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前触れの夏
「たしか一家心中したんだよな」
中学生たちの日常会話には非常連な単語に、俺は窓枠に切り取られた外の世界から、頬杖を突いたまま、エロ本に群がるように野郎たち四人が集まっている斜め後ろの席に視線を流した。
「ちげぇよ。借金返済のために父親と母親がなんたら保険をかけてた息子と娘を殺して、それから父親が母親を殺して、んで自分も死んだんだよ」
短髪の毛先をハリネズミのように鋭くツンツンと立てた、いかにもオレやんちゃしてますっていうのを隠そうともしていない岸谷健輔(きしたにけんすけ)が、もっともらしく眉間に皺をつくり、意気揚々とした顔で言い放った。やっぱコイツは馬鹿だ、と俺は思った。
「だからそれが一家心中って言うんだよ。つか、なんたら保険ってなんだよ」
「借金返済のために息子たち殺してんのに最後自分も死ぬって意味わかんなくね?」
健輔の間違いをすかさず真っ向から指摘した友人たちに俺は賛辞を送りたい。
「あんなデカい屋敷に住んでる金持ちなのに借金とかすんの?」
「あーうるせぇうるせぇ!細けぇことどうでもいいだろ!」
健輔は駄々っ子のようにブンブン片手を振り回し、怒鳴り、自分の間違いを濁そうとする。
「俺が聞いた話だと、解離なんたらの障害を患ってた息子が精神的におかしくなって自分の家族や近所の人間を殺し回ったって」
「お前もなんたら障害ってなんだよ。やめろよ、なんたら使うの。健輔みたいに馬鹿に見えんぞ」
「おいテメェ、ケンカ売ってのか」
なんたら使い反対派の友人に詰め寄る健輔をよそに、友人の一人が椅子から尻を浮かせて、どこにそんな高ぶらせる要素があったのか、少し興奮気味に話し出した。
「あ、それおれも聞いたコトある!事件が起こる数ヶ月前から物色するように夜中近所中を虚ろな目で徘徊してたんだろ!だから、ほら!今も徘徊してる男の姿が夜中に目撃されてんじゃん!」
「あぁ…たしかそんな徘徊の噂あった。ここ最近よく聞かね?」
「マジ聞く!北側ら辺らしいよね、出るの」
「おいやめろよぉ…オレの家、北側だぞ」
「ご愁傷様です。おれ東側なんで」
「手ぇ合わせんなバカ。東側に出ろ今度は東側に出ろ」
やめろーと東側に家がある友人が北側に家がある友人の首をしめて揺さぶり、現実化しそうな呪言を止めようと試みる。
そんなヤツらの姿を見届けてから俺は窓の向こうへまた視線を戻した。コイツらは本当に“この話”が好きだな、と半ば呆れと半ば愉快でなんだか口元がゆるんだ。
この町――四方町の北側にある山の中に“四方屋敷”と呼ばれる廃墟がある。山中にポツンと佇むその屋敷は、この町の住民なら誰でも知ってるこの町ゆいつの有名な心霊スポットだ。家族が借金を苦に一家心中したとか、精神障害者の息子が一家惨殺したとか、屋敷に住んでいた家族が町の住人を殺し回ったとか、殺された住人の死体が敷地内に埋められていてその幽霊が出るとか、笑い声が聞こえるとか、足音が聞こえるとか、大きいものから小さいものまで様々な怪奇現象が起こったり諸説あるが、どれが嘘でどれが本当なのかは分からない。けど、共通するのは、町を代表する大地主一族であり、四人家族で兄と妹がいた、ということだけ。何故かそれだけは老若男女だれに聞いても必ず一致する。それが逆に恐怖と不気味さをより一層引き立たせてる。
俺は頬に添えた手を少し動かして、また深く頬杖をつく。
徘徊する男が北側に出るなんて知らなかった。そんな噂が耳に入らないほど興味がない俺がおかしいのか、そんなくだらないものに興味を持てる余裕があるコイツらがおかしいのか。まぁ、どっちでもいいや。
視線の先。さわやかな風ひとつ入ってこない開けっ放しの窓の向こう。憂鬱な梅雨を越え威勢のいい夏の日光を受けた、広大な校庭の少し黄みかかった白い練色の砂や桜の花を咲かせていた律儀に並んでる大木に繁った青葉からの照り返しは凄まじく、外の世界はギラギラと鋭く輝いていた。
