姉が狐の嫁入り

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「翔様、目をお開けください」  言われるがままゆっくりと目を開ける。  いつの間にか俺の足は他についていた。 「ここが異界でございますよ、翔様」 「……っ」  思わず息を呑んだ。目の前には大きな大きな赤い鳥居。そのまま一本道が続いていて、両サイドに古い街並みが広がっている。しかしおかしいのはそこの住人らしき者達だ。  狐である。  しかも二足歩行して、着物を着ている。 「ご案内します。ささ、こちらへ」  そして俺をここに無理やり連れてきた例の狐も二足歩行し、同じ様な格好をしていた。  何かもうどこから突っ込んだらいいのか分からない。 「な、何なんだよここは…」 「我々狐が住まう狐村ですよ」 「それがよく分からないんだけど」 「そのまんまの意味です。さ、この村を統べる当主様のお屋敷はこのまま真っ直ぐ行った所にありますよ」  もう俺の事情も精神状態も一切気遣うつもりはないらしい。どうやら諦めるしかないらしく、普段よりも背中を丸くさせながら謎の大通りに足を踏み入れた。  しばらくすると立派な日本家屋の建物が目に入る。その時だった。 「ようこそいらっしゃいました翔殿」  声がした方へ目を向けるとそこに人間が立っていた。  俺以外にもいたのかと思ったが、その人間にはふさふさの大きな尻尾と、頭には耳が生えていた。  すぐに分かった。この人が狐の当主様だ。 「私がここの当主、ツリメでございます」 「ど、どうも」  その耳と尻尾もさる事ながら、狐を思わせる様な暖かな茶色い髪に、まるで神主の様な格好をしているからか神秘的な空気を感じさせる。思わず目が離せなくて息を呑んだ。  そんな俺の横で、こそりとあの狐が話しかけてくる。 「我々狐の中で唯一人間の姿を保てるのが当主様です。特にツリメ様は歴代の当主様の中で一番の美丈夫。そのお美しい容姿もさる事ながらその手腕は大変立派で、異界の中でチカラが弱まりつつあった我々の地位を高めて下さいました」 「はあ…」  とにもかくにも立派な男、もとい狐らしい。 「さあ、ここからは私が案内しましょう。  イチハシ、ありがとう」 「ははあ」  まるで時代劇の様に例の狐は頭を下げると、そのままどこかへ言ってしまった。  そしてイチハシって名前があったのか、あの狐。 「さて、行きましょうか」 「…はい」  とりあえずツリメさんについて行くしかなさそうだ。 「すみませんでした。突然この様な事になってしまい」 「いや、まあ本当突然すぎて未だについていけてないですが…何かもう諦めました」 「さすがご姉弟。透子さんと同じ様に広いお心をお持ちなのですね」  姉の場合はそもそも気にしないので俺とはまた違うが、確かに俺達は中々波瀾万丈な人生を歩んできたので、ちょっとやそっとじゃ動じないのかもしれない。(さすがに今回はイレギュラーすぎるが) 「…その、透子があなたを助けたとか」 「その通りでございます。我々の力を取り戻すために尽力し過ぎてか人間界に行っていた時に倒れてしまいまして。 我々は弱ると狐に戻ります。もし人間に見つかれば処分させられるかもしれない状況でした。  そんな時に、透子さんと出会ったのです」  本当に昔話のような事が起きたのかと俺は呆気にとられる。 「少々うろ覚えなのが悔しいですが、透子さんはすぐに病院へ連れて行って下さった様です。  その間もずっと私に声をかけて下さり、私はどうにか意識を繋ぐ事が出来ました。  そしてようやくはっきり目を覚ました時、彼女が心からの笑顔で良かった、と言って下さったのです。私はその時の事をずっと忘れないでしょう」  ほんのり頬を赤らめながら言うものだから、こちらも照れてしまう。  姉の惚気話なんて、聞くに耐えん。 「こっそり抜け出して私は異界でチカラを貯めてまたすぐに人間界に行きました。  私は狐の姿に戻って彼女の前に現れた。そうしたらまた彼女は言ってくれたのです。“元気になってよかったですね”と、あの素敵な笑顔で。  これが、かれこれ3年前くらいになりますね」 「…はい?」  知らなかった。いや、そういえば何かを助けたとかいう話をうっすら聞いた様な…姉はその日あった事を毎日話すので正直聞き流していた。 「それからずっと人間界に行っては彼女にお会いしていましたが、実は私が本当は狐の当主である事を伝えたのはつい最近の事なのです。  そして透子さんをぜひ花嫁に迎えたい旨を申しました所、たった一人の弟と違う世界で生きるのは無理だと断られたのです」  ここで漸く話の本筋に戻る。  要は身も心も弱っていた当主様が、うちの姉に助けられて見事に惚れてしまったらしい。 「大体分かりました。  うちの姉の事を大切に思ってくれている気持ちも分かります。  しかし、いくら結婚して欲しいからと言って丸2日も連絡を途絶えさせて、ここに閉じ込めるのは違うんじゃないですか」  もとより姉の恋愛事には首を突っ込まないつもりだ。  しかし、これだけは言いたかった。  どんな理由があるにせよ、周囲を心配させる様な事は駄目だろう。おかげで警察に通報までしたんだぞ。 「……っ!」 「…え?」  それまで余裕を絵に描いた様なツリメさんが、あり得ないほど真っ青な顔をしている事に気づく。  そして次の瞬間、体を綺麗に畳んで俺に勢い良く頭を下げた。 「たっっっいへん申し訳ございませんでした!!  ここの時間と人間界の時間は時の進み方が違うのです!透子さんが来てくれた事に浮かれてすっかり忘れておりました!!  一度私の世界を見てみないかと私からお誘いしたのです!全く透子さんは悪くなく!」 「わ、分かりましたから!落ち着いて!」  敏腕当主様のイメージががらがらと崩れて行く。  もしかしたら姉の事となるとこうなるのかもしれない。 「いえ…大変心配なさったでしょう。  透子さんから翔殿の事はたくさん聞いておりましたから。本当に仲の良いご姉弟だと常々思っていました」 「…まあ心配はしましたが、家族なのですから当たり前で」 「私は透子さんを愛しております」  突然宣言をされて、思わず赤面する。 「ど、どうしたんすかいきなり」 「そして同時に透子さんの幸せも願っている。  だからあなたを呼んでもらいました。直接お話させてもらう為に」  急に真剣な顔をされて背筋が伸びる。 「あなたも、透子さんと一緒にここで暮らしませんか」 「…はい?」  ここに来て何度目のフリーズだろう。 「私は、透子さんの幸せは貴方の幸せでもあると考えています。  こんな事でお二人を引き裂く事はあってはならない。ですが、私はここでの大事な立場がある」 「ちょ、本気ですか?」 「人間界への行き来は自由に出来ます。何不自由のない生活を約束します。ここのみんなも喜んで迎え入れてくれるでしょう」 「あの」 「私は貴方という存在を含めて透子さんを愛しているのです!どうか、よろしくお願い致します!」  口を挟む暇がない。あまりの想いの強さに、何故か俺が愛の告白を受けている様な気持ちになった。  姉よ、とんでもない奴に好かれてしまったな。  中々ツリメさんの頭は上がらない。  いや、こんなの絶対にお断りなのだが、この人は本気で俺の事も大事にしたいという気持ちは伝わる。  姉が俺の事を気にかけてくれている事は俺が誰よりも知っている。  ずっと自分よりも俺を優先してくれていた姉。  姉が自分の幸せが俺の幸せと思ってくれている様に、俺だって───
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