七章 聖女の帰還

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 王城の門に付いたのは、見事な軍馬が引く馬車だった。  戦場に行くかのような車体は一切の飾りがなく、長期間の移動にも適していないように見える。噂のジュブワ辺境伯のご息女をひと目見ようと後ろに集まった令嬢達の間からは、くすくすと笑い声が漏れていた。 「きっともの凄く男勝りのお方なのよ。どのような格好でいらっしゃるか楽しみね。ルグラン公爵様でしたらもっと良いお方をお迎えになれるのに……」  ダニはそれを一瞥して制すると、馬車を見据えた。  婚約の申し出をしてからここまでおよそ半月。異例と言っていい速さで事が進んだのは、相手もこの婚約を望んでいるからに違いなかった。しかし結局この日まで、ルイーズ・ジュブワとの顔合わせは叶わなかった。容姿を選んで結婚する訳ではないのだから問題ないと言えば問題はない。それでも今になって落ち着かない心情に、自分自身驚いていた。  御者が扉を叩いてから開けると、集まった者達の意識がそこに集中する。そして中から降りてきた姿に、王城前は水を打ったような静寂に包まれた。そしてその静寂はすぐに男達のざわめきに変っていった。  父親のジュブワ辺境伯にエスコートされて現れたのは、誰から見ても文句の付けようのないくらいに美しい令嬢だった。腰まである赤みのある髪はハーフアップに上げられ、クリーム色の清楚なドレスは身体の線に沿って美しく流れている。凛とした大きな目が、他の者よりも一歩前に出ているダニを捉える。ジュブワ辺境伯は娘を連れてダニの前まで来ると、辺りの様子を満足そうに見渡して頭を下げた。 「長旅ご苦労だったな。ジュブワ殿、そしてルイーズ嬢で宜しいか?」  ルイーズは馬車から降りる時こそダニの顔をしっかりと見たが、近づく頃には慎ましく視線は下げていた。美しいカーテンシーをしてから口元を綻ばせたその姿に、後ろからは小さな歓声が上がった。 「お初にお目にかかります。ルイーズ・ジュブワと申します。今日までお会いできずにおりました事をお詫び申し上げます」 「あなたが詫びる必要はない。本来なら私から会いに行くべきだったのに、忙しさにかまけてしまった。本当に申し訳ない」 「そんな事はございません。ルグラン公爵様のご多忙さはジュブワ領にも届いております。神官長になられてからは孤児の救済と教育に力を入れられ、我が領は大変助かりました。土地柄どうしても戦いが多い為、孤児が多いのです。ですからルグラン公爵様には感謝してもしきれません。それにお会いに来られなかったという事は、私の容姿にはさほどご興味などお有りになかったという事でしょう?」 「ルイーズ! 会ったばかりでやめないか」  父親の小声など聞こえていないようにルイーズは更に続けた。 「誤解を与えてしまったのなら申し訳ございません。ですがそれが私の婚約承諾の決めてになったのですからどうかお許しくださいませ」 「どういう意味だろうか。顔を見に行かなかった事が決めてになったといのか?」 「結婚相手に容姿の美しさは求めず、それよりも重視するのは利用価値、という事でございますよね? 今まで申し込んできた殿方達は私の容姿に惚れ込んでの事でした。正直、またそういう理由でしたらきっぱりとお断りするつもりおりました。でもそうでないのなら、互いにとっていい関係を築いていけそうだと思ったのです。それだけはまずお伝えしたいと思っておりました。でもこんな事、手紙に書いたら顔が見えない分、いらぬ誤解を招くと思ったのです」 「ふふ、はははッ」  周りの者達は内容までは聞こえはしなかったが、何やら話した後に声を出して笑ったダニに驚いて顔を見合わせていた。 「あの、お気を悪くなさらないください。悪気はなく娘はこういう性格なのですよ。先にお話したところで困惑されるだけかと思い黙っておりました」  けろっとしたルイーズと、複雑な表情のジュブワ辺境伯の差がなんとも言えず、笑いに拍車をかけてくる。