生命力と熱を蔓延させたそれはむやみに明るくて朗らかで、あまりににぎやかでまぶしくて、おれは思わず目を細めた。ああ、蝉が忙しく鳴いている。
俺たちを閉じ込めるための柵の向こう側にも見慣れた田園が広がっていて……どこもかしこも緑、みどり、ミドリ。濃厚な緑色にのみこまれている。
もう夏が来ているんだ。意味もなく調子づいて、浮かれて、騒いで、無謀になにかしたくなって、踏み外しそうになる、誘いの夏が―――。
「でも家を一周すると願い事が叶うらしいよ。肝試しに行った友達の姉ちゃんが玉の輿にのってセレブなってるもん。ただし一人で誰にも見つからないことが条件」
まだ屋敷の話は続いており、有難いのか有難くないのか判断しずらい友人の情報提供に、他の奴らは無理ーという合唱で応えた。
「部屋のあちこちにお札が貼られてたらしいけど、まぁ大丈夫しょっ」
「いやなにが。なにが大丈夫なんだよ」
「お札貼られてて大丈夫って笑顔で言えるお前の神経疑うわ」
「おい、その大丈夫って立ててるちっせぇ親指へし折んぞ」
健輔の威嚇にうわっ怖っと声を上げる情報提供者に、俺はすぐ親指を仕舞えと心の中で助言した。
「やっぱあそこ何かあんだな。よーし、今日ちょっくら行ってみっか。行くよな?お前ら」
やばい、健輔の悪ノリがまた始まった。
「改装しようとするたびにその改装工事に関係してる人間が相次いで不審死するようないわくつきなとこだよ。行くわけねーだろ」
案の定、友人から即不参加の返事を叩きつけられた。だが、たった一回で諦めるほど健輔は聞き分けのいい男じゃない。
「それがなんだよ!お前らそんなことでビビってたらこの先、生きていけねぇぞ。工事するヤツらは壊そうとしたから死んだだけで、行くだけで何もしねぇ俺たちなら何もねぇかもしんねぇじゃん。こんなとこでビビって行かねぇとか、男として恥ずかしくねぇのかよ!な、行くよな?な?な?な?」
無理強いにもほどがある。圧力を持って参加を迫られた友人はこれをどう切り抜けるのか、と聞き耳を立ててみれば。一呼吸するように一瞬静まったあと。
「ボク、今日から夏期講習がありまして行けまセン」
「ウソつけぇえ!!おまえ塾なんて行ってねぇだろうがッ!堂々とウソつくんじゃねぇ!夏期講習が夏休みにやるってオレ知ってんだかんな!まだ夏休み前だろうが!塾行ってねぇけど知ってんかなソレだけは!!ハイ!おまえ行くの決定!」
すぐバレる嘘をついて、友人ひとりが健輔に屋敷探検同行メンバーの判を強制的に押された。墓穴を掘った形だ。えぇーとすぐに友人の不服の声が上がった。そんなに行きたくなかったなら確実に騙せる嘘をつけよ、と俺は心の中でつぶやく。
「お前も行くよな?」
一人目を仲間に加えた健輔は二人目の友人へ矛先を移した。これは全員行くとなるまで終わらないパターンだと察する。
「大変行きたい気持ちはあるのですが……残念ながら今日塾があります!」
「おまえ――はホントだな!お前は塾行ってんもんな。しょうがない免除」
健輔から屋敷探検同行メンバーからの免除を言い渡された友人は、よしっと勢いよく大きな声を上げた。きっと拳でも突き上げているんじゃないだろうか。行きたい気持ちなんてねぇじゃねぇか、本心が出てるわと口には出さずツッコむ。うまいこと切り抜けたな。同じ“塾”を使ってここまで結果がちがうのも笑える。そしてまた健輔の矛先は別の友人へ移る。
「お前…」
「兄に頼まれた漫画を買いに行かなくてはならないという重要な任務が……」
「そんなのはいつでもできる!ハイ!行くの決定!」
「なんでだよ!!塾と同じ重要な任務じゃねぇかよ!!」
すかさず抗議の声を上げるが、「お前が拒否しても俺が決定って言ったら絶対決定なんだよ」とまるで決めゼリフのように健輔は言い放つ。独断的な暴君だ。教室に残らずさっさと帰っていれば、こうして健輔の悪名高い気まぐれに巻き込まれることもなかったのに。不運な犠牲者二名。
「まだ帰ってなかったの?」
いや、三名になった。
突然教室に入り込んできた男にしては少し甲高くてどこか不安定さを感じるこの声。誰なのかは振り向かなくてもわかる。小林陽平(こばやしようへい)だ。
「おお!コバ!いいとこに来たな!」
