二章 捨てられた聖女

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二章 捨てられた聖女

「ブリジット、もうすぐ王都に着くよ? おーい」 「もう少し寝かせてあげてくれ」 「ダニ様はブリジット様には甘いよね。僕の事はすんごく人使いが荒いくせに」  自分の事を僕呼びした侍女はプクッと頬を膨らませた。肩には寄り掛かったブリジットが安らかな顔で寝息を立てている。その頬を何度か突きながらにんまりと笑う顔は少女のようでもあり、子を見守る母のようでもあった。 「帰城の知らせを出してネリーが大人しくしているとは思わなかったが、まさか女性が一人きりで馬で駆けつけて来るとは思いもしなかったぞ。気持ちは分かるが会えたから良かったものの、すれ違ってしまったかもしれなかったんだぞ。神殿も者達も心配している……訳はないか。今更お前の行動に驚く者もいないだろう」 「大丈夫だよ、ちゃんと書き置きを残してきたからさ。それに僕は絶対にブリジットを見失う事はないから、絶対に会えるって分かっていたんだ」  やけに自信満々に言うネリーは眠っているブリジットの顔を覗き込むと、優しくその頬を撫でた。 「ダニ様が連れて行ってくれないから半年もブリジットと離れなくちゃいけなかったんだ。僕の寂しさはちょっとやそっとじゃ消えないよ」 「仕方ないだろう、邪気を払う為の遠征だったんだから、お前のような浄化の力を持たないただの人間には危険な場所なんだよ。だからリアム殿下も同行されなかったんだからな。それはそうと、お前もしばらく休みを申請するか? まあブリジット様と離れている間に適当にサボっていたんだろうけど」 「ちゃんと働いていたよ! 毎日ブリジットの部屋を掃除して、ブリジットに似合う服を縫って、ブリジットに喜んで貰えるように少しだけ勉強もしたんだ。もちろん神殿でのお仕事もしながらね。もしブリジットが休むって言うなら僕も休むけど、多分ブリジットは休まないだろうから僕も休まないかな」 「お前は本当にブリジット様を慕っているんだな」 「だってブリジットはとっても可愛いでしょう! それに頑張り屋さんだし、可愛いし、何より水神様への信仰心が厚いしね!」 「……いま可愛いが二回入っていたように聞こえたが、まあいいか。ブリジット様は聖女のお役目を終えたとはいえ、これからは王太子妃になられるお方だぞ。お前もそろそろブリジット様の侍女の任を解かれるからそのつもりいるように」  するとネリーはまるで宝物が奪われるかのようにブリジットを抱き締めた。腕の中でブリジットが身じろぐ。ダニはぎょっとしたが起きる気配はないようだった。 「それなら僕も王城で働く」 「それは無理だろ。王太子妃に仕えるのは王城の侍女だと決まっているんだ。第一お前は神殿の人間だろう。王太子妃付きの侍女にはなれないよ」 「なんで? 僕の方が王城の侍女達よりもずっと、ずーーっとブリジットの事を分かっているんだから、ブリジットも僕の方が良いに決まっているよ」 「……まずその言葉遣いで却下されるだろうな」 「これでいいってブリジットが言ってくれているからいいの!」 「お前はブリジット様に恥を書かせる気か? 侍女に軽口をきかれる主人だと陰口を叩かれるかもしれないぞ」  するとネリーは小さな身体を更に小さくして俯いた。 「ブリジットがいじめられるのは嫌だな……」 「ならばその言葉遣いから直せ。別にお前の全てを否定している訳じゃないんだから、ただ言葉遣いを少し丁寧にしろと言っているだけだ。あと、少しは落ち着け」   つま先がぎりぎり着くか付かないかの足をプラプラさせていたネリーは、ぴしっと動きを止めてみせた。次第に身体が震え出していく。ネリーは息も止めていたのか、突如激しく息をするとその振動でブリジットがとうとう目を覚ましたようだった。 「ネリー? ごめんね、寄り掛かってしまっていたみたい。重かったでしょう?」  