姉が狐の嫁入り

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 ピピピピ…… 目が覚める。よく見知った天井。そしてジュージューと何かが焼ける音。  勢いよく体を起こした。 「びっくりした!何急に!変な夢でも見たの?」 「…夢?」  そこはいつものアパートで、寝室兼リビングで、姉がキッチンで朝食を作っていた。  一瞬夢と現実を彷徨ってしまい頭がぼーっとする。段々と意識を取り戻し、そうか、本当に夢だったのかと自覚した。 「大丈夫?昨日お酒飲み過ぎたのよ」 「…そうかも」  昨日、俺の就職祝いと評して透子と、透子の彼氏の(みのる)さんとでささやかなパーティを開いてくれた。  思っていた以上に飲んでしまった様だ。 「…ツリメ先生帰ったの?」 「まーたその変な呼び方して。  昨日の内に帰ったよ。社長さんだからね、今日も仕事だって」  稔さんは目がつり上がってて、歳の割に落ち着いていたからか学生時代ツリメ先生と呼ばれていたらしい。その話が何故か頭に残っていて、俺もたまにふざけて呼んでいる。  そんな大学生のからかいも受け入れてくれる優しい稔さんは、たった一代で盛り立てた敏腕社長でもある。  3年前、激務のあまり道端で倒れてしまった稔さんを姉が助けたのがきっかけで二人は恋人同士になった。  でも実は大企業の社長と知ったのはつい最近で、透子も俺も、ずっと普通のサラリーマンだと思っていた。それくらい、飾り気のない人なのだ。 「だから狐の御当主様か…我ながら笑える」 「なにー?」 「別に」  俺はベランダに出て、スマホを取り出す。  一応確認したが、茶色の塊も謎の黒い渦も当たり前になかった。思わず自嘲しながらスマホに目を戻す。  そして連絡先から“市橋(イチハシ)さん”という名前を探してタップした。 『翔くん!』 「そうです。翔です」 『どうしたのです?お珍しい』  稔さんの従兄弟、兼秘書の市橋さん。  ただの大学生である俺にも丁寧な言葉遣いで話してくれる、明るい人だ。  稔さんは忙しいので、連絡を取りたい時には市橋さんを介す様に言われていた。普通その時点で疑問に思うよな。姉も、俺も抜けている。 「稔さん、お忙しいですか?ちょっと話したい事があって」 『ええ、ええ!大丈夫ですよ!!』 「よろしくお願いします」  どうやら丁度手が空いていたらしい。良かった。  ややしばらくした後、『も、ももしもし!?翔くん!?』という稔さんの慌てた様な声がした。 「稔さん、おはようございます」 『驚いたよ!どうしたんだい?』  そういえば、俺から電話をかけたのは初めてかもしれない。 「昨日はすみませんでした。稔さんが帰ったのも知らないくらい爆睡してて」 『いいんだよ、君のお祝いだったしね』 「それで…その」  俺は昨日、姉がお風呂に入っている間に稔さんから持ちかけられた話を思い出しながら、口を開いた。 「やっぱり俺は、一緒には暮らせません」  稔さんが息を呑んだのが分かった。 『どうしても、だめかな』 「はい。もう、姉には自分の幸せだけ考えて欲しいので。  てか新婚夫婦の中で暮らすなんて、普通に気まずいっすよ」 『ははは…そうか。そうだよね』  本当に残念そうな声が心を揺らがせる。  でも、もう俺は決めた。 「あなたが俺を本当の弟の様に思ってくれている事も知ってるし、嬉しく思います。  姉を、どうかよろしくお願いします」 『勿論です。ありがとう、翔くん』  最後に、いつでも変更可能だからね、と付け加える稔さんに吹き出しながら電話を切った。 「もうすぐ出来るよ〜」 「ん」  部屋に戻ると、姉が俺に声を掛ける。 「透子ドレス何着んの?」 「何急に。不思議ねえ、興味あるの?」  プロポーズと共に社長だとカミングアウトされた姉は、自分には務まらないと最初断った。  なのに稔さんの事が大好きだから、結局俺と稔さんが頑張ってようやく姉は素直に受け入れてくれた。  俺は昨日、一緒に住まないかと提案してきた稔さんから聞いたのだ。姉がプロポーズを断った本当の理由は、俺を置いていく様な気がして嫌だったのだと。  どこまでも俺を優先にする姉に辟易すると同時に、やっぱり嬉しさを感じずにはいられなかった。  だからかもしれない、あんな変な夢を見たのは。 「あれ着てよ。白い着物」 「白無垢?よく知ってるわね、そんなの」 「絶対似合うから」 「何その自信。変なの」  とか言って満更でもない顔してるくせに。  せいぜい幸せになってくれよな、姉ちゃん。
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