七章 聖女の帰還

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七章 聖女の帰還

 神殿の食堂内では、新米神官達が寄り集まって噂話をしていた。その中心にいたのは、ユリウス・ジラール。今回新しく神殿に迎え入れられた六名の内、貴族は五名。ユリウスは神殿に来てからというもの、この五名の中で家柄が最も格上だという事を知らしめたいのか、貴族が通う学園のように四名を引き連れて常に歩いていた。  ユリウスはさらりとした薄茶色の髪の間から離れて座るアルベルトを睨みつけていた。 「まだ出ていかないようですね、あの庶民。ユリウス様と同じお部屋だなんて恐れ多いと言い出せばいいものを」  四名の中でユリウスの次に家柄が高い子爵家の出である神官は、心底面白くなさそうにユリウスに並んでアルベルトを睨めつけていた。周りにも先輩神官達はいるが、誰もそれを咎めようとはしない。遠巻きにしてちらりと視線は送っている者もいるが、初日にユリウスに詰め寄られた神官達はユリウスの姿を見つけるなり、そそくさと長机の端に座っていた。  神殿での食事は好きな時間に取る事が出来るようになっている。あまり広くない食堂が混み合わないようにというのもあるが、祈りに没頭出来る者もいれば当然そうでない者達もいる。だから食堂では各々が祈りに集中出来るよう常に食事が準備されていた。とはいってもここは聖職者と使用人を合わせたら百人程が暮らしている大きな神殿の為、食事は慎ましいものだった。食料は基本的に寄付で賄われ、調味料や必要な食材を買い足す方法で成り立っていた。そしてここから寄付の少ない地方の神殿へと配布していく。誰からどのくらい何を貰ったのかを記録し、どこへ配布したのかも台帳に残していく。それらも立派な神官の役目だった。  今日の献立の主役である肉の燻製は貰わずに、アルベルトはパンとスープで簡単に食事を済ませると、盆を片付けに狭い食堂内を進んだ時だった。ユリウスの取り巻きの内の一人がおもむろに移動してくると、椅子と椅子の間に足を伸ばしてアルベルトの行く手を阻んだ。ユリウスは少し離れてその様子をにやにやと嫌な笑みを浮かべて見ていた。 「これももう下げていいぞ。使用人」  乱暴に差し出された半分以上残っている食事をアルベルトの腹に押し付けた。 「まだ残っている」  アルベルトは表情を変えずに道を塞いでいる神官の足を跨ごうとした所で急に膝を立てられ、手に持っている盆が床に落ちてしまった。綺麗に食べていたおかげで食べかすが飛び散る事はなかったが、食堂内はなんとも言えない静まり返った空気に支配されていた。 「……っとに」  アルベルトが小さく漏らした声は聞き逃される事はなく、膝で妨害した神官がぴくりと眉を動かした。 「何か言ったか? はっきり言わないと聞こえないぞ」 「面倒くさいって言ったんだよ」  今度こそ足を跨いで通り過ぎようとしたアルベルトの身体が横から思い切り押される。狭い机と机の間で、アルベルトは思い切り机にぶつかった。 「お前は庶民出身だったよな? まさか神殿の教えの通り聖職者になったなら身分は関係ないと本気で思っているんじゃないだろうな?」 「貴族も庶民も、年も関係ない」  すると足を掛けた神官は頬をひくつかせながら立ち上がった。背はアルベルトを見下ろす程に高い。アルベルトは伸びた赤い髪の隙間から怒りに満ちて見下ろしてくる顔を見つめた。 「お前年は幾つだ?」 「……十五」 「十五歳ですだろ! それにこの髪! 赤い髪をしているって事はこの国の人間じゃないよな? 隣りの国に多い毛色だ。もしかして流れてきた奴隷の子か? それとも娼館の女が母親じゃないだろな?」 「生まれる前から穢れているから、少しでも浄化されたくて神官になったってという訳か。それなら納得だな」  もう一人の神官が笑いながら言った。 「止めないか二人共。これだけ大勢の前で辱めたら泣き出してしまうだろ」  ユリウスは肘を突きながら優越感たっぷりに微笑んでいた。アルベルトの視線がちらりとユリウスに向く。すると目の前に立っていた神官は、大きな手でアルベルトの頬を叩き抜いた。大きな音と共にアルベルトの身体が半回転して机の上に突っ伏す。机の上にあった皿ごと薙ぎ払って止まった。 「その穢れた目にユリウス様を映すな!」  突っ伏しているアルベルトの背中がむんずと掴まれた時だった。 「何をしているのです!」  その時、食堂にマルクが飛び込んできた。