するとネリーは細い腕で起き上がろうとするブリジットをぎゅっと抱き締めた。 「全然! ブリジットは軽いよ。重いどころかもっと寄り掛かってもらいたかったくらい!」 「ネリーこそ、一晩中馬を走らせて疲れていたのにありがとう」  お礼だと言わんばかりにブリジットもネリーの身体を抱き寄せた。ネリーの白い頬が一気に染め上がってく。ダニは咳払いをすると、我に返ったブリジットは驚いてネリーを抱き締める腕を離した。 「ダニ様! すみません、私ったら寝ぼけてしまっていたようです」 「私の事はお気にもう少しお休みください」 「でもダニ様、もうすぐ王城が見えてくるよ?」 「もうそんな所に来ているの? 大変、私どこか変な所はない?」  馬車の中で乱れていないか服装を確認するブリジットを優しい視線で見ながら、ダニは窓の外に視線を移した。 「見えてはいますがまだあのうねった山道を行かねばならないのです。まだ焦らなくても十分に間に合いますよ」 「でも久しぶりのリアム殿下に会えるから色々気になっちゃうんだよね、ブリジットったら可愛い」  ネリーは離れたブリジットの身体を抱き寄せると、撫でた。 「それ、他の者達の前ではやるなよ。リアム殿下もお優しいからお許しくださっているが、そのお気持ちに甘える事のないように。いいな?」 「……」 「ネリー?」 「分かっているよ。努力はする」 「ふふ」 「ブリジット様もネリーに甘すぎるのです」 「すみません。でも今笑ったのはダニ様とネリーは仲がいいんだなと思って少しおかしかったからです。私はネリーの性格が好きだけれど、一人置いてきてしまって少し心配だったんです。でもきっと、ダニ様のご配慮がありましたよね」 「僕はいつだってブリジットの事だけを考えているんだ。他の誰の言葉も耳に入ってこないよ」 「そうだとしても、大好きなネリーにはどこででも愛されて楽しく過ごして欲しいの」  するとネリーの大きな瞳に涙から溜まっていく。そして思い切り抱き締めてきた。 「うわーん! 僕も大好きだよブリジット!」  白銀の柔らかく短い髪ごと頭を撫でながらちらりとダニを見上げた。心底呆れたような表情の中にもネリーを見る瞳には優しさを感じる、ダニとネリーは親子のような、師弟のような不思議な関係を築いているようだった。  国民は聖女の帰城を最大限の準備をして出迎えてくれた。街を囲む壁の上からは聖女の帰城を知らせる鐘が打ち鳴らされる。次第に聞こえてくる歓声を耳が拾い出すと無意識に身体が震え出す。見かねたネリーが小さな手を甲に重ねてきた。 「大丈夫だよ。ブリジットはこの国を救ったんだから堂々としていてよね」  ネリーの言葉に頷くと、今度は不思議と歓声を受け止める事が出来た。門を通り、馬車道へと入っていく。道は沢山の花で飾り付けられていた。民家の上からは花弁が舞う中を馬車が進んでいく。ダニはカーテンを開けると、顔を見せるように言った。呼吸を整えて窓から顔を出す。すると、歓声は一際大きなものとなり、空気が振動しているのではと思う程の歓迎ぶりだった。幾つもの感謝の声が辛かった浄化の遠征の疲れを吹き飛ばしてくれる。ブリジットの胸は破裂してしまいそうな程に幸福で満ち溢れていた。 「すっごい歓迎だね! 皆ブリジットに感謝しているんだ。嬉しいな!」 「こら! お前は顔を出すな」 「そんな事言うならダニ様だって肩が見えているよ」 「分かったから押すな! 私は身体が大きいからこれ以上は無理なんだよ!」 「それなら屈んでいればいいじゃないか」 「無理を言うな! 広いとはいえ馬車の中なんだぞ」 「二人ともそのくらいにして……ふふ、やめて。なんだか今とっても帰ってきたって気がしたわ」  ブリジットは笑いを堪えながら口に手を当てた。笑いを堪え震えている顔も、集まった国民からすれば感極まって口元を抑えているように見えていた。
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