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「何かあれば遠慮なく言ってください」
「はい」
「我々も尽力しますので」
「はい」
失礼します、と警察官の人が部屋から出て行く。
玄関まで見送って扉を閉めるとガチャン、という音が1LDKの部屋に響いた。
いつも二人で狭いと文句を言っていたのに、やけに反響する。
「…はあ」
姉が消えて丸2日。警察に通報した事で急に現実味を帯びたが、未だに信じられない。
一番考えられるのは何者かに誘拐されたという事。
考えたくはないが、何も情報が得られない今はそんなマイナスな事ばかりが頭によぎる。
俺と姉は二人暮らし。
小さい頃に両親が離婚して母の元で育ったが、その母が13年前に急逝。当時姉は高1で俺は小4。父はろくでもない人でとてもじゃないが俺達を養えるほど甲斐性はなく、親戚の家を転々とした。
そして5年前、先に一人暮らしをしていた社会人の姉に呼ばれる形で二人暮らしが始まった。
母が遺してくれたお金のお陰で特にひもじい思いはしなかったけれど、姉は俺の将来の為にとなるべく手を付けずに自分の稼ぎで養ってくれた。おかげで大学に通える事が出来て、無事内定も貰えた。
これから俺も微力ながら姉を支えれたらと思っていた矢先だった。
姉が使っている部屋のドアを開ける。
全くいつも通りの風景に、姉が何かに追われる様に出て行った訳じゃない事が分かる。警察の人もそれはないだろうと断言した。
じゃあ、なぜ。
またマイナスな事を考えそうになってやめた。昨日は一日中姉を探し歩いてさすがに疲れた。少し休んでまた探しに行こう。その時だった。
コンコン
何かが窓を叩く音。冷やっとした汗をかいた。
ここは一応二階だが、人が上がって来れない高さでもない。
姉が失踪中の身としては、これはかなり警戒する必要がある。
ちなみにその窓は俺の寝室兼リビングの窓から聞こえてくる様だ。恐る恐る覗いてみると、すりガラス越しに人影は見えなかった。
ただの空耳だろうかと思ったが、再びコンコンと窓を叩く音が響く。
そこで俺は気付いた。下の方に茶色い塊が見える。
俺はほっと息を吐いた。どうやら猫の様だ。
どう入って来たのかは分からないが、迷い込んでしまったのかもしれない。
俺は何の抵抗もなく、その窓を開けてしまった。
「おやおやどうも。透子様の弟君、翔様でございますね?」
それは猫ではなかった。茶色くてふさふさな事は変わらないがこれは狐だ。しかも喋っている。
いや待て。喋っているだと?
「この度我が当主様が透子様をぜひ妻に迎え入れたいとおっしゃっているのですが、透子様が弟君であらせられるあなたの事を大変心配しておられまして、結婚は出来ないとおっしゃるのです。
どうか透子様をご説得して頂きたく、僭越ながらお迎えに参りました」
その狐はやけに丁寧な言葉遣いで、さも当たり前の様につらつらと言った。
俺は一旦窓を閉める。
「翔様ー!翔様ー!どうされたのですかー!?」
「いやいやいや待て待て待て」
窓越しのくぐもった声はばっちり耳に届いている。
いや届いている事が問題なのだ。
この際、狐が喋り始めた事は置いておこう。
透子とは俺の姉だ。そして確かに俺は弟の翔だが、問題は狐の当主とやらが透子と結婚したいと言っている事だ。いや、もう何もかもが問題だらけなのだが。
「…………」
俺は静かにもう一度窓の方へ振り返る。
やはり茶色の塊はそこにあり、俺の名前をしきりに呼んでいた。とにかく話を聞くしかなさそうだ。
「ああ翔様!もう、びっくりしましたよ急に閉めるんですから」
「お前…狐なのか?」
「何言ってるんですか〜どこからどう見たってそうじゃないですか」
そう言って得意げにくるりと回る狐。
違う、こんな事を聞きたかったんじゃない。
「お前、透子が今どこにいるのか知ってるのか」
「透子様ですか?ただ今うちのお屋敷においでです。
当主様が必死に説得中ですよ」
「…何だって?」
やっと掴めた情報に心が跳ねる。でも待て、果たしてこれは安心していいのか?
「狐の当主って…まさか狐か?」
「これまた何をおっしゃいますか、当たり前です!」
「何で透子が狐に惚れられてんだ」
「どうやら透子様が怪我をした当主様をお救いなさったとか」
「どこの昔話だよ…」
確かに怪我をした動物を助けるなんて、いかにも姉のやりそうな事だ。
でもまさかそれが狐の当主とやらで、結婚したいだ?
ああ、もう訳が分からん。
「とにかく、翔様に透子様を説得して頂きたいのです。我々の繁栄と当主様のためにどうか!ね?行きましょ!」
「行くってどこに」
「我々の世界、異界でございます」
その瞬間、狐がひらりと飛んで一回転した。
するとただのベランダの地面から黒くて丸い何かが現れる。その中は渦を巻いていて、いよいよまじな感じになっている事に気付いてごくりと喉が動いた。
「さー行きましょうー!」
「ちょ、え!?えぇ!?」
そして狐に背中を蹴られ、その渦の中へ落ちる。
少し冷んやりとした空気が頬を撫でて、咄嗟に目を閉じた。
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