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① タクシーの中
澄んだ空気の中に、ほんの少し混じるのは苦い色。
それはきっと自分の胸の内を表しているから。
切ないという言葉では曖昧すぎて、かといって的確には言い表せない。
自分の中の複雑な感情は、他人から見たらただ面倒だと一言で済まされてしまうだろう。
それならばと一人で抱えて、言葉を飲み込んできた。
今回だってそうだ。
ただ黙って首を縦に振るだけ。
それが俺の役割だから。
結婚しなければいけない。
顔も知らない
初めて会う男と。
窓から見えるのは緑の景色。
先ほどからずっと森林の中を車で走っている。
後部座席に座った俺は、窓から外を眺めながら変わることのない景色を見ていた。
都会のビル群しか知らないので、まるで別世界に迷い込んだみたいだと思った。
「都会の人には退屈でしょう。この辺は何にもないですからねぇ」
客商売とは思えない、白い口髭を蓄えた初老の運転手は、バックミラー越しに俺を見て話しかけてきた。
タクシーに乗ってから一言も話さない俺に、いつ話しかけようかとそわそわしていた様子には気がついていた。
人と話すのは嫌いではないが、今はあまり気分が乗らなかった。
「いえ、そうでもないです。自然の景色を見ていると癒されますから」
「そういうもんですかねぇ。都会から来る人はみんなそう言いますけど、三日もすれば飽き飽きしますよ」
確かに自然の多い場所に旅行で訪れるのと、暮らすのとでは全く違うだろう。
運転手と田舎と都会の暮らしで議論するつもりはなかったので、曖昧に返事をしてまた口を閉じて窓の外に意識を向けた。
「こちらにはご旅行ですか?」
向こうも商売だからか人柄なのか、どうやら空気を察してトークをやめてはくれないようだ。
疲れが顔に出てしまったが、仕方ないとまた口を開いた。
「いえ、結婚しにきました」
「へ?」
突然そんなことを言われたら驚くだろう。
触れてはいけない人物だと思ってもらい、静かにしてくれるかと思ったが、運転手は逆に興味津々になってしまい、さっきよりももっと食い入るようにミラー越しに見られてしまった。
「いや、すっ、スミマセン。お客さん、えらい別嬪さんなもんで、つい……。いやぁ、都会の人ってカンジで。羨ましいですなぁ、相手の方は……、あの、女性? ですよね……」
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