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中学校から帰ると裕之は急いで制服を着替え、家を出た。そして走った。ドキドキが止まらないのは走っているからではない。今日、裕之はあることを決意したのだ。
その決意とは髪型を変えること。目的の美容室につくと息を整え、深呼吸を繰り返した。ガラス扉からこそこそと中の様子を窺う。
入り口のところにカウンターがあってよく見えない。
もう一度、深呼吸をすると思いきって扉を開けた。そして勇気を振り絞り、準備していた言葉を吐く。
「この髪型にしてください」
消え入るような声だった。裕之の手には雑誌の切り抜きが握られている。
ヘアドライヤーで客の髪を乾かしていた美容師の男性は手を止めず、裕之に目を向けた。
「いらっしゃい。ちょっと待ってね」
どうやら聞こえていないらしい。
美容室には洗髪が終わり、髪を乾かされる女性客のほかには誰もいない。裕之はドキドキしながら入り口に立ち尽くす。
ヘアドライヤーを切って、美容師は裕之のもとに歩み寄った。まだ若く、おにいさんといった感じだ。
「この髪型にしてください」
もう一度言った。裕之がこの美容室に訪れるのは初めてだ。というより美容室そのものが初めてだった。いつもは千円でカットしてくれる家の近くの床屋に行っている。どんな髪型を頼んでも結局いつも同じ髪型にしてくれる床屋だ。だけど、今回だけはどうしても理想の髪型になりたくて、照れ臭いのを堪えて美容室の門を叩いた。
女子にモテたい、というのがその理由だった。ただし、その思いとは裏腹に裕之は女子が苦手でもあった。
苦手なのにモテたい。矛盾するようだけど、それはまだ裕之が中学生になって間がないからだ。自分でもその気持ちがよくわからないでいた。いったい自分はどうなってしまったのだろう。
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