えんぴつ少女

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「おはよう」  と言った織子の声が、ふわふわと宙を漂い、誰にも届くことなく消えていく。以前は返事をしてくれた林田さんも、なっちゃんも、ちらりとこちらを見ただけで、おしゃべりに戻ってしまう。  きっと、聞こえなかっただけ。  そう自分に言い聞かせて、私はなるべくクラスメートの顔を見ないようにうつむく。自分の席までの道のりが、ひどく遠く感じた。  小学校の教室には、「受験する子」と「しない子」の間に、目には見えない溝が存在している。初めは爪で引っ掻いたように小さかったその亀裂は、学年が上がるにつれてどんどん大きくなり、六年生になった今では、深い深い溝となってクラスの真ん中に横たわっていた。  もともと子供たちの間には、「受験する子が偉い」という風潮があった。  それは恐らく、親の影響が大きい。ゲームや漫画を我慢して、将来のために勉強する子供に親は「偉い」と言う。それが、遊びたい盛りの子供たちを机に向かわせるための言葉だってことは、みんな何となく気づいてはいたけれど、「自分は受験しない子よりも偉い」と信じる方が、楽だったし、都合が良かった。  そうやって誉めそやされるうちに、「受験する子」は「しない子」を見下すようになり、「しない子」は「する子」の顔色をうかがう。そういう歪な関係性が、もうずっと長いこと、狭い教室の中に存在していた。今やクラスの半数以上が「受験する子」だから、その力関係が覆されることはなかった。 「織子ちゃんはすごいね」  と、口を揃えて、クラスメートのみんなが言う。「受験する子」も、「しない子」もだ。  私は、「受験する子」が特別偉いとは思わない。でも、その恩恵をクラスでいちばん受けているのは、恐らく私だ。  大縄跳びやドッジボールでクラスのみんなに迷惑を掛けても、「織子ちゃんだから」という理由で許してもらえる。顔が可愛くなくても、コイバナが苦手でも、少なくとも仲間はずれにされることはない。それは、私が「受験する子」の中でもトップの優等生だからなのだ。  その、クラスの中の力関係性が崩れたのが、先月のことだ。  担任の先生が産休に入ることになり、織子の所属する6年2組は、急遽、教頭先生が担当することになった。この、教頭の東先生が、徹底的に「受験しない子」を贔屓したのだ。 「親の敷いたレールの上を歩くことでしか、生きていけない子供」  「受験する子」のことを、東先生はそう呼んだ。  何てことのない子供同士の小さないざこざも、「受験のストレスの捌け口にするな」と、先生は「受験する子」を厳しく叱った。「する子」が授業中、さされた問題の答えに詰まると、「こんな問題も分からないのか」とせせら笑った。先生という強力な後ろ楯を得た「しない子」たちは、初めはとまどっていたものの、徐々に「する子」への風当たりを強めていった。  この小さな教室の中で息をするためには、私は、優等生であり続けなければならない。  こんな環境の中でも、私が、今でもどうにかクラスの一員として認識されているのは、「クラスでいちばんの優等生」という肩書きのお陰だ。  それがなくなったら、私は今よりもっと一人ぼっちになる。その辺に転がっている石ころよりもっと、価値がなくなる。  強迫観念のようなその思いが、日ごとに強まり、背中にずっしりとのしかかる。それは例えば、こうやって、友達だと思っていたクラスメートに無視された時、より強まる。 (誰か)  私を、友達だと言って。  織子は必死に願う。叶わないと分かっていても、すがりつくように、願ってしまう。  100点満点の答案用紙よりも、私は、たった一人の友達が欲しい。教室の片隅でおしゃべりしているあの子たちみたいに、昨日のドラマの話や、好きなアイドルの話で盛り上がることができるような、普通の女の子になれたなら、私は、他に何もいらないのに。  ランドセルから、算数のドリルとノートを取りだす。前屈みになって、鉛筆を握りしめる。  頭がこんがらがりそうな筆算や分数が、クラスメートたちの笑い声を塗りつぶしていくと、ようやく、心に静けさが満ちた。
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