うきうきと弾んだ健輔の声が響いた後、バシバシという音が耳に届く。どうせ健輔が逃げられないようにコバの肩に腕をかけてコバの二の腕でも叩いてるんだろう。いつものように。あぁかわいそうに捕まってしまった。これでもう逃げられないだろう。そうしなくてもコバは逃げないだろうけど。
「…な、なに?」
「お前も行くだろ?」
「どこに…?」
「言う前に、行くだろ?」
「どこに行くか分からんないのに…行くとか言えないでしょ」
「いやいやいや言える。言ってくれるよな、コバ?ひとまず!ひとまず行くって言え」
「ひとまず…?」
強めな口調にコバが怯むような気配がした。
「そうひとまず」
「じゃあ…行くよ」
「ハイッ!!四方屋敷に行くの決定ッ!!」
ぱんと手を打つ、弾んだ音が教室に響いた。
「四方屋敷!?ちょ、ちょっと待った!!四方屋敷ってアノ四方屋敷!?」
コバはわかりやすく取り乱した。
「お前がどこの四方屋敷のこと言ってんのかわかんねぇけど、四方町お住みの方ならだれでもご存知のあの四方屋敷のこと言ってるよオレは」
「最悪!!マジ最悪!!行かない!おれ行かないからッ!!四方屋敷なんてぜったい!!」
「行くって言ったべや。草部と鳴川も行くから」
「行かない行かない!!あそこがどんなとこだかわかってる!?最悪死ぬんだよ!?おれ死にたくない!!」
絶対行かない、と早口で何度も何度も繰り返し、コバは屋敷に行くことを全身全霊で拒否した。
「ったく、ビビりだなあテメェは。あ、だからいまだにおねしょしてるのか」
健輔はこんな風によく人の心を顧みない言い方をすることがある。
誘いを拒否されたことが悲しかったのか、思い通りにならないことに苛立ったのか、正確にはどちらかわからないが、どっちにしろなんでそういうことを言ってやるんだと思うことがある。けして悪いとこばかりの奴ではないんだけど……下唇を噛んで俯いているコバの姿が想像ついてしまうから複雑な気持ちになる。
「慧人、お前は行くよな?」
そんな悪夢な誘いは、ついに俺のとこにやってきてしまった。
いきなり腕を掴まれ、鈍い痛みが突き抜ける。「痛っ」と思わず声を漏らせば「あ、悪ぃ」と健輔がすぐ俺の腕から手を離した。
「一昨日から二の腕痛てぇってずっと言ってんじゃん」
窓から振り向き、不意打ちの痛みの襲撃に不機嫌さ満載の顔で文句を言えば、「わりぃわりぃ。忘れてた」と健輔は顔の近くで手刀を立てて謝った。
「その前は足が筋肉痛だとか言ってたよな。お前なにしてんの?」
「何もしてねぇよ。いつの間にか痛てぇんだよ」
「んなわけあるか!思い当たる節あるだろ。お前まさか……行きたくないからって嘘ついてんじゃねぇだろうな!?二週間前からこうなること予想してやってたんだろ!!」
「バカか。予想できるか。なんでそこまで用意周到に対策しなくちゃいけねぇんだよ。期末テストじゃねぇんだよ」
腕は痛いわ、意味不明な疑惑をかけられるわ、意味無く怒鳴られるわ、一気に理不尽すぎるだろ。俺は声には出さず口の中で文句をたれながら痛みに痺れる腕をさすった。
「じゃあ行くよな。聞こえてただろ?屋敷に行くの」
「ボク、このあと琴のお稽古が…」
「舞妓か!もっとまともなウソつけ!なにがボクだよ。ったく。行けない理由ねぇんだから行くよな?ヒマだろ?ハイ決定!!」
「勝手に決めんな。返事してねぇだろ。残念ながら行けねぇんだわコレが」
「なんで行けねぇんだよ。理由を言え理由を!」
「行けねぇんじゃない……行きたくない。ただ、それだけ」
真正面に、ストレートに、正直に、そう言えば、健輔はたじろぐように口をへの字に曲げるだけで、何も言い返してこなかった。こういうタイプは意外にストレートパンチに弱いことを俺は知ってる。
「どいつもこいつもビビり野郎ばっか……あ」
俺に対し諦めモードに入りつつある健輔が、新たなターゲットを見つけた。
「瑞希、お前行かね?」
健輔の視線の先には、教室のドアの前で、小さな体に釣り合ってない登山用みたいな大きいリュックサックを背負った仲村瑞希(なかむらみずき)がいた。
