七章 聖女の帰還

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 滅多に王城に来ないジュブワ辺境伯は国王陛下へ謁見の為に席を外し、ダニとルイーズは王城の中庭へと来ていた。王城の中庭は円形になっており、広い城の中をぐるりと見渡す事が出来る。ここに花はあまりなく、どちらかというと城の中を見て回る前に立ち寄っておくと、後で迷った時に戻りやすいという利点の為だった。  中央には大きな噴水があり、澄んだ水が流れている。その縁にきたルイーズは指先で水を撫でるように触れた。 「本当にダニ様はいい意味で期待を裏切ってくださいますね。本来男女が仲を深めたい時は、外にある大きな庭園の方に連れて行くのではありませんか?」  言い当てられて内心びくりとしてが、ルイーズにはお見通しのようだった。 「あちらの方が良かっただろうか」 「いいえ。正直、美しい花々や自然は領地で十分に見ております。もちろん装飾などは王城には負けますが、我が家の庭師も良い庭園を造るのですよ。今度見にいらしてくださいませ」  返事をしながらルイーズに近づいて足を止め、本当に話したかった事を口にした。 「なぜこの婚約を承諾したのか、本当の事を聞いてもいいだろうか」  ルイーズの大きく意志の籠もった目が揺れる。真っ直ぐにダニを捉えてしばらく黙った後、形の良い唇を結んだ。 「その前になぜ私を選んだのかをお聞かせ願えますか? 公爵家当主のダニ様ならば、わざわざ姿を見た事もない辺境伯の娘などを娶らなくても良かったのではありませんか? 家柄はもちろん容姿も美しい令嬢はお側に多くいらっしゃるはずです」 「今から私が話す事を聞いて、もし気分を害された時はこの婚約は断ってくれていい。あなたにとっては尊厳を傷付けられる事だと思うから」 「どうぞお話しくださいませ」  中庭を通っていく者達からすれば、今まで結婚を避けてきた公爵家当主のお相手というだけでも興味を引くというのに、ルイーズの姿を見た者はあっという間にその美しさに心奪われていた。大きく荘厳な噴水の前に並び立つ姿は、絵画に残しておきたくなるような美しさだった。 「以前から、辺境伯の所には隣国の王女の御身を預かっているという噂を耳にしていた。それがあなたではないだろうか」 「この髪色のせいでそういう噂が流れたのでしょうか?」 「髪色ではない。第一、隣国に接しているジュブワ領では珍しい髪色ではないだろう。それくらいは王都の者達も知っているよ。私はジュブワ領との繋がりを強くしたいと思ってあなたに縁談を申し込んだんだ。更に言えばその奥にある国を見据えている」 「公爵家当主で神官長のあなたが隣国にすり寄れば、王家と対立する事になるのではありませんか?」  ダニは言葉を選んでいる内に黙ってしまった。確かに謀反と取られてもおかしくはない行動だが、それでもこの行動には大きな意味があった。 「それでも、もうこの国は探し尽くしたんだ。あとは別の国を探すしかないんだよ」 「聖女様の事でしょうか?」 「……結婚をし、子を設け、自分の役割を全うしなくてはというのも本当だ。理由は何であれ、あなたが妻となってくれれば生涯守り抜くと誓う」 「聖女様が見つかっても、でしょうか? なんて意地悪な質問でしたね。……それを伺い、今からお話する事をダニ様にならお伝えしても大丈夫だと思いました。私がこの結婚を受けようとしたのはまさにダニ様がおっしゃった事です」  ルイーズは真っ直ぐに向き直ると、ダニの手を取った。 「残念ながら私は王女ではありません。私達はずっと御身をお預かりしていた王子の行方を探しております。王女という噂が流れたのは、まだ幼かった殿下のお姿が可愛らしくてそう見えたのでしょう。事情があって殿下をお預かりした我が家ですが、賊に入られ殿下は誘拐されてしまいました。どれだけ探しても発見する事は出来ませんでした。隣国の王子を秘密裏に預かっているというのは本来謀反にあたります。