見かねた誰かが呼びに行ったのだろう。マルクは大股で近づくと、食堂の中で騒ぎになっているらしい場所に向かった。集まっていた数人の神官達で隠れていて何が起きているのかは分からない。割って入ると皆無言のまま立っていた。一人頬が赤い神官がいるが変わった所はない。少し離れた所に座っていたユリウスに目を止めた。 「君は確かユリウスだったな。何があったのか報告してくれ」 「マルク様、何もありませんよ。ただこのアルベルトが転んでこの有様にしたものですから皆で心配していた所です。ほら、床を見て見てください」  確かに床には皿や盆が落ちている。そして当の転んだというアルベルトはそっぽを向いていた。  立ち去っていく神官達と入れ替わるようにアルベルトと二人残されたマルクは、溜息をつくと落ちている皿を拾い始めた。アルベルトも無言のまま机の上に散乱した皿や食べ残しを集めていく。マルクはその腕を掴んだ。アルベルトは一瞬嫌そうな顔をしたがやはり何も言わない。仕方なくその腕を視線で示した。袖は食べ残しでべったりと汚れている。それを見たアルベルトは小さく息を吐いた。 「貴族ってのはどこも同じなんだな」 「どういう意味です? どこかで貴族の方々と会う機会でもありましたか?」  しかしそれ以上は返事がなく、答える気もないようだった。 「着替えはありますか?」  神官の服は一枚しか支給されない。二年事に一枚支給される為、基本的には一枚を大事に着ていくのだった。だから洗濯している間は手持ちの服を着なくてはいけなかった。とはいってもこのアルベルトは着替えを何枚も持っているようには到底見えない。痩せた身体に生気のない顔色。庶民の子供で神官になる者は大体が身寄りがない者か家族の口減らしなどで、正直境遇としては保護される使用人の子供達とあまり大差ない者が多い。もちろんそれだけでは決してないが、今目の前にいるアルベルトはまさにそう見えた。 「ばあちゃんが縫ってくれた物があるからそれに着替えてくる」  ぶっきらぼうに振られた腕が手の中から消えていく。勢いよく机の上を片付けたアルベルトは、マルクが集めた皿も掻っ攫うと配膳口へと持って行ってしまった。唖然としているすぐ横に二人の神官達が駆け寄ってくる。そして騒がしく同時に話し始めた。 「あの者達ですよ、新しく入った神官達は! なぜ今回は四名も貴族出身なのですか? 我々では手に負えません!」  半泣き、小声で訴えてくる二人を見ながらマルクは溜息を吐いた。 「お前達が指導係ですね? まだ来たばかりなのですから少し様子を見ましょう。今までの暮らしが抜けなくてあんな風に大きな態度を取ってしまうのでしょう。ここでの暮らしに慣れればきっと良くなるでしょうから心配は無用です」 「本当にあの態度が変化するでしょうか? 私達にはとてもそうは見えません。マルク様はまだお若いから……」  そう言った一人の神官の肩をもう一人の神官がすかさず小突く。二人は先程の動転に加えて更に目を白黒させながら慌てふためいていた。この二人よりもマルクは年下だった。しかし当人は気にせずに食堂内を見渡すと、切れ長の目を細めて頷いた。 「どうやら、あの者達よりもずっと心配なものが見つかってしまったようですね」  冷たい視線に晒された他の神官達は視線を逸しながらそそくさと食堂を退出していく。ここへ来て特大の溜息を吐いたマルクは、不安がる二人に向き直った。 「あなた達は何かあればどんな些細な事でも知らせてください。いいですね?」 「はい。ですが何事もない事を祈っております」 「そうですね。あなた達も食事が終わったなら祈りを捧げにお行きなさい」  ここにいる者達は皆、試験を受けて神官という位についている。だからこそ誰に向けたらいいのか分からない苛立ちが腹の底で蠢いていた。  神官になれたという事は、今までずっと祈り続け、それを精霊ウンディーネに認められたという事なのだ。神官になるには一朝一夕の祈りでは足りない。そして最後に神殿で試験を受けなくてはならなかった。それはとても分かりやすい試験内容だった。神殿は大小に関わらず泉を中心として建設される。そこが祈りの場となるからだ。そこへ出向き、試験官となる神官達のいる前で祈る。そして泉の水が波打ち動き出せば精霊ウンディーネがお認めになったという証だった。だからこそ、マルクは静かになった食堂を見渡して深い溜息をついた。
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