「パッと見弱そうだけど意外にガッツありそうじゃんオマエって。ハイッ仲村瑞希、屋敷探検同行メンバーに決定!!」
と、勝手に決められた瑞希は、ぎゅっとくちびるを噛み締め、健輔に向かって精一杯首を振った。明確な拒否だった。そしていつも首に下げている竹型の笛を口にくわえ、全力で吹いた。甲高い音が教室中に響く。
「ピピピーピピー、ピーピーピーピー、ピーピーピピーピ」
「あーそうかそうか……って、わかるかっ!!長ぇよ。ムダに長ぇよ。よく息続くな」
健輔と同じく、何と伝えてきたのか俺にもわからなかった。解読できず頬を引き攣らせ困った顔をするだけの俺たちを上目遣いに窺っていた瑞希は、意思疎通ができないことを知り、力なく目線を下げていくのと同時に笛を口から離した。そのとき。
「神輿作りがあるから行けないって」
一本調子の落ち着いた声が、気まずさが漂う教室に滑り込んできた。
「出ぇたぁ~」
と言い、健輔は登場した人物―――茅野涼介(ちのりょうすけ)にあからさまに嫌な顔をした。
「いたんだ」
思わずそう俺が声をかけたら、「先生に頼み事されて」とクールに返され、教室のドアから自分の机に颯爽と歩いていった。
「なんでおめぇはあいつの言ってることがわかんだよ。いつもいつも」
涼介はちらっと健輔の方へ目をやったが、巻き舌混じりの健輔の問いには応えず、瑞希に帰ろうと声をかけ鞄を片手に教室を出ようとした。
「おい、待てよ。無視すんじゃねぇよ」
そんな冷たい対応をする涼介に健輔は少し憤慨気味で、涼介を呼び止めた。すると涼介は足を止めて、煩わしそうにその端正な顔を健輔の方へ向けた。
「人に応えてもらいたいなら、それなりの言葉遣いとそれなりの態度を取るべきだろ。礼儀を払う、人と接するときの基礎基本だろ。そんなんもできないのか」
「あぁ〜イラッとくるぅ〜」
涼介の棘を孕んだ率直で真っ当なご指摘に、こちら健輔も思ったまま取り繕うことなく湧き起こって何秒も経ってない新鮮度抜群な不快感を天井を見上げながら奔放に口に出す。が、すぐ健輔の口の端がクイッと意地悪くつり上がった。
「そうだ茅野。お前を心霊屋敷探検隊員に特別に任命してやるよ。その度胸を見込んでな。名誉なことだろ」
ピクピクと眉を跳ねさせたニヤリ顔の健輔。
くだらない方法で脅かしてみんなの前で恥でもかかせてやろうという魂胆が透けて見える。
小学生のとき理科の実験でボヤ騒ぎが起きたときもみんなが騒ぐ前に窓を開け速やかに火元を消し、意地の悪い同級生に肩にミミズを乗せられたときも叫び声も上げず片手で払い除ける、といういつなんどきも冷静な対応を見せ、まったく動じなかった涼介を知らないんだな、健輔は、と俺は憐れに思った。
頭のいい涼介もそんな健輔の企みを察しているのだろう。
「不名誉の間違いだろ」
と涼介は応酬した。
「四方屋敷に行くなんて馬鹿が考えそうなことだな」
「ビビってんのか?ビビってんだろ?秀才茅野くん」
「ビビってんのはそっちじゃないの?ビビってなきゃそんな見苦しく必死に仲間集めなんかしないしね」
ズバッと軋轢を畏れず健輔にそう吐き捨て、涼介はさらりと教室から出ていった。その後ろを瑞希がひっついていく。
「見苦しくて悪かったな!チッ。瑞希、お前は特別に除外してやる!俺様の夏の生き甲斐、夏祭りを大いに盛り上げる神輿作りをしてくれるからな!よきにはからえ〜」
健輔はせめてもの抵抗とばかりに大声で言った。負け惜しみだ。瑞希を使って……なんだか少し情けない。
「なんなんだアイツのあのスカした態度。頭と顔が優秀なのがそんなにエラいのか?アイツ嫌いマジで嫌い」
健輔は涼介が出ていった教室のドアを憎々しげに顔をしかめながら見詰める。
涼介は常に学年一位になるほど成績優秀で、できないスポーツはないと言われほどスポーツ万能、加えて男の俺からしても欠点の指摘ができないくらい容姿端麗という三拍子揃ったハイスペック人間で、先生たちからはいい生徒、女子たちからはいい男、男たちからはいけ好かない奴、といった感じで色んな意味で人気者だった。健輔が涼介を敵視する一因でもあるだろう。ようは気に食わないんだ。