それでも私達はあの時命からがら逃れてきた王子を見捨てる事は出来ませんでした」 「なぜ陛下にご相談されなかった?」 「あの時、王城は揺れておりました。八年前です」 「……聖女様が行方不明になられた時か」 「そうです。リアム殿下もダニ様も、王城の兵士のほとんどが国中を探し回っていたと思います。聖女様の捜索が何年も続いている中、とても言い出す事は出来ませんでした。そんな時に更なる揉め事を持ち出し、もし送り返せと言われでもしたら、殿下は殺されていたでしょう」 「随分と大事に想っているようだな」  ルイーズは頷くと掴んでいたダニの手を離した。 「あの日殿下は私の部屋にいました。家中の者達が探す中、かくれんぼをして遊んでいたのです。それでも遊び疲れて喉が乾いたという殿下の為に部屋を離れた時、侍従の格好をした者に呼び止められ殿下の事を聞かれました。私は答えてしまったのです。私の部屋にいると。そして部屋に戻った時には、殿下はいなくなっていました」 「自分のせいだと?」 「私のせいです。ですから殿下を見つけるまでは決して自分の幸せは見つけず、必ず探し出そうと心に決めていました」 「なおさら腑に落ちないな。それなら、なぜ私との縁談を受けたんだ?」 「ダニ様が神官長だからです」 「……人探しをしろと? 生憎だが、それは成功した試しがないんだ」  するとルイーズは胸元に下げていた首飾りをそっと見せた。 「これは殿下が持っていた宝石です。精霊サラマンダーの息吹と言われる火の石」  ダニは思わず辺りを見渡した。この場所に来たのには理由がある。部屋の中ではどこに誰が潜んでいるか分からない。それは自分の屋敷でも同じ事だった。その点、この場所には大きな噴水がある。水の音は激しいので、声を掻き消すと共に姿も隠してくれる。開けた場所ではあるが、近づいてくる者がいればその姿も見つけやすい。なにより、大衆の目前でこれだけ重要な話をしているとは思われないだろうと選んだ場所だった。 「それはかなり貴重な物だと思うが……」 「ダニ様も持ってはおられませんか? 精霊ウンディーネの水の石を」 「生憎だが持ってもいないし、目にした事もない」 「そうですか。それならば陛下がお持ちなのでしょうか」 「聞いた事がないな。もし持っているとすればやはり王族の誰かだろうな。存在すればの話だが」  ルイーズは掌の中の石を握り締めた。 「水の石は必ずあります。そして石が共鳴すれば精霊の力も強まり、殿下の場所を教えて頂けると思ったのです」 「石が共鳴、か。それなら神殿の方が何か分かるかもしれないな」  ダニとルイーズは手を取り合うとにこりと作り笑いを浮かべた。 「それでは次は神殿をご案内しよう。お疲れではないだろうか?」 「少しも。ダニ様の普段お過ごしになられる場所を見られるのはとても嬉しいです」  仲良く歩いて中庭から廊下へと戻ってくる二人の姿に、たまたま居合わせて目にした官僚や使用人達は、呆けながら道を開けた。 「あれはダニか? そういえば結婚すると聞いたな。ようやく身を固める気になったようだな」  二階の廊下から中庭に目を留めたリアムは、苛立ちを隠さずに見下ろしていた。 「辺境伯のご令嬢ですね。お美しいお方だと噂になっておられるお方です」  後ろにいた侍従は自らもその姿を見ようと身を乗り出して、興味を失ったとばかりに歩き出したリアムの後を、名残惜しそうに続いた。  ダニとルイーズが王城の門から馬車に乗り込もうとした時、物凄い速さで城門の中へ入ってきた馬があった。  危なっかしい手綱さばきで馬を止めたマルクは今まさに馬車へ乗り込もうとしていたダニの姿を見つけると、躓きながらも全力で走ってきた。 「どうした、何かあったのか?」   珍しく息を乱しダニに縋るようにして息を整えたマルクは、涙を浮かべて言った。 「聖女様が、聖女様がお戻りに、なりました!」
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