それでもここでこれ以上笑う訳にはいかずになんとか緩んでしまった表情を整えると、腕をルイーズの前に出した。 「まずは長旅を労おう」  予め借りていた王城の応接室へと向かうと、集まっていた貴族達も物珍しい辺境伯の娘を目にした事で、すぐに散り散りになっていく。最初はどんな格好の女性が現れるのかと沸き立っていた令嬢達も、いつの間にか寡黙に去って行ったようだった。 ーー私の出る幕ではなかったか。  ルイーズは自分の容姿一つで、集まった令嬢達を黙らせてしまった。生まれ持ったその容姿も立派な武器となる。その事を、腕に軽く手を添えて歩く娘は熟知しているようだった。  ルイーズは不思議な女性だった。顔を見に来ない事が婚約承諾の決め手だったなど、考えもしなかった。むしろわざわざ足を運んで会いに来るという誠意を見せなかったと怒られてもいいところをそんな風に言われ、ダニとしては好印象しかない。今日はここで顔合わせをし、後日婚約の契約書を交わす事になる。ルイーズは紅茶に合うからと、連れてきた侍女から包み紙を受け取ってそのまま机に広げた。ジュブワはそんな光景は見慣れているのだろう。食べ物を皿に乗せず、包み紙があるとはいえそのまま机に広げた事も頭は抱えていたがあまり気にしていないようだった。中身はどう見ても手作りの焼き菓子。厚みはバラバラで所々焦げている所もある。一見すると苦そうにも見えた。 「途中立ち寄ったお店で厨房をお借りして焼いて参りました。お口に合えば宜しいのですけれど。ご安心ください、この通り毒など入っておりませんから」  ルイーズは自ら焼き菓子を一つ摘むとそのまま口に入れた。がりっと音がし何度か咀嚼した後、紅茶を口にする。そしてにこりを笑った。そんな事をしても最初から食べる以外の選択肢はなかったが、呆気に取られたままダニも焼き菓子を口に入れた。飲み込むまでガリガリとする音を立てながら食べ、紅茶を一口含んだ。 「……確かにこの焼き菓子は紅茶に良く合いますね。特に口の中の水分がなくなった所に、紅茶がよく浸透してより一層美味しく感じます」  今度はルイーズが吹き出す番だった。さすがにまずいと思ったのか自分で口元を隠したが、その隣りでジュブワは額を抱えていた。 「まさかそこまで言い当てられるとは思いもしませんでした。さすがはルグラン公爵様です」 「堅苦しいのは苦手だから呼び方はダニで構わない。私もルイーズでいいだろうか」 「それではダニ様と呼ばせて頂きます。私の事はどうかルウとお呼びください。親しい者達は皆そう呼んでおります」 「いきなり愛称というのも気が引けるから、婚約が正式に結ばれたらそう呼ばせてもらおう」 「お言葉ですが、あとから呼び方を変える方が難しいと思います。どうぞ今この時からルウとお呼びください」  そう美しい顔でにこりと微笑まれれば男は頷くしかない。 「閣下、どうかお気になさらないでください。うちの領では庭師や侍女、兵達もルウと呼んでおりますので」 「そうなのか。それはよい環境のようだな」 「そうおっしゃってくださるのは閣下だけですよ。閉鎖的な事を良い事に領では好き勝手でしたから」  恨めしそうにみる父親の視線を笑みで躱すと、自らもう一枚焼き菓子を手に取った。 「やっぱりもう少し甘みがあっても良かったかしら。料理は何度しても苦手です」 「そんな事ございません! お嬢様の焼き菓子は回を重ねる事に味わい深い色と形になっております! 第一号の試作品の時は石にかじりついたのかと思うくらいだったのですから」  後ろに控えていた侍女は堪らずに声を発したかと思うと口を噤んだ。 「……閣下、何卒ルイーズを宜しくお願い致します」  ダニは終始呆気に取られたまま、いつの間にか和やかに茶会は進んでいった。  
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