「お前がしつこく絡むからだろ。ウザ絡みしないで普通に話せば普通に良い奴だよ」
「お前同じ小学校だったよな?何とかしろよアイツ」
「なんとかしろよって……オレ親じゃねーし」
と俺は健輔に吐き捨てる。そうしてもう帰るかと自分の机から鞄を取ろうとしたとき、誰かが部屋に入ってくる音がした。
見てみると、六月という中途半端な時期に転校してきた転校生、芦北杏奈(あしきたあんな)という女子だった。教室は一瞬にして静まり返り、異様な雰囲気に包まれ、みんなの眼は芦北に向けられていた。やけに艶やかな黒髪をシンプルに一つに束ね、気まずそうに顔を伏せた芦北は、俺たちが群がっている机の隣にある机から筆箱を取り出すと靴下だけの足で小走りに教室を出ていった。
途端、金縛りから解かれたように「アイツってなんか気味悪いよな」と健輔が言った。
「アイツがしゃべったとこ見たことある?」
健輔がみんなに聞く。
「いやない」
「ないなー」
「いつもこうやって頭下げて手をモジモジさせてんのは見たことある」
「あーやってたやってた。アレなんなの?なにやってんの?」
「気持ちわりぃな。なんかの儀式なんじゃね?」
健輔がそう言うと、みんな声を立てて笑った。
「アレはモテねぇだろうなぁ」
「いやでもけっこう男好きらしいよ。出会い系かなんかしてて、なんか男と会ってるとこ何回も見たって成実が言ってた」
「マジかよ」
「フゥ〜」
やるなーというかのようにひやかす友人たちに、さすがに不快感を覚えた。同じ男だがこういう人を笑いものにするようなノリにはついていけない、と俺は心底あきれて鞄を取り教室を出ようと席を立った。そのとき。
「おいやめろよ」
唸るような低い声が健輔たちをたしなめた。それに弾かれたように声の主へ健輔たちの視線が飛んでいく。
「なんだいたのか。そんなデカい体してんのに見えなかったわ」
「目悪いのかおまえ」
互いに憎まれ口を叩き合った後、相撲部屋に所属したての新人力士みたいな肉付き豊かな体をキビキビ動かして、山江太一(やまえたいち)は提出物を教壇の上へ持っていく。健輔が本当に気づいていなかったのかは定かではないが、廊下側の席でペンを走らせなにか書いているやまぶーに俺は気づいていた。
「おいやまぶー。お前は来いよ」
「四方屋敷?」
「ああ。心霊探検…いや、男だめしだ」
と健輔は挑発する。
「いいぜ。いってやるよ」
とやまぶーは応戦した。健輔がおっおっと声を出し盛り上がる。
「あんなのなにが怖いんだか…」
やまぶは不思議そうに首を傾げる。
「怖いだろ!人が死んでんだぞ!」
友人の一人がそう言うと、やまぶーはいつになく真顔でこう言った。
「人間の方が怖いだろ」
「お前なにがあった」
思わずやまぶーに俺は言った。
「これで隊員四名決まりー」
健輔が女子高生のように喜ぶ。
「ねぇ…四名って……まさか、おれ入ってないよね…?」
「入ってるに決まってるだろバーカ」
そう言われ、コバは絶望した顔をする。
「小便だけはチビんなよ」
だがまたその話題を出され、友人たちが「それだけは勘弁」とはやし立てると、コバはうつむき、下唇を噛んだ。
絶望の顔から恥ずかしさと情けなさと悔しさが入り混じったような、屈辱なことを味わされ耐えるような顔に移り変わった。
また無神経なことをと呆れ思いながら、気にするなと言葉の代わりにコバの肩を軽くたたき、そんな健輔とコバの横を通り過ぎた。
「なんだよおまえもう帰んのかよ。いろよ。残れよ」
「寂しがり屋か」
「家に帰ってもつまんねぇんだよ」
それには少し同感だ。
「それにせっかく教師共が職員会議で早く終わった早めのオフの日なのよぉ」
「オフって会社勤めしてるOLじゃねぇんだよ」
女子みたい話し方で引き止めようとする健輔に俺はツッコミを入れる。
「慧人来るよな?」
健輔が再度四方屋敷探検への参加を持ちかけてくるが、
「疲れたから行かない。パスパス」
俺は振り返ることなくそう答え、ひらひらと手を振って教室を出た。
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