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成績表を震える手で受け取る瞬間、心臓が早鐘のように打つのを感じた。
大丈夫、大丈夫。
自分に言い聞かせながら、息を詰めて成績表を開く。
二十人あまりの生徒がぎゅうぎゅうに押し込められた塾の狭い教室は、エアコンを効かせていても、むっとした熱気が充満している。返却された組分けテストの結果にざわつく生徒たちに、「はいはい、静かに」と先生が手を叩いた。
「今回のテストも、沢野がトップでした。みんなも負けずに頑張れよー」
耳が、じんわりと熱くなる。
「沢野織子」の名前の隣の、100という数字をもう一度確かめてから、私は成績表を机の中にしまう。すごいね、と後ろの席の女の子たちが囁き合う声が聞こえて、なるべく得意気に見えないように表情を取り繕った。
詰めていた息を、こっそりと吐き出す。
喜びよりも、安堵の方が大きかった。ここ数日、しこりのように凝り固まっていた胸のつかえが、やっと消えていくのが分かる。
「今日の授業はここまで」
という先生の言葉を合図に、腹ペコの生徒たちは、一斉に帰り支度を始める。
私もテキストをリュックに詰めながら、ちらりと横目で後ろを見た。やっとおさまった胸のドキドキが、再び激しくなる。でも、今日の私には、秘策があった。
右手をぎゅっと握り締めて、思いきって後ろを振り向く。
「ねぇ、これ、良かったら……」
びっくり顔の湊さんと高島さんが、私を見る。その表情が、みるみるうちに強張っていくのが分かった。
「……あ、ごめん。急いでるから」
困ったように顔を見合わせて、慌てて教室を出ていく。右手を差し出したまま取り残された私は、丸々三秒、その場から動けなかった。
「ラッキー!」
稲妻のような速さで、瞬間、手の中のものを奪われた。田中くんだった。荒くれ者で、先生も手を焼いている男の子。ぎょっとして、でも声が出なくて、私は金魚のようにパクパク口を動かす。
「や、やめ……!」
「何だよこれ、のど飴!?」
田中くんの大声が教室に響き渡ると、恥ずかしさで目の前が赤くなった。教室に残っていた生徒たちが、一斉にこちらを見る。その視線が怖かった。
「返して」
と、口の中で小さく呟く。
田中くんの手の上に乗っている、パッケージがくしゃくしゃになった、りんご味といちご味ののど飴。
ダサいってことは分かってる。だけど、うちにあるお菓子は、これしかなかった。
がっかりだ、という風に、田中くんがそれを私に突き返す。それから、ちょっとバカにしたみたいに笑った。
「なんかさー、いかにも沢野って感じだな、これ。ザ・優等生、的な?」
「こーら、田中。沢野にちょっかい掛けてないで、さっさと帰れよ」
先生が、田中くんの頭を丸めたテキストでぺしんと叩く。暴力教師! 訴えてやる! と騒ぎながら田中くんが出ていくと、先生は私に向かって笑い掛けた。
「次のテストも頑張れよ。沢野は、うちの期待の星だからな」
「……はい。ありがとうございます」
背筋をぴんと伸ばして、私は、とっさにお決まりの笑顔を浮かべる。まるで何事もなかったかのように、飴をポケットの中に隠した。
──この感情、全部消しゴムで消すことができたらいいのに。
テキストがぎゅうぎゅうに詰まった重いリュックを背負って、暗い夜道を歩きながら、私は想像する。
新品の消しゴムで、真っ黒に塗りつぶされた心をゴシゴシ擦り、ふぅっと息を吹きかける。削ぎ落とされた感情は、ケシカスになって宙を舞い、真っ白な心が顔を出す。
それは、ハリボテじゃない、本当の私だ。
真面目でも、いい子でも、優等生でもない、本当の私。
でも、その真っ白な心は、ものすごく弱くて脆い。簡単に傷つくし、ほんのちょっとの衝撃で、血を流す。
だから、守らなきゃいけない。
分厚い包帯でぐるぐる巻き付ける代わりに、愛想笑いや、しっかりした挨拶や、とびきり良い成績で、カモフラージュしなくちゃいけない。
一重まぶたの小さな目。雨の日には、パーマをかけたみたいにボサボサになる髪の毛。私は、私の全部が嫌いだ。
優等生じゃない私に、価値はない。だから、私は明日も、鉛筆を握りしめて、机にかじりつく。優等生を演じて、生きていく。
真っ白な心を、守るために。
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