肌が立った。激しく脈打つ心臓と併走する形でヒステリックに掻き鳴らされ甲高く叫ぶヴァイオリンの旋律みたいな警報がけたたましく俺の中で鳴り響く。
白い布の近くに、持ち手部分の棒が真っ二つに折れた魚をすくい上げる玉網が落ちていた。よく見えないが、色といい、形といい、あれは、紘斗が遊びに出掛けた時に持っていた玉網と似ていた。
「なんかキラキラしてね?」
「キラキラしてんな」
健輔の指摘にやまぶーが同意する。
健輔の言う通り、白い布の辺りは真夏の太陽の光を受けてきらめく海面のようにキラキラと短く光っていた。
「なんかモッコリしてね?」
さらに健輔が指摘する。
涼介の懐中電灯の光に、瑞希の、懐中電灯の光が重なり、それはさっきよりも煌めきを増して際立ち、そして鮮明になる――白い布は、小山のようにわずかに盛りあがっていた。
俺の中で確信めいた予感が、確実な予知に変わっていく。警報が、酷くなる。
俺は何も言わず、ふらりと軽く身体をよろめかせながら、おもむろにその部屋に入っていった。
「おいっ」
健輔の少し驚き慌てた声が背後から飛んできた。
それでも俺はその白い布から目を離さず、足を畳に擦らせながら、一歩一歩、ゆっくりそこへ近づいていった。そうして、細かく散らばった硝子のようなものに囲まれた白い布の前で立ち止まる。
白い布は、ところどころ煤けたように薄汚れていた。複数の足音が俺を追って、近くでやむ。
「おいっ。一体なんなんだよ、それ」
健輔が苛立ったように俺に尋ねた。
俺は答えなかった。
短い呼吸を鼻でせわしく刻みながら、瞬きもせず、それを凝視する。
そして、俺は、その白い布の切れ端を、震える親指と人差し指、二本だけの指先でつまんで、少し持ち上げ、ゆっくりとめくっていった。
ナニカ、が見えてきて、
「はっ…」
俺の真横で芦北が喉につっかかったような悲鳴を上げた。
俺は、息をのみ、手を、止めた。
白い布の下にあったのは、眠たそうにうっすらと目を開いた紘斗の顔だった。
本当に時間が止まってしまったような、
俺と紘斗、二人だけになってしまったような、
そんな錯覚をしてしまうような、絶句の無音が一瞬にして俺を押し覆う。
横向きで胎児のように体を丸めた紘斗を、俺は何も出来ずしばらく見つめつづけた。その間、誰も口を開きはしなかった。
俺は二本指でつまんでいた布を離し、そろりと伸ばして、紘斗の手のひらを指先でとんとんと突いてみる。反応は、ない。
今度は紘斗の手に自分の手を覆いかぶして軽く揺すってみる。触れた紘斗の肌は冬の風にさらされたかのように冷たかった。
「…ぉい、ひろと…」
名前を呼んでも、紘斗はピクリとも動かない。
「……おい!紘斗!」
さっきより声を張って、紘斗の肩をつかみ、さっきより少し強く揺すった。だけど、切迫した俺の手の動きに合わせて紘斗の体は軸を無くしたように揺れ動くだけだった。
「おい!!紘斗!!」
怒鳴りつけるように名前を呼んで、しきりに揺するが、薄く開いた瞼の間にある瞳は動かないし、俺を映すこともない。
それでも俺は懸命に、乱暴に、紘斗の体を揺すった。揺すり続けた。
「なぁ!!紘斗!!」
「無駄だよ、慧人」
涼介の声が、手厳しく諭してくる。
もうとっくに分かってることから目を逸らそうとしている俺を直視させようとする。
俺の手が、揺するのをやめる。
「もう……、死んでる」
目の前の事実を、言葉となって突きつけられ、俺は、空気を留めておいてくれた小さな部分を無くしてしまった自転車のタイヤのように体から一気に力が抜けていき、その場に尻もちをついてしまった。ギィっと、床がないた。
その直後だった。
「うわぁぁぁああああ!!」
後ろにいたコバが奇声のような悲鳴を上げた。
こんな状況じゃなかったらうるさいと健輔に怒鳴られそうな、尋常じゃない、精神が崩壊してしまった際に出すような、恐慌状態な絶叫だった。
ドスンという音と共に振動が尻に伝わる。俺と同じようにコバも腰を抜かしてしまったのだろう。
「マジかよ……」
健輔もこの状況を信じられない様子でつぶやく。
顔を覆った指の間から見える、眠気が押し寄せていたときによくしていた、その瞼を半分落としかけた、紘斗の力ない目。
薄い狭間から覗く、紘斗の真っ黒な双眸は、跳ねたり、潤んだり、尖ったり、そんな生命の宿りはもうなかった。
自分が死んだことも自覚できていないで、ここではないどこかを、虚空を見つめているだけだった。
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